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2月9日から競技がスタートしたスケート会場で、懐かしい顔に出会いました。オランダからソルトレークに駆けつけた青柳徹さんです。
今回は、日本オリンピック委員会の医科学委員会の動作分析をするためにやってきたそうです。
「いや、何でも手伝いますから、オリンピックを見せてくださいって言うのが正直なところですよ。」とは本人の弁。
青柳さんはスケート界では知るひとぞ知る存在です。オリンピックは1988年のカルガリー大会の1500メートルで5位に入賞しています。短距離の500メートル以外で日本選手が入賞したのは初めてのことでした。そのカルガリーから92年アルベールビル、94年リレハンメル、98年長野と4大会連続でオリンピックに出場。167センチの小柄な体ながら、ピュツピュッ音がするような小気味良いピッチ走法で短距離の500メートルから長距離の一万メートルまですべての種目をこなすオールラウンダーでした。
実は、青柳さんは一年半前からJOCの派遣でオランダにコーチ留学に行っています。日本にはたくさんの短距離コーチはいますが、そろそろ本格的な長距離のコーチを育てたいということで、青柳さんに白羽の矢が立ち、スケート王国オランダに勉強に行くことになったのです。今回4人の選手を輩出している強豪クラブに入り込み、そこでアシスタントコーチとして、日々選手にこき使われる日々を過ごしているとのこと。「そのウエイト取ってとか、言われて、ハイハイって言って運んでますよ。」
現場でバリバリ仕事をしながら、その強さの秘密をばっちり研究しているようです。
オランダといえば、最も盛んなスポーツがサッカーで、その次がスピードスケート。運河に張った氷の上をすべるスケートマラソンは国民的行事として有名なだけあって、長距離選手の層の厚さは世界一。今回のオリンピックの代表選手選考会も、大変厳しい戦いだったそうです。そうそう、長野五輪で長距離のメダルを総ざらえしていったジャンニ・ロメは、私も大好きな選手の一人ですが、彼でさえ、このソルトレークでは1万メートル一種目の代表にしかなれなかったというほどの大激戦だったのです。
さてさて、青柳さんは今年の9月には帰国し、筑波大学の大学院の修士論文を書いて、卒業の予定。その後、就職先を探して、本格的に日本の長距離スケート選手育成に取り掛かりたいと夢をふくらませます。大学生のコーチをしながら、地域の子供たちの面倒もみられる地域密着型のクラブの形でスケートを教えたいんだそうです。そのために必要最小限な資金集めもできるようになりたい、これからが勝負ですよと語ってくれました。
オリンピックアスリートのその後は、選択肢も多くはなく、楽なことばかりではありませんが、現役時代に培ったガッツで是非、セカンドステージの夢を実現させて欲しいなと思います。
応援してますよ。青柳さん! |