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1998年、冬。
入社を一ヵ月後に控えていた私は、
実家・金沢で冬季長野五輪の中継を毎日見ていました。
感動の涙をこらえて、ふっと窓の外を見てみると、
ぼたん雪が降りつもっていて。
長野五輪といえば、私はあの時の風景を思い出します。
一番心に残っているのはスピードスケートのあるシーン。
清水宏保選手が金メダルを獲得し、最高の優しい笑顔が中継される中、
一方では、清水選手の先輩にあたる堀井学選手が涙にぬれていました。
500mで敗れ、最後の1000mでも思うような滑りができなかった堀井選手。
皆さんは覚えていらっしゃいますか。
1000mが終わってNHKのアナウンサーが、
堀井選手にインタビューをした時の放送を。
涙を止めて控え室に戻ってきたところを引き止めてインタビューするのです。
その時のアナウンサーのインタビューはとても思いやりに溢れていました。
まるで、勝てなかった堀井選手に対して皆が伝えたいと思うようなことを
そのアナウンサーはインタビュアーである以前に人として、
目の前の堀井選手に語りかけ、インタビューをしていました。
当時、3月7日の日本経済新聞の夕刊です。
あるエッセイストが、堀井選手にインタビューをした、
あのSアナウンサーに向けて書いた記事でした。

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君が担当した種目で、感動の金メダリストが出たときは
しばしの苦労も吹っ飛んだろう。
しかし、期待されながら敗れ、なぐさめようもないほど打ちひしがれていた選手にインタビューしたのも君だったね。
『あなたにこういうインタビューをするのは、まことに酷で申しわけない気持ちでいっぱいです。ごめんなさいね。こちらもつらいし、あなたはもっとつらいでしょう』
『だれもあなたを…責めてはいませんよ』
君は相手の立場を十分に思いやり、本当に情のこもったインタビューをした。それまで堅く閉ざしていた選手の心がとけ、表情がゆるみ、おだやかさを取りもどしていくのが、ぼくにはよくわかった。ベテランの君のことだ、当然、というだろうが、あの時の君のことばには、ハートの底からこみあげてくるやさしさと温かさがあったのだ。 |

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私にとって「大切なこと」がつまっていました。
社会人に、アナウンサーになる不安とたたかいながらも、
この気持ちを忘れずにいようと誓いました。
さあ、…あれから4年。
私の周りでは様々なことが変わったかもしれないけれども…
やっぱり、私にとって
「大切なこと」
は
「大切なこと」。
そして、2002年冬季五輪という自分にとって未知のステージへ向けて
チカラを込めて、ココロを込めて頑張ってきたいと思います。
五輪の舞台を目の当たりにして、自分はどうなってしまうのだろう…
たとえ泣いても笑っても…
私はみなさんに2002年・冬、ソルトレークで感じたことを
ちゃんと伝えていきたいと思っています。

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