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10月25日 人生相談?

先日、
家族3人(わたし、夫、4歳の娘)で夜ご飯を食べているときのことでした。

夫はビールを、私は肉じゃがをつつきながら、
“仕事と家庭、その両立の難しさ”について、
何とはなしに、こぼしていたときのことです。

「あのさ、」と
夫が答えるより先に口を挟んだのは娘でした。
そしておもむろに
「あのさ、つらいっていうことだけでやめちゃだめだよ」
と言いました。混乱する私に続けて、
「テレビにうつっているのをみて、はずかしいっておもったら、やめたら」
さらに、
「いまのしごとでいらないよって、いわれたら、ほかのしごとのひともいらないよ」

微笑みを浮かべながら、まっすぐにこちらを見やるその様子は、
自分の子どもであって、そうではないような、
ひとりの自立した女性のようでした。
まるで人生相談に答えてくれる女友達のように。

こまごまとした悩み(とは言えないような小さな躓き)は、
誰に相談するわけでもなく、澱のように少しずつ溜まっていき、
ふとした瞬間に零れ落ちる。

これまで“悩み”というものを
ほとんど人に相談することがありませんでした。
自分の中で、逡巡しながら答えを探すのが習慣になっているのかもしれないし、
人に相談するというのがちょっと苦手だったりするからかもしれません。
意見を聞くときは、大体8割方自分の中で答えが出ているときだったりします。

でも、娘が言ったことは、
私の悩みに対しての明確な答えであり、
悩みの奥にある“真理”をついていたように思います。

うん、頑張るよ と答えた私に、
さらにこう続けました。

「きぴちゃん(娘、本人のこと)がそうおもうのは、
神さまがそう思っているから、いったんだよ」

小さな子どもには、神さまも身近にいて、
大人が見えない「ほんとうのこと」が
まっすぐに、曇りなく見えているのかもしれません。

ちょっとスピリチュアルな話でごめんなさい。
でも、時として子どもは
大人が驚くほどにおとなになり、
ごちゃごちゃで、ぐちゃぐちゃで、混沌としたものの中から
いとも容易く「ほんとうのこと」を救い上げたりする瞬間があります。

必要とされる場所で
自分のできることをやり尽くそう

仕事の原点に立ち返る出来事でした。

涙が出そう・・・と感傷に浸っていたら、
いつものきぴちゃんに戻り、
「おかあちゃーん、ぶろっこりーたべたくないよぉー」

明日は娘が楽しみにしている遠足。
大好きなウィンナーをタコさんにして、お弁当にいれてあげよう。

明日、晴れますように。


   
 
    
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