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Vol.67 「チビ太」(2008/08/11)

「村上さんの世代は…知らないよねえ」

プロデューサーはそう言って、新聞記事のコピーの束を、どさっと渡してくれた。
漫画家の赤塚不二夫さんが亡くなった翌日。
青梅市にある、赤塚不二夫会館を取材した。
記事の写真の中では、赤塚さんがお酒を持って笑っている。
「漫画と言えば、赤塚不二夫さんだったから…」
プロデューサーは50歳。
リアルタイムで『天才バカボン』や『ひみつのアッコちゃん』に親しんだ世代だ。
コピーされた新聞の厚み。それを手にした時の重み。

取材先への道中。記事の中に、レレレのおじさんのイラストを見つけた。
知らないことはなかった。

小学生の頃、テレビアニメ『天才バカボン』『おそ松くん』の再放送をよく見ていた。
当時の最大の悩みは、苦手な水泳教室に通うこと。
唯一の楽しみは、帰り道に立ち寄るおでん屋さん「チビ太」だった。
商店街の踏み切り横にある、小さな屋台。
だしの匂いが立ち込める中、決まって三角のコンニャクを選ぶ。
たったひとつを発泡スチロールの皿に乗せてもらう前に、
「…串に刺してもらっても、いいですか?」
チビ太の真似だとはおよそ言い出せなかったが、
おじさんは毎回笑って応えてくれた。
白髪の角刈りで、少しだけレレレのおじさんに似ていた。


会館の前では、バカボンのパパの銅像が腕に喪章を巻いていた。
置かれたノートには、記帳をする人が後を絶たない。
館長さんは、赤塚さんと同い年だった。

「『これでいいのだ』ってね…良い時にもそうでない時にも言えるでしょう?」

ゆっくりと、言葉を続ける。

「うまくいった時は、大満足。失敗した時は、お疲れ様に近いのかもしれないね」


日々の比率で言うと。
「これでいいのだ」よりも、「これでいいのか?」の方が多い気がする。
でも…いいのだ。
パパにそう言ってもらえることが、とても、いいのだ。


(「日刊ゲンダイ 週末版」8月11日発刊)
   
 
 
    
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