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Vol.52 「デパ地下のキミエさん」(2007/07/30)

デパート。
白っぽい光と、高い天井。

各社の経営統合が相次いでいますが、今回、その話は置いておいて…。

新作のマスカラや、
お持たせのロールケーキを、

買いに。

同時に、会いに。

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かつて、「何か」があると、デパ地下に行った。
嬉しかったり、落ち込んだり。細微な心の揺れに合わせて。
「お肉にしよう」
勇んで向かう先は、精肉コーナーだった。
サシの入った見事な牛肉を前に、売り場のガラスケースにしばし立ち尽くす。

「もっとしっかり食べなきゃ!」

カウンター越しに話しかけてくれたのは、キミエさんだった。
「そんなに顔色が悪いと、元気が出ないわよ!」
勢いに押されて、ほんの少しだけ、牛肉を買う。
「ちょっとだけ、おまけしておいたからね」
それを機に、キミエさんとは話をするようになった。
お肉の調理法から、近況報告まで。
だが、何時しか足は遠のき、いつの間にか月日は過ぎた。


久しぶりに訪れた売り場は、すっかり改装されていた。
「キミエさん、いらっしゃいますか?」
「ああ、もう、ここにはいないよ」
急に心配になって、思いつく限り、近隣のデパートを探して回った。

とある、閉店間際の地下食品街。
喧騒の向こうに、懐かしい声が聞こえてくる。

「さぁ、もう終わりだから安くしておくよ!」

キミエさんだった。
「ひき肉、下さい」
意を決し、おずおずと声をかける。
「あら…」
覚えていてくれた。
キミエさんは手を止め、目を真っ赤にして、私のカゴに、ひき肉と、タイムセール中のコロッケをそっと重ねてくれた。
「たまにはね、手抜きをしないとだめなのよ」
そう言いながら、再び、積み上げられた揚げ物のパックに手際良く値引きシールを貼っていく。
「お惣菜は、主婦の味方よ。結婚、おめでとう」
ごった返す中で、私たちは、数年ぶりに言葉を交わした。
「また、来ます」
お肉を買いに、力をもらいに。
その日は、カゴいっぱいのコロッケを買って帰った。



キミエさんのひき肉で、そぼろ丼を作りました
卵も2個使って、大盛りです


(「日刊ゲンダイ 週末版」7月30日発刊)
   
 
 
    
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