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Vol.22 「自由研究」 (2005/08/13)

夏休みも、半ばのようです。
新聞記事も、すっかり夏模様。
「プール」「花火」といった言葉に出会う度、記憶が過去へと巻き戻されていきます。
毎朝のラジオ体操に、連日のそうめん。
花火セットを抱えて、夜な夜な父の帰りを待っていました。

『自由研究どこまで協力』

生活面で見つけたその見出しに、思わず目が留まりました。
夏休みの私たちを悩ませたものといえば、数々の宿題。
中でも極め付きは、自由研究でした。
記事によると、最近は、この自由研究のあり方が変化しているそうです。
子ども本人より親の方が心配になり、つい手伝って「立派な」作品を仕上げてしまう。
自発性を尊重したくても、現実は「親と子の作品展」になっていく―。
確かに、夏休みの最終日は毎年追い込まれていましたが、
昔は皆がもっと自由に、むしろ遊びの延長として取り組んでいた気がします。

小学一年生の時は、物語を創作しました。
原稿用紙3枚の、超短編。
マス目いっぱいに伸びをする大きな文字が、面映く思い出されます。
「自由研究は好きなテーマで」と言われたものの、
クラスメイトの工作や昆虫標本が教室を賑わす中、
薄っぺらな原稿用紙は、隅の方に追いやられていました。

先日、書店に立ち寄った時のこと。
店内には「自由研究コーナー」が特設されていました。
ガイドブックを手に取ると、「電磁推進船の研究」といったテーマごとの解説に加え、
親御さんへの指導方法、所要時間までもが分単位で記されています。
レポート実例の末尾には、「実際には、自分で行った結果や感想を書きましょう」
―先手は打ってありました。

「電磁力なんて、小学生で習ったかな?」

ドリルや観察日記に比べ、
自由研究は発想を形にする好機会だと思うようになったのは、ごく最近のことです。
大人を対象としたあるアンケートでも、夏休みに一番苦労した宿題のうち、
「自由研究」が約半数を占めていました。
そんなことを思い出しながら、ふと横を見ると、私の隣にはおじいさんが立っていました。
老眼鏡をかけて、『自由研究〜宇宙編〜』を、随分と熱心に眺めています。

「よっぽど、宇宙に興味があるのかなぁ…」

書店を出ると、冷えきった体を熱風が包みました。
映画館の前では、公開中のアニメに親子が列をなしています。
子どもたちのために、炎天下に並ぶお母さんたち。
夏休みの自由研究も…。
もしかしたらあのおじいさんは、自分の趣味ではなく、
お孫さんのためにガイドブックを探していたのかもしれない。
ふと、そう思いました。


(「日刊ゲンダイ」8月13日発刊)
   
 
 
    
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