前の記事を読む 次の記事を読む  

 
 

Vol.57 『悪人』 (2010/9/30)


テレビをつける。
定刻通りに、ニュースが流れる。
外交問題、政策論争、殺人事件。

「金が欲しかった」
「カッとなってやった」

顔写真の下にテロップが出ては、矢継ぎ早に消えていく。

総じて、事件に善意の余地はない。
絶対悪、必要悪、それでも、悪は悪。
数秒で示された動機。
ひどいとか許せないとか、そんな会話もどこかで交わされて。

なぜ、殺したのか。
この映画は、ここに始まる。




土木作業員の清水祐一(妻夫木聡)は、長崎郊外の漁村で生まれ育ち、恋人も友人もなく、祖父母の面倒を見ながら暮らしていた。
佐賀の紳士服量販店に勤める馬込光代(深津絵里)は、妹と二人暮らしで、アパートと職場の往復だけの毎日を送っていた。

孤独を抱えた二人は偶然出会い、刹那的にその身を焦がす。
しかし、祐一には光代に話していない秘密があった。
彼は、殺人事件の犯人だった―。

殺された保険会社のOL・佳乃。
佳乃が思いを寄せていた、地元の裕福な大学生。
理髪店を営む、佳乃の両親。
祐一を、女手一つで育てた祖母。

被害者、関係者、遺族、加害者の親族。
それぞれの、事情と思惑が交錯する。

佳乃は、密かに出会い系サイトで売春をしていた。
大学生は、佳乃の一方的な思いを疎んでいた。
佳乃の父親は、娘を笑い物にした大学生に復讐を誓った。
祐一の祖母は、彼を捨てた母親を決して許さなかった。


 


事件を報じる側。報じられる側。第三者。
軸足をうねらせながら、物語は静かに加速する。

祐一の祖母を囲む、報道陣。
自宅前で連日待機し、家から出て来るや、無数のマイクを向ける。
「一言でいいから、お願いします」



追われた祖母は、バスに駆け込んだ。
運転手は、記者たちをふるい落とすように出発する。
彼女の降り際に、前を向いたまま言った。
「ばあちゃんは悪くないけん。しっかりせんね」

ばあちゃんは悪くない。
悪いのは…。

「判決が出るまでは、罪の有無など分からない」
かつて、そう言われたことがある。
「もっと言うと、刑が確定しない段階で報じるのは、真実ではない」
「そしたら、ニュースの意味は何?」
反論すると、
「他人の人生に踏み込んでいることだけは、自覚すべきだ」

自首しようとする祐一を引きとめたのは、光代だった。
二人は、逃避行へと舵を切る。
「海があると、それ以上どこにも行けんような気持ちになるよ」
強風に膨らんだ袋小路。辿り着いたのは、海を見下ろす灯台だった。

祐一が逮捕された後。
光代は、事件現場の峠へ向かう。
花を手向ける佳乃の父親を、少し離れたタクシーの中から見ている。

「世間で…」

膝の上には、花束が置かれたまま。

「言われとる通りなんですよね?
あの人は悪人やったんですよね?
その悪人を、私が、勝手に好きになってしもうただけなんです」

誰に問いかけるでもない。
奪われた命は、もう戻らない。

祐一を、光代は愛した。
孫を、祖母は育てた。
殺人犯を、マスコミは報じた。

事象と感情を、振りかざし、垂れ流し、黙殺し、
作為と不作為にまみれ、自分と他人の間で都合良く忘れ、急に思い出す。
歩み寄ったり、包み込んだり。踏み込んだり、踏みにじったり。
人と人とが向き合って生じる摩擦熱。
棘の痛みに悪が散り、時には刃となって、突き刺さる。

「…ねぇ? そうなんですよね?」

殺人を犯した祐一。
現状を破壊したくて、祐一と逃げた光代。
人殺しを育てたと、糾弾された祖母。
利己心を引き金に殺された佳乃。

誰が、悪人か。
何が、悪か。
大切にするのは、何か。


♪作品データ♪
『悪人』
原作: 吉田修一(朝日文庫刊)
監督: 李 相日
出演: 妻夫木聡、深津絵里、岡田将生、満島ひかり、樹木希林、榎本明 他
配給: 東宝/2010/日本
公式サイト
http://www.akunin.jp/
   
 
 
    
前の記事を読む 次の記事を読む