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Vol.22 12月17日 『ニュースの天才』


映画館を出たのは、夜だった。
街の明るさに目を細め、いつも以上に氾濫する電子の正体がクリスマスのイルミネーションであることに気付く。帰り道に立ち寄ったデパートは、週末ということもあって、身動きが取れない程だった。
クリスマス限定のペアリングを仲良く見つめるカップルを横目に、私もクリスマス限定の化粧品セットに思わず手が伸びる。
プレゼントを選ぶ時、人は真剣だ。
なぜなら、相手の喜ぶ顔が見たいから。
だが、それだけではないような気がする。
相手を喜ばせることの出来た自分を、認めて欲しい。
だから、自分のことを、嫌いにならないで。

 そんな気持ちも、根底に潜んではいないだろうか。
映画の主人公を思い出しながら、こんなことを思った。

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「ニュースの天才」は、1998年に起きたアメリカの雑誌記事捏造事件を映画化した作品である。政治や企業の特ダネをスクープしては、ユーモラスな語り口の記事を執筆した実在の若手ジャーナリスト、スティーブン・グラス。大衆の期待に追い込まれた彼が選択した手法は、自ら「ニュース」を作ることだった。

自分のことを、
優れたジャーナリストであると思いたかった。
優れたジャーナリストであると同時に、
良い人間である、と。僕は人々に愛されたかった。
僕の書いた記事を通じて。
                         ―スティーブン・グラス


少しでも刺激的な内容を書くことで、読者に喜んでもらいたい。そんな自分を認めてもらいたい。まるで幼い子どもが「お母さん、僕を見て」と気を引き、甘えるように。 
だが、愛されたい欲望を満たす手段を決して誤ってはならない。ましてや報道において、捏造は絶対に許されない。

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買い物を終え、地下鉄に乗るために、地下の食品売場を横切った。高価なキュウリが、お行儀良くザルに盛られている。曲がったものよりも、見栄え良く矯正されたキュウリの方が好まれるそうだが、どちらが自然かと言えば、曲がったキュウリだ。
つまり、キュウリの「真実」は、ぐにゃりと曲がったキュウリである。
主人公のグラスは、曲がったキュウリを真っ直ぐにする以上に、サラダとして調理してしまった。ジャーナリストの彼がやるべきことは、曲がったキュウリをそのまま届けることだったのに。
もし、サラダを作るのであれば、それはレストランのシェフである。
事実を報じる「ジャーナリスト」ではなく、物語を作る「フィクション作家」として。

そんなことを考えながら、地下道の花屋に並んだポインセチアの鮮やかな赤に目を奪われる。
人は誰でも、自分が愛されていることを思い知りたい。
何かを通して。
その気持ちだけは、真っ赤な嘘ではない。

■作品データ/『 ニュースの天才』
監督:ビリー・レイ
製作:トム・クルーズ
原案:バズ・ビッシンジャー
出演:ヘイデン・クリステンセン、ピーター・サースガード、
    クロエ・セヴィニー、他
配給:ギャガ=ヒューマックス/2003年/アメリカ/94分

※ヴァージンシネマズ六本木ヒルズほか全国TOHOシネマズで公開中

『ニュースの天才』公式HP:

http://www.news-tensai.jp/index2.html

もうすぐ、クリスマスですね。
今年は、「ツリー」でも「リース」でもありません。
「ヘキセンハウス」を、ご存知でしょうか?ドイツを代表するクリスマスオーナメントで、クッキー生地で出来た「お菓子の家」のことです。直径30cmの家の中には、ドライフルーツたっぷりのシュトーレンがぎっしり。
愛でるだけでなく、味わいのあるクリスマスを。
でも、かわいらし過ぎて食べられません…。

   
 
 
    
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