前の記事を読む 次の記事を読む  
トップ > パーソナルトップ > プロフィールトップ > サッカーコラムトップ > エッセイバックナンバー
 
 


Vol.2 (2001/01/24) 大和の国から大志を抱いて。
 
〜ブンデスリーガ2部、1FCザールブリュッケン入団テスト〜  
2001年1月20日 御殿場高原サッカー場裾野グラウンド

澄み切った空気が頬を切る。
前日の雪はピッチの上に佇んだまま。
視線をすっと上に移せば、真っ白な富士が近づいてくる。
吐く息さえもたちまちろ過されてしまうような錯覚、凛とした静寂。
「度胸」、そんな二文字が体の中にどしんと鎮座する。
2001年1月、大寒。
草木が瞳を瞑れる季節、才能を開花させる場所を求めて集まった選手達。
奥寺康彦が日本人ブンデスリーガ第一号選手としてドイツの地を踏んでから24年。
その当時を知る人であればなおさら、驚きを以って迎えるであろう潮流。
サッカー大国ドイツが。
日本人中心のチームを作るために。
日本の若い才能を得ようと富士の裾野まではるばるやって来たのだから。

まだその日からたかだか2年半というひよっこである。
ほかでもないわたしのことだ。
サッカーに魅せられてからの2年半(1998年6月〜2001年現在)。
サッカー取材に身を置くことが叶ってからの2年間(1999年1月〜2001年1月現在)。
この2年半は私にとって忘れられない大切な日々であり、
また多くのサッカーを愛する人々にとってもそうなのではないだろうか。
日本サッカーが劇的な変革を遂げようという予感と確信。
瑞々しく逞しく、日本サッカーの未来への期待を掻き立ててくれたのが、
Jリーグが開幕した1993年にサッカー少年だった世代である。
98年アジアユース、U-20代表の柔軟で巧みなボールコントロール。
その年世界最高峰のリーグに渡った中田英寿は、「カルチョの国」の「ナカタ」になり。
その実力を以ってして彼らに空前の日本人選手と言わしめ、
ひいてはサッカー大国の、
「日本人はサッカーが下手だ」という概念そのものにまで影響を及ぼした。
99年ナイジェリアのワールドユースではU-21代表が準優勝。
彼らを中心とした黄金世代とも称されるオリンピック代表は、
6位という順位以上のインパクトを以って世界から注目を浴びた。

それこそあたりまえなのだが、
プロフェッショナルを目標に据えるという概念自体、J開幕以前にはあり得なかった。
存在しないものは目指せない。

Jリーグ開幕を機に一変した、サッカーを取り巻く環境そのもの。
華々しいプロ選手への憧れを抱くことが出来る「時代」に育った少年達。
彼らには、海外を含めた質の高いプレーを様々なメディアを通して見る機会があり。
直に触れる機会があり。
そして、指導の仕方すなわちコーチングを学んだ、プロの指導者の存在があった。
当然彼らの志は高い。
というより、当然のように高い目標を設定できる環境に生きている。

時間をかけて多くの人々が着実に努力を重ねたその成果が、
この2年半の間に形となって現れ始めている。
わたしのような、たかが2年半のにわかサッカーファンがどうこういうのは何かおかしな感じもするし、中には気持ちの良くない方も居られることと思う。
ただ、そんなわたしが心底魅せられてしまうほど、
この2年半で、
日本サッカーは、
凄まじく魅力的な変容を見せてくれている。
と言ってしまっていいかと思う。

潮流。
動き出した流れは渦となり、
やがてその勢いは加速し世界を巻き込むことになるのだろうか。
少なくともワールドユースやオリンピックが、
世界に日本サッカーの「今」を印象付けるきっかけになったことは確かなようだ。
ここに来て、ドイツのクラブチームが日本人中心のチームを作りたいと来日したのである。
世界大会での日本人選手の技術の高さに着目してのことだ。

1FCザールブリュッケン。
現在ブンデスリーガ2部のチームであるが、
日本人中心で3軍チームを新規に作るつもりだという。
その3軍チームの戦いの場はザールラント州リーグ、すなわち地域リーグだ。
日本でいうとJ1・J2の次に位置するJFLである。
アマチュアという枠組みであるため契約金も年俸もない。
生活費も自己負担になるため、たとえセレクションに合格しても、
選手には厳しい現実が待っている。
それでも100人以上の選手たちが、
欧州でプレーしたいというそれぞれの夢をかけてやって来た。
2日間行われるテストのうち、この日の参加者は56人。
最低気温氷点下2度のなか、5時間という限られた時間でのアピールである。
戦力外通告を受けたJリーガー、高校生、大学生、在日外国人選手。
18歳から25歳の56人がそれぞれの決意を胸に勝負する。

最高で15名を選出するという話だが、結果何人が合格するかはわからない。
合格した選手が、アマチュアを経てプロ契約にまで漕ぎつけることができるか、
はたまた欧州で何億という移籍金を生む選手にまでのぼりつめることができるか、
それもわからない。
ただ確かなことは、
サッカー大国でプレーするという目標が、
高いレベルを視野に入れた日本の若手選手にとって、夢見事でなく現実であること。
そして、サッカー大国にとって、日本人選手が既に興味の対象であることだ。
欧州でも通用する可能性を秘めた若手選手が日本に存在するのだと。

それぞれのサッカー人生の大きな転機になるやもしれぬ勝負の場が
日本を代表する霊山の麓とは。
あまりにドラマティックではあるまいか。
偶然の産んだ美しすぎる円錐の裾野で、大志を抱いた若者たちが白いピッチを蹴り、舞う。
確実に歴史に刻まれるであろう「時」が、澄み切った空気に刻まれて行く。

後に語られる時がくるのだろうか。
この先またしても彼らが岐路に立つ時、この日の記憶がふとよみがえるとしたら。
透明な空気の匂いと、白く聳え立つ富士と。
大和の国から大志を抱いて。
歴史が未来を紡いでいく。

 
萩野志保子のGrassWorld
  サッカー中継、「速報!スポーツCUBE」のサッカーコーナー担当。サッカーを愛してやまない萩野志保子が、Jリーグ・日本代表取材記はもちろん海外サッカーなど、萩野ならではという視点で綴っていきます。  
 
    
前の記事を読む 次の記事を読む  
トップ > パーソナルトップ > プロフィールトップ > サッカーコラムトップ > エッセイバックナンバー