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6月16日 沖縄に眠る2500トンの不発弾

終戦から64年。
美ら海(ちゅらうみ)に囲まれた沖縄に、
その美しさからは想像もつかない現実が見えました。

陸上自衛隊の特殊部隊、第101不発弾処理隊。


彼らはまさにその現実と常に向き合い、
年間300回以上も不発弾を回収・処理しています。

 

私たちは許可を得て、特別に現場に同行させていただきました。

不発弾処理隊がまず向かったのは、那覇市に程近い民家のすぐ脇にある畑。


普段の生活の場から、その光景に似つかわしくない爆弾が姿を現したのです。
見つかったのはアメリカ製5インチ艦砲弾。


米軍によって海上から撃ち込まれたものです。
あまりにも生々しい姿に私は息を飲みました。
不発弾で最も恐ろしいのは、信管と呼ばれる起爆装置。
この起爆装置が生きていれば、小さな衝撃でも爆発する危険性があるのです。


この艦砲弾は爆発の危険はあるものの回収できる状態と判断され、
持ち帰ることになりました。


続いて出てきたのはロケット弾。
爆発すればその威力は半径230m先にまで及ぶという危険なものでした。


富川「民家の近くにたくさん埋まっているんですか?」
班長「ありますね。」「近くというより真下にも埋まっています。」

富川「死を意識することはあるのですか?」
隊員「それは当然あります。」


第2次世界大戦で沖縄に投下された爆弾や砲弾は20万トンにも及びます。
これははがき1枚の土地に1個の爆弾が落とされた計算になります。
そのうち不発弾として残ったと推定されているのは1万トンで、
戦後米軍や住民、自衛隊が多くを回収したものの、
まだ地中には2500トンもの不発弾が眠っているとされています。


結局この日も海や雑木林など11箇所で不発弾は見つかり、
合計52発もの不発弾が回収されました。
たった一日の同行取材でこれほどまでの不発弾が見つかったという現実。
未だ沖縄の地にいかにたくさんの不発弾が眠っているかを実感しました。


回収された不発弾は、米軍の敷地内にある県所有の倉庫に一時保管されます。
大小様々な不発弾は山積みにされ、現実のものとは思えないほどでした。
一時保管された不発弾は米軍によって爆破処理されますが、
回収される量が多すぎて作業が追いつかない状態だそうです。

 

不発弾が発見される場所は圧倒的に工事現場が多いそうです。
糸満市では今年1月、水道工事中に米軍の250キロ爆弾が爆発。
作業員が重傷を負う事故が起こりました。


爆発現場から50mほど離れ、高台にある老人福祉施設では、
100枚以上の強化ガラスが爆風で割れて粉々に。
破壊力の凄まじさを物語っていました。

 

幸い160人の入所者は食事のため部屋を離れていて無事だったものの、
突然の爆発の振動によって戦争を思い出したり、
光の差さない部屋でストレスを抱える高齢者も多く、
心のケアは現在も続いています。


このような事故をいかに未然に防ぐのか。
その方法のひとつが磁気探査です。
特殊な磁気による探査で、不発弾が埋まっているかどうか事前にわかるのです。


しかしほとんどの工事で実施されていないのが現状。
一体それはどうしてなのでしょうか。

大きな理由が磁気探査にかかる費用です。
一度の探査で数十万から数百万円かかるということで、
経済状況が厳しい中、磁気探査まで費用が回らないのです。

さらに、このことを調べていくととんでもないことが判明しました。
公共工事には磁気探査における国の補助が出るのに、
民間工事には一切出ないのです。


なぜ同じ工事なのに公共か民間かで分けて考えるのでしょうか。
沖縄側は全額公庫負担による事前の磁気探査を求めています。
もちろん民間、公共すべての工事を区別することない補助を。

沖縄の方々は「見つかってからでは遅い。
見つけることが大事なんだ。」とおっしゃっていました。
見つけるための手段のひとつ、
磁気探査を国の主導でどんどん進めていかなければ、
沖縄の方々に本当の意味の安全な、安心できる生活は訪れないことでしょう。

不発弾の恐怖、つまり死の危険と隣り合わせの生活を
余儀なくされている沖縄の人々。
いつになったらこの異常事態が終わりの時を迎えるのか。
沖縄に眠る不発弾の撤去をすべて終えるには
さらにあと80年かかると言われています。

 

<おまけ>
取材をさせていただいた日の前日、
第101不発弾処理隊の班長が誕生日だったということで、
ささやかなお祝いをさせていただきました。
現場の緊張感から開放された顔は非常に穏やかで、
「このシャツは子どもたちからプレゼントされたんですよ。」
と嬉しそうにおっしゃっていました。
普段、子供たちはもちろん、
沖縄県民のため、そして国民のために身を危険に晒しているだけに、
私の目にはこのときの笑顔が余計に印象的に映りました。

 
 
    
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