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10月21日 歴史が塗りかえられた瞬間 〜イチロー選手、最後の10試合〜

 
 

観客が総立ちで息をのむスタジアムに、
「カッ!」と乾いた音が響いた瞬間、
ボールはピッチャーの左、ショートの右を糸を引くように抜けていった。
一瞬の出来事だったのに、球場全体がスローモーションになったようにも思えた。

次の瞬間、言葉にならない言葉を叫んでいた。
全身の毛が逆立っていた。
おそらく球場にいた人みんながそうだったと思う。
花火の音すらかき消さんばかりの歓声は、叫び声に近かった。

巨大なバックスクリーンの数字が、「257」から「258」にゆっくり変わる。

歴史が塗りかえられた瞬間だった。


イチロー選手の「歴史的記録への挑戦」密着取材は、
ジョージ・シスラーの年間最多安打記録257本まであと10本と迫ったところから始まりました。
テキサスでの3試合、オークランドでの4試合、シアトルでの3試合の合計10試合。
移動日なしの10連戦。

試合前の練習を、実際にグラウンドに降りて見る。
試合を記者席やスタンドから見る。試合後の表情をロッカールームで見る。
そして、時に直接話しかける。
まさにイチロー選手についてまわりました。

いくらいまアメリカに住んでいるとはいえ、ニューヨークは東海岸で、
アメリカンリーグ西地区のシアトルマリナーズのゲームはめったにみられません。

当初は喜びをこらえるのに苦労しましたが、
そのうち食らいつくのに必死という状況になりました。
とにかくメジャーリーグのスケジュールは過酷です。
デーゲームとナイトゲームをうまく組み合わせて、ぎっちりとゲームが組まれていて、シーズン中は1月に3〜4日ほどしか休みがありません。
わずか10日間ついてまわっただけですが、メジャーリーガーはまさに「野球をしているか、移動をしているか」という状態であることがよくわかりました。

取材した10試合では、イチロー選手への注目度、期待が日ごとに高まっていく様子が、
手に取るようにわかりました。
取材陣がみるみる多くなっていきました。
なかでも、記録まであと5本くらいになって、日本のメディアが急激に増えました。
通常、練習中は、グラウンドの芝生の外側の土の部分に立って、選手の動きを見たり、
練習の様子を撮影したり、選手から話を聞いたりします。
しかし、記録達成直前のオークランドでは、アウェイのゲームにもかかわらず、マリナーズサイドのベンチ前は、取材する人たちであふれかえり、芝生にはみ出してしまう有様で、選手たちのキャッチボールの球が取材陣の顔をかすめていくという状況になっていました。

また試合前後のメルビン監督の談話は、チームのことより、イチロー選手個人の話が
中心になり、最後の数試合は8割がたイチロー選手の話になっていました。

そんな異様なほどに高まっていく周りの興奮を楽しむかのようにイチロー選手はヒットを重ねていきました。

私が見た10試合で、49打席(四死球、犠打を含む)のうち15本がヒット。
全試合でヒットを放ちました。
この毎試合ヒットが出ているという状況が、なによりイチロー選手本人を力づけていたようです。

確かに打てそうな雰囲気が漂っていました。
記録に届かないんじゃないかとは、一度も思いませんでした。
「今日出ちゃうんじゃないか」とそわそわした気持ちが続きました。
それはイチロー選手が「今日出せるんじゃないか」と思っていたからかもしれないといま感じています。

そのくらい私が見た10試合では、自信にみなぎっていました。
イチロー選手本人も「ヒット1本打つのが、意外に簡単に思えるときと、
非常に難しく感じるときがある」と話していましたが、この10試合はまさにいい状態が保てていたのだと思います。

162試合を終えたあとのロッカールーム。
シーズンの半年間を走り続けてきて、最高の形で締めくくったあとの、あの充実感に満ちたイチロー選手の表情が忘れられません。

   
 
    
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