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- K Y (空気読めない)について-
  Reported by 田原浩史
 

田原    「空気読めない」って、アナウンサーとしては言われたくないよね。
萩野   そもそも向いてないって言われているような感じですもんね。
読めないのが「味」になるところまでいっていたらアッパレだけど(笑) 。
坪井   たしか最初は女子高生が言い始めて流行語にまでなったんでしたよね〜。

ところで、そもそも空気って「読む」もの?感じるものじゃないの?
何で「読む」なんだろう?

ということで、今回は「空気読めない」について、私田原が考えてみます。


どうしてこのような表現が出てくるのでしょうか。
「読む」について「空気読めない」が使われる場面を考えてみると、辞書の説明で当ては
まるのは、主に太字の部分です。

<広辞苑>
(1) 数をかぞえる。
(2) 文章・詩歌・経文などを一字ずつ声を立てて唱える。
(3) 詠ずる。詩歌をつくる。
(4) 文字・文章を見て、意味をといていく。
(5) 漢字を国語で訓読する。
(6) (講釈師が)講ずる。
(7) (外面に表れたものから)了解する。悟る。「腹を読む」「顔色を読む」「敵の作戦を読む」
(8) 囲碁・将棋などで手の先を考える。

<小学館「日本語新辞典」>
(7) 現象や人の行動などを見て、その真に意味するところや行き着くところを推察、また理解する。

<大修館「明鏡国語辞典」>
(5) 外面を見て隠された意図などを知る。読み取る。
(6) 現在の状況から将来のことを推察する。

そして「空気読めない」と言われる時は、何らかの言動に対して周囲の人からの
「その場には不適切だ。その場の状況にそぐわない」という違和感の表れだといえます。
ですから、そのような言動をした人は「あの人空気読めないよね」となるわけです。

逆に「空気を読む」ということは、辞書の「読む」という意味に加えて、
読み取ったことを基にして考え、その場に応じた適切な言動をすることです。

ここで「読む」の使われ方を別の例から考えてみましょう。
例) 心を読む 顔色を読む 手の内を読む 星を読む 芝目を読む 風を読む

「心を読む」「顔色を読む」は相手の本心を理解・推察することです。
「手の内を読む」ことが出来、相手の戦術が分かれば、勝負で負けることはありません。
いずれも、自分にとって有利に事を運ぶために、相手の心理や戦術を把握することです。

「星を読む」は加山雄三さんの「海・その愛」という歌にあります。

海に抱かれて男ならば たとえ独りでも 星を読みながら 波の上を行こう
(「海・その愛」作詞・岩谷時子 作曲・弾厚作)

この「読む」は星座や目印になる星の位置を知り、
海図や方位磁石などで自分の居場所を把握して航海することではないでしょうか。
ですから正確に位置を理解することのみならず、
今後の航路決定のために、正しい分析と判断が必要となります。


藤井さんです。
アナウンス部で1、2を争う腕前です!

ゴルフのグリーン上でパッティングに入る前には必ず「芝目を読み」ますね。
カップにボールを沈めるために、
グリーンの起伏によってボールはどんな転がりをするのかを想像します。
また芝は順目なのか逆目なのかによって、打つ強さも変わってきます。
この場合の「読む」も、ボールを沈めるという目的達成ため、
準備としての状況把握であり、打ち方をイメージする思考活動です。


風を読む藤井さん

「風を読む」
は、やはりゴルフでボールを打つ前にしますね。
狙い通りの位置にボールを運ぶためには、風の吹く方向や強さを把握しないといけません。
全英オープンゴルフの中継でご一緒した時、
コース上で解説する青木功プロは、他の人には感じられない風が見えているかのようでした。
他局の情報番組の一コーナーにも、このタイトルがあります。
政局など、今どんな風が吹いているのかを把握し、今後の動向を考え、
それに対してどう行動するのか、という内容を象徴しているように感じます。

これらの場合の「読む」は、次への行動のために正しく状況を把握すること。
目的を達成するために、現状を正確に把握し、適切な行動を起こすための準備としての積極的思考活動です。

このように考えてくると「空気を読む」とは、「その場の状況を雰囲気などから正確に把握し、
それに合わせた言動をすること」に加えて、
それを元に適切に行動することまでをも含んでいるといえます。
だから、的外れなことを言ったり、場違いな事をしてしまう人は「空気読めない」と言われてしまうのでしょう。

「空気読めない」を定義してみると、
「その場の状況に合わせた適切な言動が出来ずに、周囲の期待を裏切ってしまうこと。
また、そうしてしまう人のこと」
といえるのではないでしょうか。


なぜ「空気読めない」ことが、こんなにも取り上げられるのでしょうか。
日本人が大切にしてきたものが失われつつあるからだと思います。
古来、日本人が美徳としてきた「察する」と関係があると考えます。

「以心伝心」という言葉があります。
「心を以(も)って、心を伝える」。
言葉にしなくても、思っていることを伝えることが出来るという意味です。
その美徳ともいえる日本人のもつ伝統的なコミュニケーションが危機的状況にあるからではないでしょうか。


日本人は俳句の五・七・五というわずか十七文字、
和歌の五・七・五・七・七の三十一文字という限られた文字の中に、
作者の意図や心情、思いをいかに読み取るか心を砕きました。
わずかな文字数の奥に広がる風景を思い描き、喜怒哀楽を感じ取る。
俳句や和歌にはさまざまな心情の表現が詠み込まれています。
俳句は世界最小の文学といわれるほど、
凝縮された世界や物語が十七文字に織り込まれています。

ここに「行間を読む」「察する」ことが求められます。
このように相手の心を慮る(おもんばかる)ことは長い歴史の中で培われてきた日本的な思いやり文化のもとになっているといってもいいのではないのでしょうか。
これこそが日本人が大切に培ってきた伝統的な美徳です。

「空気読めない」と人を揶揄するのではなく、
空気を読むために自分の心の働きを活発にしたいものです。今回も自戒をこめて・・・。

ということで、K Y です!
あ、このK Y は「空気読めない」じゃなくて、「K)としも Y)ろしく」です。

    
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