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- 「言葉の現場から」-
  Reported by 田原浩史

これまでこの日本語研究室のコーナーで日本語について様々な研究をしてきましたが、このたび「言葉の現場から」と題して慶応義塾大学が出版する「三田評論」10月号に執筆いたしました。日本語に普段から興味をお持ちの皆さんに是非読んでいただきたいと思い、このページにも転載いたします。どうぞごゆっくりお楽しみください。

 一、アナウンサーの言葉の乱れを指摘されます

 アナウンサーになって十七年目になりました。後輩にアドバイスする立場になったため、気をつけて放送を見ていると、「これはおかしいぞ」と思う言葉遣いが、実に多くなりました。視聴者の方々から「アナウンサーの言葉が乱れている」というご指摘を受けることも少なくありません。それは漢字の誤読に始まり、敬語の使い方や若者言葉の安易な使用、さらには、言葉の歴史的な背景を知らないことによる間違いなど、多岐にわたります。しかしその原因は、正しい言葉遣いを知らないことや、単なる誤用というだけではない、大きな社会的背景があるのではないかと考えています。
いま、「言葉の乱れ」と指摘されている現象のひとつひとつは、若い世代を中心に、まさに言葉が変化しようとしている証拠であるといえます。「アナウンサーの言葉の乱れ」も、そのひとつの現象であり、「言葉のプロ」の領域にも変化の波が押し寄せてきているのです。

 若手アナウンサーの言葉遣いで、特に気になる変化が見られるのは「敬語」です。正しく敬語を使える若い人は本当に少なくなっています。

 自分が入社当時注意された敬語の誤用は、尊敬語と謙譲語の混同が主なものでした。いまでも誤用の例としてよく挙がる「○○社長はおられますか」など、本来尊敬語として「○○社長はいらっしゃいますか」と言うべきところを、謙譲語の「おる」を使ってしまい、その後に尊敬の助動詞「れ」をつけて尊敬表現にしている場合などです。

 しかし、最近の敬語には「尊敬語」と「謙譲語」の取り違えというような簡単なものではなく、もっと複雑で、これまでには思いもよらなかったような新しい表現さえ生まれています。

 また、本来は誤用とされていた表現が、ここ十年ほどで、特例として正しい使用であると認められるようになったものもあります。「お申し付けください」や「お申し出ください」がその一例です。  

 店員が客に対して、自分に「申し上げなさい」「申し出なさい」といっているわけですから、立場の逆転がおきているのです。しかし、その使い方は、他の場面では使用されることがほとんど無く、丁寧表現として定着してきたため、特例となったといわれています。

 言葉は、時代とともに確かに変化しています。

  ニ、「曖昧表現」という敬語法

  このような言葉の変化には、アナウンサーとして常に敏感でなくてはならないと思っていますし、当然、放送では正しい日本語を使うように心がけています。

 テレビ朝日アナウンス部では、なぜこのような言葉遣いが生まれてくるのか、言葉の変化が起こる理由は何かを考えるため、インターネットのホームページに「日本語研究室」を開設しました。これまでにコンビニエンストアやファミリーレストランでよく聞く、「ご注文のほう、こちらでよろしかったでしょうか」「○○円からのお預かりになります」という「マニュアル語」や「コンビニ敬語」と呼ばれる言葉や、「曖昧表現」などについて、考察してみました。

 放送で「マニュアル語」「コンビニ敬語」を使うアナウンサーはいません(と思いたいのですが)が、「曖昧表現」で断定を避ける言い方をする人は非常に多いのです。これは、私が新人の頃から、多くの人達が注意されていることですが、近年は特に多いと感じています。

 番組の司会で「次は○○のコーナーにいきたいと思います」「次は○○になります」や、スポーツ実況で「それでは、出場メンバーを紹介したいと思います」など、本来言葉の終わりを「次は○○です」断定すべきところを「思います」や「になります」と曖昧にぼかすのです。

 その理由を、よく使っている後輩に聞くと、「断定して言い切るよりも、丁寧な気持ちが込められると思う」「視聴者の皆さんに、押し付けがましく聞こえるとよくないと思う」というのが、その理由でした。

 若い人が敬語の使い方を間違えることは多々ありますが、だからといって、相手を敬う気持ちや丁寧に伝える気持ちがないわけではありません。むしろ、元来の尊敬語や丁寧語だけでは、丁寧さが十分ではないと感じたり、正しく使うことが難しいため、自分なりにより丁寧に表現しようとしているようです。しかし、それをアナウンサーという言葉のプロが安易に使用するのを避けなければならないことは、言うまでもありません。

  三、新たな敬語?「さ入れ言葉」

  敬語を正しく使うのは難しく、状況や登場人物の関係性を正確に表せなくてはなりません。そのためか、より使いやすい表現方法が生まれ、広まりつつあるようです。その代表的な例が「させていただく」です。政治家やタレント、芸能人がテレビ番組の会話で使うのをよく見かけます。

 「させていただく」は誰かに何かをさせる使役の意味の助動詞「させる」に謙譲語の「いただく」を合わせた表現です。自分の行為に使役を意味する「させる」をつけ、謙譲語の「いただく」と合わせることで、より丁寧に表現しようというものです。しかし、それを多用するのは、好ましいことではありません。過剰な丁寧表現は、聞く人の不快感につながりますし、自信を持って正しい敬語を使うことが出来ない証拠です。

 その「させていただく」の中に、変化が表れてきた表現があります。「さ入れ言葉」と呼ばれるものです。

 例えば「行く」「使う」などの動詞の後には、本来「させる」ではなく、「せる」が続くため、「行かせていただきます」「使わせていただきます」となります。ところが、「行かさせていただきます」「使わさせていただきます」と、入るべきではない「さ」が入ってしまうのです。同じように、「聞かさせていただきます」「送らさせていただきます」「歌わさせていただきます」など、様々な場面で使われています。

 これは明らかな誤用です。この言い方を使う人たちの気持ちの中には、自分の目の前の相手にはもちろん、それ以外の人達、例えばテレビの向こう側の視聴者にも、「より丁寧に」という意識が強いようです。しかも、これらの言い方は、社会人として十分キャリアを積んでいる人達が多く使っています。その点が、敬語を知らない若い人たちの敬語の誤用とは、一線を画しているようです。芸能人や政治家が多用するのはうなずけます。

 この言葉遣いは、頻繁にテレビに登場するため、広く浸透する可能性が高いと考えられます。いつどんなきっかけで、誰が使い始めたのかは不明ですが、いつの間にか広まり、定着すると、それが標準になってしまいます。今はとても耳障りに聞こえる「さ入れ言葉」が、いずれは新たな敬語として落ち着く可能性もあるのです。

 アナウンサーとしては、聞いているだけでも気持ちの悪い言葉ですが、いつかアナウンサーが放送で使用してしまうのではないかと、危惧してしまいます。杞憂であればいいのですが。

  四、過剰な丁寧表現は、遠くなる人間関係の表れ

 より丁寧に話そうとすることから生まれてくる言葉や表現は、他にもあります。「○○してください」「○○をお願いします」と人に何かを頼むときに使う、「○○してもらっていいですか」や「○○してもらって大丈夫ですか」などです。

 相手にお願いするときに丁寧に言ったほうが、難しいことがより頼みやすくなりますし、断られにくいと思うからでしょうか。打ち合わせや取材の交渉相手とのやり取りで、頻繁に耳にします。 
 
 この言い方には必要以上の丁寧さを感じると同時に、ばか丁寧すぎて不快感を覚えるのは、私だけでしょうか。

 より丁寧に、という表現が多くなるのは、「相手に嫌がられないように」「相手に不快に思われたくない」という気持ちの表れだといえます。

 だとすると、これだけ過剰な丁寧表現が蔓延し言葉の変化まで起こしている背景には、相手との心理的距離感の変化に原因があると考えられます。つまり、相手との間合いのとり方が大きくなっているのです。
 
 それは、社会の変化と、人間関係の距離感の変化の反映に他なりません。核家族で子供の頃から、自分部屋にいる時間が長く、家族からも干渉かされることが少なかった世代が親になっているわけですし、その子供はファミコンや携帯電話のメール、さらにはインターネットのチャットがコミュニケーションの主流になっています。その世代にとっては、相手が自分の世界に、ずかずか入り込んでくるのを嫌うのは至極当然のことです。言葉を発するほうにも同じような感覚があるとすれば、このように、一歩遠巻きにした言い方をするのは自然なことではないでしょうか。

 過剰な丁寧表現が増えてくる背景には、そのような社会的背景と心理的距離感の変化があると考えています。

 言葉は時代とともに常に変化を続けています。アナウンサーは言葉のプロとして、常にその言葉を放送上使うべきか否かを問い続けなくてはなりません。
言葉についての是非を問う時、先輩アナウンサーの言葉を思い出します。
「時代を見る目は人よりも半歩先に、はやり言葉に対しては半歩後に」アナウンサーは変化していく言葉に対して最も慎重でなくてはならないのです。

    
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