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- 第三回テーマ「アナウンサーが『曖昧表現』を使うとき」 -
日本語研究室では「第2回テーマ いまどきのマニュアル語」でおかしな敬語や日本語を取り上げました。
しかし、これらの言い方は、なにもコンビニやファミレスに限ったことではありません。
テレビをよく見ていると、アナウンサーも使っている場面を眼にします。

例えば、「こちらが○○になります」という言い方は、「こちらが○○です」というのが正しい言い方ですよね。
アナウンサーたるもの、そのくらいのことは誰でも知っています。
ところが番組内でアナウンサーが「○○になります」と言うのをよく耳にします。

ではどうして「○○です」って、はっきり言い切らないで、このような言い方をするのでしょうか。

アナウンス部の人に聞いてみました。

【野村真季アナの場合】

【野村】
「私はよく○○になりますって言うみたいですね。あまり意識していないんですけど」
【田原】
「○○です、って言い切らないのはどうして?」
【野村】
「多分、きっぱり言い切るよりも、やわらかくて、丁寧な感じが出ると思うんですよね」
「それに○○です、って断定した言い方をすると、視聴者の方から押し付けがましいように受け取られるといやだなあって感じもするし・・・」
【田原】
「なるほどね。こうなんです、っていう主張をぼかして、自然にこういうことになりますっていう感じを込めたほうが、角が立たないし、ソフトに聞こえるっていうことだね」
【野村】
「そのほうが、より丁寧な感じがでると思うんですよね」
【野村】
「使い方も、時と場合によると思います。相手に優しく説明するときは、こうなりますって言い方をしますし、プレゼン(大勢の前での発表)のような場であれば、きちんとはっきり言い切ります」
【田原】
「なるほど、その場や相手によって使い分けているんだね」
このように、はっきりと断定しない言い方には、より丁寧に表現しようという気持ちが表れているようです。このような表現は、言い切らずにぼかすことろから「朧化(ろうか)表現」ともいわれ、待遇表現の中に位置付けられる敬語法のひとつの要素であるといえます。

一方、対照的に語尾の「○○です」をさらに強調する場合もあります。
代表的ものとして「○○であります」を例に挙げます。

「○○であります」は軍隊用語として生まれたという説があり、「荘重語(形式ばったいい方)」といわれるものに入ります。(話の内容やその場の雰囲気をより格調高く感じさせるたり、緊張感を出す効果のある言葉)
実はこれらの朧化表現や荘重語を用いた表現をアナウンサーが使う場合には、ある共通点があるようです。

そこで、またまたアナウンス部の人に聞いてみました。今度は先輩の寺崎アナウンサーです。
【田原】 
「寺崎さんはスタジオトークの中で、○○です、じゃなくて、○○でありますっていう言い方をしてますが、何か理由があるのでしょうか」
【寺崎】
「もちろんありますよ。意識的に使ってますよ」
【田原】
「どうしてですか?」
【寺崎】
「実は、○○であります、っていう言い方はもともとは嫌いだったんだよね。軍隊みたいだし。でも、それをあえて使うことで、ある効果が出ることを狙っているんだよ」
【田原】
「どんな効果ですか?」

【寺崎】
「軍隊用語として生まれたといわれる言葉だから、きびきびしたリズムやテンポが生まれるし、きちんとした感じを出せるよね」
「担当している番組コーナーは30秒、40秒単位でテーマが変わっていくから、そのスピード感、展開の速さにマッチするんだよね」
【田原】
「内容を際立たせたり、テンポやリズム感を出すという効果を狙っているわけですね」
【寺崎】
「そういうこと」

【田原】
「でも、あえて本来の用法から外れる使い方をするのに抵抗はないですか」
【寺崎】
「そりゃあ、アナウンサーとして正しい日本語を使う方が望ましいけど、いかにして短い時間にきちんと内容を伝えるか、という方法を考えると、ちょっと正論から外れたとしても、適材適所に使用すれば、効果的な場合もあるんじゃないかな」
【田原】
「その効果はどうですか。」
【寺崎】
「手前味噌だけど、視聴者の方からも、『あのコーナーにチャンネルを合わせると、ついつい最後まで見ちゃう』って言ってもらえるんだよね。つまり、見ている人を引きつける効果が出ていると思うよ。今のところ、言葉遣いについての苦情は来ていないようだし」
「あえてイレギュラーな使い方をしている以上は、むやみに多用しないように心がけているし、場合によっては修正していく必要があると思っているよ」

なるほど、野村アナも寺崎アナも、その言葉が生む効果を計算してこのような言葉を使っているんですね。

さて、「○○になります」「○○であります」「○○でございます」に共通しているのは、アナウンサーとして、より丁寧に、よりきちんと伝えようという意識が強く働いているということです。テレビの向こうにいる、視聴者の皆さんを強く意識しているのです。

私たちアナウンサーは、スタジオやインタビューなどで目の前の人に対して丁寧に表現するだけではありません。自分たちの会話をテレビで見ている人に対しても、丁寧な表現になるように言葉を選んでいます。その結果、時として文法上、過剰な表現をしているのです。(してしまう時もあります)

敬語の使い方や、アナウンサーとしての言葉遣いを考えると、必ずしも正しいとはいえないのですが、『敬意』や『丁寧さ』を言葉に表そうという気持ちは「敬意表現」に他なりません。それを考えると、頭ごなしに「間違っている!」と言う気持ちにはなりません。

しかし、飾りすぎた言葉には違和感や不快感を覚える人も多いようです。みだりにこれらの表現を多用すると、せっかくの「より丁寧に、きちんと」という気持ちまでもが伝わらなくなってしまう恐れがあります。
演出として、使用する場合には、その点を十分に考慮しなくてはなりません。寺崎アナの「○○であります」も野村アナの「○○になります」も、そのことと本来の正しい意味や用法を認識した上での「技」だったんですね。

現代は、まるで「言葉のインフレーション」が起きているかのようです。言葉の価値がだんだんと下がってしまい、言葉の上に言葉を重ねたり、より強い言葉を使うことで、意味をさらに強くして伝えようとしています。
そして、そこから日本語の誤用や乱れが生まれ、メディアで広く使われるようになり、いつのまにか、定着してしまうのではないでしょうか。

言葉、特に敬語は、場面に応じた適切な使い分けと必要最低限の範囲で使うことが、望ましいのではないでしょうか。簡素な表現にこそ、心にある丁寧さや、敬意が表せると思います。飾りすぎた言葉や過剰な敬語は、決して耳に心地よいものではありません。
と、いいながら、自分でも気をつけようと思う今日この頃です。

    
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