ら、「不~」とか「~ない」と言う必要がない。だから、「似合わない」と強く否定する必要がない。そして、いわれた方は言葉のもつ軽いノリの響きもあって、強く否定されたような印象を受けないかも知れない。
対人関係において、直接的に否定や拒否するのではなくて、それを婉曲的(遠まわし)に表現するのは日本語の伝統的な方法だね。それがここにも現れているのだと考えられる。
「服が似合わない」「今どきではない」という直接自己の表現としての否定ではなく、「客観的に見て、似合わないという意味」で「無理」といっているんだね。
ここには、自分がこう思う、というのではなくて、客観的な視点に話をすり替えて、間接的に否定しようという心理が現れているのではないかと考えられるね。
「無理」という言葉のこのような使い方には、自分としてそれは出来ないとか、不可能だっていう、自分にとっての都合をいうようでありながら、自分側の問題ではなくて、客観的に見ると、「出来ないでしょ」「不可能でしょ」と言う意味を重ね合わせて、否定や拒否を曖昧に表現しているのではないかと考えられるね。
はっきりと自分を主張して相手を否定するのは、場合によっては失礼に当たるし、人間関係に波風が立つのを恐れるあまり、このような言葉の使い方で、対人関係の摩擦を和らげる作用が あると言えるね。 |