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- 第一回テーマ「無理〜MURI〜」 -
【田原】
はぎの〜、このジャケットとスラックス格好いいと思わない?最近買ったんだけど。
【萩野】
ていうか、そのスラックスって・・・、マジであり得ないから。
ていうか無理なんですけど。
【坪井】
ていうか萩野、先輩に対してそんな口の利き方あり得ないから。

【田原】
ていうか、「ありえないから、とか無理」って、それやめてくれよ。まじで無理!

【萩野】
最近、上記のように、本来の「無理」という言葉と少々違う意味合いで用いられる「MURI(ムリ)」が流行っていますね。
既に若い人たちの間では定着してしまった感のある、いまどきの「ムリ」の用法。なぜこのように使われるようになったのでしょうか。
言葉は生き物。なにしろ興味深い。

そこで、助手・萩野、さっそく調べてまいりました。
まず本来の意味を広辞苑で再確認してみると、こうです。
【無理】
@ 道理のないこと 理由のたたないこと
例)無理を通す。 無理を言う。 怒るのも無理はない。
A 強いて行うこと
例)無理をして体を壊す。 無理に連れ出す。
B 行いにくいこと するのが困難なこと
例)無理な頼み 子供には無理だ。
(広辞苑より)
【萩野】
最近のフランクな会話で、「それ、まじでムリだから」のような、「お断り!」という時に使う「無理」は、上の用法に当てはめて考えると、Bの意味に近いといえます。
とはいえ、本来の意味とは、決定的な違いが!
いまどき用法の「ムリ」は、精神的に「自分が受け入れることができない」ということを中心に使われているところがポイントだといえるのではないでしょうか。
【田原】
確かに、このような「無理」は、自分が受け入れられないことや、拒否の意味に使われることが多いようだね。でも、「無理」には本来強い否定や拒否の意味があるのに、なんでこんなに、いとも簡単に使われるのだろう。

日本人の言語表現の伝統から考えると、特殊な感じがするね。
もともと日本人は、自分のもつ拒否や否定の感情を伝える時には、相手を傷つけないように、遠まわしに表現してきたんだよ。
【萩野】
やんわりとお断りしてきたんですね。

【田原】
そう。それを考えると、特殊な言い方だと思うよ。
いきなり、何の前置きも無く「無理」って拒否するのだからね。

【坪井】
もし、先輩の私が後輩の萩野に何か頼んだ時に、「それって無理ですぅ」なんて言われたら、「なんだよ、やる前から」ってちょっと怒っちゃいますよね。

【萩野】
でも、これらの「無理」を用いる会話を聞いていると、使う側は悪びれた感じがないですよね。
例えば、好みじゃない男性から告白されて、そのエピソードを友達に

伝える場合。
「マジでアイツとはムリでしょ」という使われかた、よく耳にします。直接断る相手に対しても「ムリです」なんて言っちゃったりして。

【坪井】
確かに、ストレートないい方の割には、この断り方には深刻な感じがしませんね。
「そっか、無理なんじゃ、しょうがないか・・・。」って、言われた方も、深く傷つかないような・・・。
本音をストレートに相手に伝えるということも、時には重要ですもんね。回りくどく言われるよりスッキリしません?

【萩野】
でも、ストレートなようで、ストレートでないところがポイントだと思うんですよ。私があなたを嫌いなのではなくて、まるで他におつきあいできない理由があるかのような感じで。「自分の意思でなく」というニュアンスがあるから、断る方も罪悪感も薄れるし、言いやすいのでは?
ちょっとその気持ちもわかる…。
【田原】
もしかしたら、それが、この言葉の使い方の核心かも!
「無理」という言葉には「自分の意志というよりは、状況的理由によって、受け入れられない、あるいは、出来ない」という意味がこめられているからではないかなぁ。

当事者の自分をちょっと横に置いておいて(直接的な自分の意思の表明ではなくて)、否定したり拒否する表現だから、気楽に使えるのかも知れない。
「自分としては何ともいえないのだけど、状況としてそれは出来ないかなあ」っていう感じ。どこか、自分の意思ではなくて、だめなんだっていう感じがする。

だから「ムリです」って断られた方も、なんとなく「本人の意思じゃなくて状況的に無理なんだったら、しょうがないか」と受け取ってしまうのではないかなぁ。
相手の強い意志によって断られた感じがしないから、言われた方も深刻な感じがしないのではないのかなぁ。

【三人】
岩松先生!どう思います?
【岩松先生】
そうだね。まず、通常の否定の表現と併せて考えてみよう。
普段の会話の中では、否定を表すときには「〜ない」や「不〜」を使うケースが多いね。

冒頭の会話の「無理」を他の言葉に置き換えて考えてみよう。
服が「似合わない」「不似合い」「似つかわしくない」「不自然だ」という言い方になるね。
しかし、「無理」の中には、すでにその否定の意味が含まれているか

ら、「不〜」とか「〜ない」と言う必要がない。だから、「似合わない」と強く否定する必要がない。そして、いわれた方は言葉のもつ軽いノリの響きもあって、強く否定されたような印象を受けないかも知れない。

対人関係において、直接的に否定や拒否するのではなくて、それを婉曲的(遠まわし)に表現するのは日本語の伝統的な方法だね。それがここにも現れているのだと考えられる。

「服が似合わない」「今どきではない」という直接自己の表現としての否定ではなく、「客観的に見て、似合わないという意味」で「無理」といっているんだね。
ここには、自分がこう思う、というのではなくて、客観的な視点に話をすり替えて、間接的に否定しようという心理が現れているのではないかと考えられるね。

「無理」という言葉のこのような使い方には、自分としてそれは出来ないとか、不可能だっていう、自分にとっての都合をいうようでありながら、自分側の問題ではなくて、客観的に見ると、「出来ないでしょ」「不可能でしょ」と言う意味を重ね合わせて、否定や拒否を曖昧に表現しているのではないかと考えられるね。

はっきりと自分を主張して相手を否定するのは、場合によっては失礼に当たるし、人間関係に波風が立つのを恐れるあまり、このような言葉の使い方で、対人関係の摩擦を和らげる作用が あると言えるね。

【田原】
あぁ、そうすると、これは本来日本人のもつ、遠まわしに断るという伝統的な表現にのっとっていることになりますね!
ぶしつけな、否定・拒否に聞こえるけど、ある意味では、とても臆病な言い方かもしれませんね。客観論にすり替えて否定することで、自分が否定しているのではなくて・・・という効果も出てきますからね。
【岩松先生】
そのような使われ方が生まれてくる原因については、少し前までの「無理」という言葉の使い方を考えてみると、分かってくるんだよ。
「無理をする」「無理しない」などの言い方から、使われ方が変わってきたのじゃないかなあ。
「無理しなくていいよ」「無理するな」といういい方は、「理屈に合わないことをするな」とか、「道理に合わないことをするな」「不可能なことをするな」っていっているのではなくて、「あなたはやれば出来るでしょうけれども、必要以上に頑張らなくてもいい」という意味だね。

しかし、いま考えている用法は、だんだんこれらの使い方から、はずれてきている。

対人関係では「ご無理をお願いします」って頼みごとをすることがあるよね。
これには、相手にとっては「さぞ大変なお願いでしょうが、でもあなたなら出来るはずです、やってください」という意味を遠まわしに表しているよね。

このような言い方から、徐々に「無理」の婉曲語法が成り立ってくると考えられる。

そして、それがもっと広く使われるようになって、曖昧になってくると、「ちょっと自分には出来ないかなぁ」とか「ちょっと似合わないかな」とか「自分には合わないかな」と思うことに対して、「ちょっと無理なんじゃない」「それって無理かも」っていう軽い表現にまで、つながっていくのだろうと考えられるんだよ。

これらの用法は、対人関係をある一定の距離に保っておきたいという心理の表れではないかといえるね。使われる場面は多分フランクな会話が多いと思うけど、そんな近い人間関係の中でも、互いに突っ込まない、最後までは踏み込まないで互いのやり取りをしているのではないかな。

【田原】
これは、深読みかもしれませんが、否定や拒否を曖昧に表現するのは「相手から嫌われたくない」「いやなやつだと思われたくない」という、自己防衛の心理が現れているからではないでしょうか。
もっというと、相手との心の距離感が反映されているということにもなるのではないでしょうか。
【岩松先生】
そう、距離感が現れているね。それは、現代社会の人間関係の特色を映しているのだともいえるね。
普段のコミュニケーションの世界が、狭かったり、種類が少なかったりすると、どうしても、そこにいる人同士、ある一定の距離を保とうとするのかもしれない。
核家族で兄弟もいなくて、自分の部屋で過ごす時間が長かったり、話をする相手が学校のごく限られた友達だけだったりすると、余計に自分の空間や世界がはっきりしていて、仲のいい人とでも、一定の距離

を保とうとする意識が働くのかも知れないね。
そういった社会の背景が、言葉の中に映し出されているんだよ。

【田原】
こうして考えてみると、言葉ひとつ、いいかたひとつですが、
奥が深いですね。 ありがとうございました。
感想・次回予告★
【田原】
「無理」の使われ方の変化にも、時代の特徴が表れているんだね。

【萩野】
責任の所在を明らかにしない日本独特の表現方法がついにここまで!面白いですね。主語を明確にしない表現が一般的な日本語ならでは、という感じがしました。

【坪井】
言葉って時代とともに変わってくるという“生モノ”的な魅力もあって面白い!

次回は、今話題沸騰中の“あの言葉遣い”を取り上げます。

【田原】
こんな形ではじめた「日本語研究室」は、私達が言葉について考え、勉強していく場です。
時には、結論が出ない井戸端会議に終わるかもしれません。でも、アナウンサーとして、言葉のプロとして、常に疑問をもちながら、自分達なりに、しっかり考えていきたいと思っています。

皆さんからのご意見、大歓迎です!
「ちょっと違うんじゃない?」「こういう見方がある」などなど、ぜひ、私たちに教えてください!
    
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