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言葉の現場検証
  reported by 田原浩史

北朝鮮による拉致問題の解決に向けて、一歩前進となるのでしょうか。
ニュースで大々的に報じられたのでご存知だと思いますが、3月11日、拉致被害者田口八重子さんの長男耕一郎さんと兄の飯塚繁雄さんが、八重子さんから日本語を習っていたという金賢姫元工作員と韓国で対面しました。

このニュースを伝えるにあたり、金賢姫という女性の呼び方をテレビ朝日では「元工作員」としました。他社の報道では、新聞では「元死刑囚」と「元工作員」の両方を使用している社が多く、テレビではANN(テレビ朝日系)以外は「元死刑囚」でした。
元死刑囚・・・朝日、(読売)、(毎日)、(産経)、NHK、日テレ系、TBS系、フジテレビ系
元工作員・・・(読売)、(毎日)、(産経)
  *( )の読売・毎日・産経は両方あり

この事に関して、視聴者から賞賛の声が寄せられました。テレビ欄についての意見です。

NHKを含む他局はすべて、金賢姫を「元死刑囚」と記載していますが、テレビ朝日だけ「元死刑囚」という記載がひとつも無いので、さすがだなと思いました。確かに工作員としてやってきたことは許されることではありませんが、今回大切な使命を果たしている。良識ある判断だと思います。(60代男性) 一部抜粋

しかし、賞賛してもらえるこのような決断も、決して易しい判断ではなかったのです。

まず、「元工作員」とした理由を担当デスクは次のように説明しています。
・89年に特赦されてから、もう長い年月が経った。彼女本人に対する反感・処罰意識もほとんどない。(韓国では別ですが)
・ 田口八重子さんの家族との面会が迫り、いまや彼女が工作員として平壌にいた時代の日本人拉致被害者に関する経験などが、ニュースの中心となっている。
・ 本人は韓国内の情勢に反発して、「大韓航空機爆破事件」について、話さなくなった。
・ 日本国内の「死刑囚」だったわけではない。ニュースの内容に適合する呼称にしても問題はないはず。

これを元に、検討が重ねられました。
武隈報道センター長は、最終的に以下の理由で「元工作員」とすることにしたといいます。

死刑判決を受ける原因となった「大韓航空機爆破事件」よりも、田口八重子さんから日本語を習ったという工作員教育のための「日本人拉致事件」とのつながりの方が、今回のニュースは結びつきが強い。したがって「元死刑囚」よりも「元工作員」としたほうが視聴者にとっても、分りやすい。
今回の件に関しては、金賢姫は外国人であり、日本国内の事件で死刑判決を受けたのではないため、絶対に「元死刑囚」としなければならない理由はない。
また、すでに韓国内で特赦を受けているため、人権上の配慮も加味される。

しかし、一方で割りきれない思いも消えないといいます。

これが日本人だったら、どうなのか・・・。
日本の航空機爆破事件の実行犯で死刑判決を受けた日本人だったら、同様の表現となるのか。法的解釈、手続きを含め、幅広く整合性の取れる理論構築が出来るかというと、胸を張って首肯するのは難しい・・・。
今回は特殊なケースとして、このような判断が成り立つのだと思う。

ということでした。

視聴者の皆さんから多くの賛同、賞賛の声をいただいていても、まだまだ突き詰めて考えるべき問題があり、これが本当に正しかったのか、結論付けるのは難しいようです。

ニュースを伝えるために、私達は、言葉ひとつひとつに「分りやすさ」をもたせると共に、
その選択や判断が最適なのか、慎重に考え、表現に心を砕いているのです。
今回、金賢姫を「元工作員」とした判断には、このような背景があったのです。

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