トップ > にほんご学習帳 トップ > 言葉の現場検証
言葉の現場検証
  reported by 田原浩史

先日、放送の言葉について審議する会議(新聞用語懇談会放送分科会)に出てきました。
テレビ朝日アナウンス部からは、私と吉澤アナウンサーの二人が参加しています。

そこでの話題で「おや?」と思ったものがありました。
複数の意味を表す「ら・など」の使い方についてです。

複数を表す場合、人には「」物には「など」を使うと教えられてきました。
例えば、
「会場に集まった同級生が、優勝の行方を見守っています」
「被害者の家族が、署名を提出して救済を訴えました」
また、
「ビタミンなどを豊富に含んだ果物」
「使用済み医療器具などの産業廃棄物」という具合です。。

ところが、この会議の中で「」を人に使うと見下したような意味合いが出てしまうので
など」を使うほうが良い、という意見が出てきました。
最近は関西の言い方が流入してきて、
自分たちのことを「うちら」相手方のことを「あんたら」ということもよく見られます。
また、他の人達をさして「やつら」というと蔑んだ言い方になるため、
」を使うのは避けたほうが良いというのです。

また音韻的にも、ラ行の音よりもナ行のほうがやわらかく聞こえるため、
「ら」よりも「など」を人に使うほうが適しているのではないか、
という意見もありました。

そこで、辞書を引いてみると・・・。


辞書では

広辞苑・・・ら[等]
@体言の下について複数を表す。
A人を表す名詞や代名詞に付いて、親愛・謙譲・蔑視の気持ちを表す。

大辞林・・・ら[等]
@人を表す名詞・代名詞、また指示代名詞に付いて、複数であることを示す。目上の人を表す語には付かない。〔自称の代名詞について謙遜の気持ちを、話して以外の人物をさす語についてその人に対する軽い侮蔑の気持ちを表すことがある。〕
A名詞に付いて、語調を整えまた、事物をおおよそに指し示す。
C人を表す名詞や代名詞に付いて、謙遜または蔑視の意味を表す。自分に対する謙遜の気持ちは時代が下がると共に強くなり、相手や他人に対する蔑視の気持ちは古くは愛称としての用法ともなる。。

明鏡国語辞典・・・ら[等]
@人を表す名詞に付いて、複数であること、他にも同類があることを示す。(表現)人を表す語に付く場合はしばしば謙譲または蔑視の気持ちを含む。目上の相手については使わない。

日本語新辞典・・・ら[等]
@主として人を表す名詞に付いて、複数であることを示す。
一人称の代名詞に付くと謙譲の意を、二人称の代名詞などに付くと蔑視、親愛の意を添えることが多い。
A名詞に付いて、おおよその方向、場所、時などを示す。
  

辞書の意味だと、このようになります。
複数を表すだけでなく、親愛・謙譲・蔑視の意味合いが含まれる場合もあるのです。

しかしアナウンサーとしては、人には「」、物には「など」を原則として使いたいと思います。
吉澤さんも同様の意見でした。

そこで、報道のデスク(その日のニュースの編集責任者)に聞いてみました。
・・・・・・・私たちアナウンサーはニュース原稿に書かれた言葉や表現について、
常にデスクに相談したり意見を交わし、確認・修正しています。・・・・・・・


すると、人によって意見が分かれました。
北京支局特派員などを務め、報道番組に約20年携わってきた安江デスクは、
私たちと同じように「人には、」「ものには、など」を使うと言っていました。


安江デスク

しかし、武隈報道センター長は
「たしかに、人に  を使うと、やや軽んじている印象を受けることもある。
は原稿の言葉ではニュートラルかもしれないが、
など や たち を使う状況もある。
話し言葉で  を使うことは稀だろう」ということです。


武隈報道センター長

報道の現場でも、人それぞれ言葉に対する感覚が微妙に違うため、
常にそのニュアンスをめぐって議論になります。
特に放送直前に入ってくる原稿ほどその対象になることが多いため、
短時間で決着をつけなければなりません。まさに時間との戦いです。
 
ところで、話は戻りますが、
これまでに、この会議で審議された内容をまとめた本
「放送で気になる言葉 改訂新版」2003年3月発行では、
次のように説明しています。


この本が役に立ちます

 アナウンサーの世界では、人間には「ら」を使えと教えられた時期があり、硬いニュースなどでは、「○○幹事長ら」のように使っているが、社会的な話題などでは、「たち」「など」を主流にしたほうがよい。
 「たち」と「など」の違いは、「たち」が単なる複数を表すのに対して、「など」は例示の性格を持つことだろう。「友人など」は友人以外の人々を含むことになる。
 なお、「ら」にも例示のニュアンスがある。A・B・C 3人を示すときの「Aさん、Bさん、Cさんら」の「ら」は、これ以外にもいるような誤解を招くから使わない。
 日本語には単数・複数の意識がもともと薄いので、複数であることを特に示す必要が無いときには、省くことがむしろ望ましい。

「ら・など」の使い分けは、「人・物」というだけではなく、内容によって使い分けなければならないようです。そこで例を挙げて考えました。

 

肩書き 「幹事長」 自民・公明・民主の幹事長が・・・ ○(問題なし)
    自民・公明・民主の幹事長などが・・・ ×(他の役職も含まれる)
    自民・公明・民主の幹事長たちが・・・ ×(悪い意味に聞こえる)
職種 「神主」 新年の準備のため、神主が・・・
    新年の準備のため、神主などが・・・ ×(神主以外も含まれる)
    新年の準備のため、神主たちが・・・ ×(失礼な感じがする)
  「僧侶」 本堂に集まった僧侶の読経の声が・・・
    本堂に集まった僧侶などの読経の声が・・・ △(僧侶以外も含まれる)
    本堂に集まった僧侶たちの読経の声が・・・
年齢 「子供」 登校中の子供の列に・・・ ○(あまり使わない)
    登校中の子供などの列に・・・ △(子供以外も含まれる)
    登校中の子供たちの列に・・・
  「お年寄り」 一人暮らしのお年寄りのもとに・・・ ○(あまり使わない)
    一人暮らしのお年寄りたちのもとに・・・
    一人暮らしのお年寄りなどのもとに・・・ △(それ以外も含まれる)


            
ここでは、あえて「」を使うと蔑視するニュアンスが出てくるか調べるために
「神主」「僧侶」などの神や仏に仕える人を例に挙げました。
前にくる言葉によって、失礼な感じがあったり無かったりします。
「こども」や「お年寄り」にはたちのほうが結びつきやすいのでしょう。
「ら・など・たち」の使いかた次第では、蔑視だけではなく、
他のものを含むかどうかという意味合いも出てきます。
たったこれだけの例を見ても、ケースバイケースで最適な言葉を選ぶ必要があります。


直前までチェック

冒頭にあるように、かつては「これが当然」だったことが20年以上経つと、
それは違うのではないか?という疑問が生まれ、
どちらが正しいのか揺れ動いています。
「ら・など」の使い方は、言葉は時代と共に揺れ動いてゆく、よい例だといえます。
上記の本が発行されてから、まだ5年しか経っていないというのに、
言葉遣いについて、違う考え方が出てきています。
このようにして言葉遣いは揺れ動き、変化していくのでしょう。


次回もお楽しみに!

冒頭の会議は、NHKはじめ在京キー局・在阪の準キー局に加え、
通信社、ケーブルテレビ局のアナウンサーや解説委員、用語担当者など*
構成されています。
局や立場の壁を越えて、言葉について審議しています。
折に触れて、またお伝えしようと思います。

ここでは、肩書きの例示のため「など」を使ってみました。
「ら」でも違和感はありませんね。

-----------------------------------------------------------------

ニュースに関して、視聴者の方から以下のようになご意見をいただきました。

「天皇 皇后 らは」と言ってますが「らは」は失礼ですよ。
ご意見をいただいた方の年齢と件数は、
男性 70代:2件 計:2件
女性 60代:2件 計:2件

このように、「ら」「など」はどの言葉に続くかによって、受け取られる印象が違います。
原稿を書いた記者とデスクは、失礼は無いと判断したのでしょう。
しかし、年齢層によっても言葉に対する感覚が違うこともあります。
言葉の選び方、使い方は本当に難しいですね。

トップ > にほんご学習帳 トップ > 言葉の現場検証