午後0:00〜午後1:00 共同制作 東日本放送 福島放送 岩手朝日テレビ テレビ朝日

 去年3月、東日本大震災直後の報道特番「100時間の全記録」の伝言中継や、「つながろう!ニッポン」で放送した被災した人々からのメッセージ。 被災した当人が登場し、連絡が取れない家族や知人にテレビを通じてメッセージを伝える。 それは、テレビというツールが何か被災者のために役立てることはないか、悩んだ末にたどりついたテレビ界初の画期的手法でした。 5歳の保育園児から97歳のお婆ちゃんまで、500人近い人々がテレビ画面を通じてその思いを訴えたのです。

 あれから1年が経過した今、私たちに伝言を託した人々を訪ね歩き、その後たどった運命と近況を再びメッセージとして伝えてもらいます。
何が変わって、何が変わらなかったのか? 探し人は無事に見つかったのか?
復興の夢や、故郷に帰りたいという思いは叶ったのか?
そして、それぞれが抱える今の思いとは・・・ 支援してくれた人々への感謝。 政府や電力会社への怒り。 今、一番欲しいもの。 もうここにはいない愛する人々の思い出。

 1年後のメッセージを、再びありのまま伝えたいと思います。

ナレーター・ナビゲーター:村上弘明


実家を襲った津波の高さを示す

被災した実家で思い出の写真を見つけた

1956年12月、岩手県陸前高田市の海辺の町で生まれる。 両親が住む実家は津波に襲われて大規模半壊となった。 両親は無事だったが、着の身着のままで高台にある広田小学校に避難し、しばらく連絡が取れなかった。

再びメッセージを寄せてくださった皆さん ※その一部をご紹介します

家族を探して 1年前の3月、「お父さんと、次男がまだ見つかりません。これから探しに行きます」と伝言を寄せた陸前高田市の熊谷陸子さん。 反対を押し切って屋外で避難誘導していた夫の遺体が発見されたのは、呼びかけの1週間後だった。 「1人では生きていけない」と八王子の長女の元に身を寄せた陸子さんの心の支えとなっている、ささやかな楽しみとは・・・
故郷に戻りたい 福島県郡山市のビッグパレットふくしまから、「富岡第一小学校の皆さん、元気ですか?僕たちは元気です」とメッセージを寄せた仲良し3人組。 その後、故郷の富岡町には戻れず、福島市、郡山市、大分県中津市に離れ離れになった彼らをビデオレターでつなぐ。
原発のカゲ 福島県相馬市の中村第一小学校の避難所から、「早く学校に行きたいです」と訴えた竹澤五月ちゃん。 今は相馬市の自宅に戻っているが、自宅の線量は毎時0.4マイクロシーベルト。 放射能対策で登下校は車で送り迎え、飲料水は水筒を持たせている。
復興への第一歩 宮城県南三陸町のベイサイドアリーナの避難所から、「職員2人を亡くしたが、残ったみんなで力合わせて絶対、のぞみ福祉作業所を復活させる」と誓った宮川弘子さん。
去年9月、ついに福祉作業所を再開し登米市の仮設住宅から通っている。 2月末には、復興商店街で床屋も再開する。
未来をみつめて 宮城県の気仙沼市役所の避難所から、「野球がやりたい」と訴えた岩淵竜くんは本吉響高校のエース。 グラウンドに支援部隊が駐留したため、隣の高校に通って練習を続けたが、夏の大会では惜しくも1回戦敗退。 春から社会人の第一歩を踏み出す。
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