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オーストラリア編 撮影日記

メルボルンの街中を走るトラム
日本語繁盛記
オーストラリアの旅もいよいよ後半戦にさしかかった。相変わらず、乗客の中には撮影拒否の人がいるので、慎重に取材を進めていると、シドニーからメルボルンへ向かう列車のデッキで、日本語で話しかけられた。母親と娘さんの親子連れ。向こうから話しかけられるとすごく嬉しい。今回は、日本語なのでなおさら。実は、オーストラリアの列車に乗っていると、日本語で話しかけられることが案外と多い。しかも、話しかけてくるのは子供で、女の子の場合が多い。オーストラリアは英語圏だが、日本語を喋れる人が意外と多いのではないか、と気になりはじめた。バングラデシュやイランなど、かつて日本に出稼ぎに来た人たちが多くいる国に行くと、日本語を喋れる人が大勢いる、ということは理解できる。何故、オーストラリアで日本語がこんなに浸透しているのだろうか。その理由をコーディネーターに問うてみた。
今回のコーディネーターは、群馬県の出身で、15歳の時に渡豪し、以来20年間オーストラリアと関わって生きてきた日本人女性だ。クリーブランドのコアラやベンディゴの金鉱などで、時々番組にも出演していただいた。コーディネーターによると、オーストラリアで日本語が親しまれる理由はこうである。
1970年代から2000年代にかけて、小、中、高、大学を含めて日本語を教えるところが増えた。特に、小、中では日本語が選択科目にもなっている。今では、この国で一番広く教えられている外国語が日本語だそうだ。オーストラリアと日本との関係が重要なため、政府が日本語教育の場を促進したからである。学校では、語学と一緒に日本文化も教えるから、日本のいいイメージも印象づけられていく。こうして、オーストラリアでは親日家が増えているのだという。
列車で旅していても、親日家が多そうだということは感じられる。
西洋文化圏ではとても珍しい現象で、日本人としては、とても喜ばしいことではないか。自然、風土、文化は大きく異なるが、オーストラリアに対し、親近感が湧いてくる。そう言えば、サッカーではオーストラリアはアジアに属する。西欧よりも、アジアに近い国オーストラリアが実感できるようになった。
ディレクター 浦野 俊実
コンニチハと挨拶してくれた親子
日本語で数字を数える女の子