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<第一話> というわけで、スペインにやって参りました! いやー、皆さんもお聞きになっていると思いますが、スペイン、暑いです。そして、太陽がめちゃめちゃ眩しいです。その上、町が石でできているものだから、その照り返しがまるでレフ板のようであります。もっとも、そのお陰で目の悪い私でも、ずーっと遠くまでクッキリと見渡すことができたりします。 今回のルートは、スペインでは比較的注目されることの少ない「北」がテーマです。 スペイン北部。もちろん、私も初めてです。アラゴン、カンタブリア、アストゥリアス、ガリシア等、地名も「ああ、聞いたことあるような・・・」という、まあ、何ともモノを知らない人間でお恥ずかしい限りでもありますが、それだけに新鮮な発見や驚きがあるのではないかと、ひそかに期待も膨らむのでありました。 でも、さすがはスペインと言うべきか、北にも見所はびっくりするくらいたくさんあります。スペインお約束のムデハル様式の建築もあれば、壮麗な大聖堂もありますし、ユネスコ世界遺産ゥ登録も、ぞろぞろといった感じです。それにしても、昔は(失礼!)本当にすごかったんですねえ。でも、そんな歴史をもしみじみと感じさせてくれる旅になると思いますよ。 スペイン北部は、また、豊かな水に恵まれているそうで、スペインの一般的なイメージとはちょっと違った、急峻な山脈や、緑があふれる景観が広がっているのだそうです。民族や文化も多彩だということで、うーん、どうもイメージできなくて困るのですが…。 とりあえず、最初は近郊列車に乗ってマドリッドからアルカラ・デ・エナーレスへ。続いて、タルゴ特急でサラゴサに向かいます。スペイン、列車はすごく近代的でちょっと驚きました(これまた失礼!)。タルゴ特急なんて、最初は1950年に登場したということなのですが、何だかとても先進的な技術が盛り込まれているようです。 そんなわけで、スペインはなかなか深いですよ。
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<第二話> テレビの取材をしていると、 よく、まあ、「歴史のある町」とか、「歴史的建造物とか」、見に行く機会があるわけですが、スペインを旅していて感じるのは、「どの町もそうじゃん」ということだったりします。 列車に乗って、走っていくと、日本みたいに、線路沿いにどこまでも家が続いているようなことがありませんから、ハッキリと「次の町」に着いたんだな、ということが判るわけですが、スペインの場合、それぞれに、お城があり、立派な教会があり、石畳の道があります。 で、大抵の場合、それは何百年前からそのままだったりするわけです。 うーん、何だか知らないけど、昔のスペインってとてもとてもお金持ちだったのかなあ…と不思議に思い、また、どうしてぶっ壊して安っぽいビルとか建てなかったのかしら…と、これまた不思議に思ったりします。それって、日本人の発想なのでしょうか。 それとも、空襲で焼けなければ、大丈夫だったりするのだろうか。 そういう長い歴史を持つ建物に住んでいると、何か特別な感慨があるものでしょうかねえ。 それとも、単に崩れそうとか、不便な間取りとか、そういうことなのでしょうか。 勝手に増改築してはならないとか、色々なことがあるのかなあ。 でも、ホテルには、そういう建物があったりしますね。スペイン国営パラドールなんかは、その代表ですけど…。 と、まあ、それはともかく、とりあえず大問題は、似たりよったりな雰囲気が続くと、映像的な感動が薄れると予想されることでありまして、何だか心配になってくるのでありました。 うーん、しかし、私ってば幼少時より一貫して歴史の成績が悪かったのですけど。 だから「中世」って、いつの時代なのだか、定義は何なのでしょうか。 何となく、平べったくて、顔の大きい宗教画が描かれている間が中世だと思ったりしますが。 そんなわけで、「アラゴン」などと言われても、「指輪物語の人だっけ?」くらいの無知さを露呈してしまう私にとっては、スペインの歴史は手強いです。レオンと言われれば「ネクサス6?」を連想してしまう。 カンタブリアと聞けば「アンモナイトの化石が見つかる地層ですか?」などと大ボケをかましてしまうのでありましたが、 でも旅は続いていくのでした。 ああ、もう、大丈夫だろうか。本当に。
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<第三話> さて、スペインも三週目に突入しました。時差ボケもすっかり消えて体調も上々です。 体調がよくなると、食欲も急上昇してきます。ロケの間は、大体、早朝から深夜まで動いていることが多いので、よく食べます。スペインのような国は、大変に危険でありまして、美味しいものが、結構ありますから…。結果、帰国するころには、何だか太っていたりして、いくら「大変なロケでした」と報告しても、プロデューサー様からは「ふーん、そうですか」と、疑惑のまなざしでギロリと見られてしまうのです。 うーん、では、スペインであんまり美味しくないものの話をしましょうか。 これは、なかなか難しいのですが、私にとっては、トルティーヤのサンドイッチですね。野原の真中で走ってくる列車を撮影しようと待ち構えている時に食べたのですが…。 トルティーヤというのは、スペインの厚い卵焼きで、ジャガイモが入っています。 これだけでも、かなり口の中がモサモサするのですが、でも単体でなら美味しいんですよ。 でも、それをパンの間に挟むっていったい…? 口を思いっきり大きく開かないと、かじることができないばかりか、そのまま喉に詰まりそうな容積であります。それに、そもそもトルティーヤにはあんまり味がないから、サンドイッチの「具」として、非常に不適切だと感じるのですが。 どうして、これをサンドイッチにしようと思ったのだろうか。 …っていうか、それじゃないのを買えばいいんですけどね、単に。 となりには、ハムとチーズとか、そういう定番のサンドイッチがあるわけですから。 さて。 今回、乗車した列車は、ピレネー山脈のカンフラン駅が終点です。 私は、子供のころから、何だか岩山と森と川というセットが好きでありまして、氷河が削った谷なんぞあろうものなら、つい嬉しくなって見とれてしまう性癖があるものですから、このルートは大変に気に入りました。 もっとも、日差しはこれまでにも増して強烈でしたが。 カンフランは、冬には、スキー・リゾートとして賑わいます。 そういえば、かつては、この鉄道は、カンフランから、さらに北に国境を越えてフランスへと続いていたわけですが、今はカンフランが終点になっています。 で、そもそも、この路線が問題になったのには、このスキー・リゾートが影響していたらしいです。 要するにスペインのスキー場の方が安かったから、フランスのスキーヤーたちがスペイン側に来てしまって、フランス側のスキー場は商売にならない。 そこで、フランス側では「この憎っくき鉄道さえなければ」という空気になっていたとか・・・。 そこに幸い、鉄橋が落ちてしまったので、「お金がない」を理由に、この路線は幻となってしまったのでした。 でも、EUになったこともあって、再び建設するという計画もあるらしいです。 数年後には、「世界の車窓から」で、そんな旅が放送できたらいいですね。 それにしても、サラゴサからカンフランの列車は、私たちが乗った列車も、戻っていく所を撮影した列車も、翌朝撮影した列車も、ちょうど1時間、それって、要するにそもそも時刻表に無理があるということなのではないかと思うのですけど。 撮影の予定が何かと振り回されています。
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<第四話> スペインというと、とにかく昔はすごかったという、独特の物々しさがありますね。 ヨーロッパには、色々と「昔はすごかった」ということはあるわけですが、スペインの特徴は何だろう。うう、よく判らない。石か。 あ、石と言えば、都庁に使われている石材はスペインから送られたという噂を聞きましたっけ。そうなんですか?聞いている場合じゃないか。 今週は、再びマドリッドから、今度は北に向かって出発しまして…。 最初に到着したのが、ブルゴスです。 ブルゴスの大聖堂は、なかなか、上記のスペインのすごさを感じさせてくれるものがありました。 まず、とにかくデカいです。いえ、もちろん、もっと大きな大聖堂はいくつかあるのは知っていますけど。 でも、何というか、まあ、数字じゃないデカさが感じられます。 そういえば、コーディネーター様に聞いた興味深いお話がありました。 こうした、大聖堂の門の彫刻などに、時々????と思われるものが混ざっていることがあります。 あれは、何なのかと思ったら、要するに、中世と言えども、誰もがキリスト教を信奉していたわけではないのだそうです。キリスト教が嫌いなのに、無理矢理に彫刻製作に動員された職人などが、ちょっとした仕返しにふざけた顔を彫ったりして、それがチェックをすり抜けたりしたのだということでした。ちょっと、その職人の人に親近感を感じたりして。 この大聖堂には、レコンキスタの英雄として知られるエル・シッドのお墓もあります。 残念ながら、ちょっと工事中でありましたが。 エル・シッド、本名ロドリゴ・ディアス・デ・ビバルは、何でも、近くの村の出身らしいのですが。 バレンシアを1094年に陥落させました。シッドとは、アラブ語のシディ(首長というような意味らしい)から来ているのだそうです。 確か、チャールトン・ヘストン主演で映画になっていますよね…。こどものころ、テレビで見ました。 最後は、死んでしまうのですが、そのまま馬に乗せて城から送り出すと、敵がびっくりして逃げるというエンディングだったと思います。「死せる孔明、生ける仲達を走らす」みたいで、三国志のパクリだったのでしょうか。いや、でも、日本にも弁慶立ち往生の話があるしな。 英雄物語の定番のひとつなのだろうか。 案内をしてくれた、大聖堂の神父さんによれば「システィーナ礼拝堂より上」な礼拝堂もあるのだというようなことでしたが。 うーん、この発言は…どうなんでしょかねえ。 まあ、上下を争うものでもないように思いますけど。 ああ、全然関係ないけど、スペイン語も謎なんですけど、私。 よく、「日本人にも発音が簡単」などと云われますけどねえ。 うーん、謎というのは、例えばllaなんかがそうなんですけど。 これ、「ジャ」と読む人がいるでしょ? いるんですよ。 セビージャ、とか、カスティージャとか、マハラージャ、はスペイン語じゃないや、えーっと、まあ、そういうことです。セビーリャとか、カスティーリャ、が正式なのだと思うのですけど。単なる地方訛りということなのでしょうか。 あ、で、ブルゴスです。そうそう。 そういえば、ブルゴスは、ちょうどお祭りの最中ということで、私たちも 期待していたのですが、少なくともこの晩は、ステージでバンド演奏があって、後は飲んで歌って踊って、という、それだけのことでありました。それって、スペインの普通の週末と同じじゃないの? まあ、夜の11時ころに花火がありましたけど。 日本なら苦情が殺到しそうな時間帯ではありますが、撮影隊は、既に疲れてホテルで寝ておりました。
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<第五話> いやー、やっぱり海はいいなあ。真っ青な海、砕け散る波、照りつける太陽。 海の、この、独特な開放感というのは、何なんでしょうねえ。それにしても、山と海はお天気がよくて何よりでした。撮影は、とにかく天気が命ですから。これで、海が灰色、山は見えない、世の中真っ暗、人々険しい表情、というのでは、がっかりです。 まあ、「世界の車窓から」は、番組自体が日記みたいなものですから、 それならそれで「ここからは、美しい山の景色が見られるとのことですが、今日はあいにくの曇り空で見えませんでした」ということで列車は走り過ぎていくわけですけど、そういう時のスタッフ一同のじくじくたる思いたるや。そして、編集する時に、また、そのじくじくを繰り返し味わうというわけです。 いえ、もちろん、灰色の海も、感動的な場合はありますよ。でも、スペインじゃなくてもいいですよね、それは。 スペインで「海」と言えば、まずはコスタ・デル・ソルが思い浮かぶのでしょうが、他にもコスタ・ブランカとか、コスタ・ブラバとか、このロケの後半で走る予定のコスタ・ベルデなど様々な海岸があります。 でも、まあ、有名どころは、基本的に地中海に面しているところだったりするのですが、スペインは半島ですから、実はかなりの部分が海に囲まれているのです。 サンタンデールは、スペインの北岸。カンタブリア海に面した町です。 特に特徴のない町ですが、それは、大火でほとんどの建物が焼失してしまったからかもしれません。 で、じゃあ、サンタンデールの特徴は何なんだ、と訊かれると、実は少し困ってしまいます。 普通のビーチに、普通に家族連れが、遊びに来ているという感じです。 でも、王室が昔から夏の保養地として利用していて、その宮殿もありますから、日本で言えば葉山になるのでしょうかねえ。 あと、マドリッドを離れて、地方に来ると、ひとつ安心するのが、 「首絞め強盗」がいないことです。いえ、そりゃあ、強盗さんも移動するかもしれないですけど、一応、マドリッドとバルセロナが二大危険地域と云われておりますようで…。 マドリッド市内を撮影する時なんか、コーディネーターさんはピリピリし通しでした。 観光客が行く場所、すなわちスペイン広場や太陽広場がもっとも危険だということで、「ここにいる人は全員が泥棒だと思ってください!!!」と 厳重に注意をされました。 いやー、でも、全員が泥棒で一度に襲ってきたら、どうしようもないんだけどなあ。 それにしても、北に来ると、本当にスペインっぽくないです。 緑に覆われた山がうねうねと続き、清流が流れ、川の両岸には木が生い茂っています。 牛が草を食み、何だかのどかな風景です。建物も、何というか、普通っぽいんですよ。 普通って何だよ、というツッコミは、まあ、あるでしょうけど。 もちろん、だからこそ、人気があるということはあるんですよ。 私たちも、既にスペインに何日もいますから、この瑞々しい風景は、新鮮で気持ちいいです。 うーん、他には…そうですね、素通りしたパレンシアの話でも書いてみますか。 パレンシア。 バレンシアではありませんよ。 ちなみに、今回は、後日、バレンサという所にも行く予定がありますが…。 こういう言葉の語感って、どうなんだろ。日本語だったら、ある種の勘というのか、感覚というのか、あると思うのですけど、外国語だと皆目見当がつきませぬ由。 と、すぐに脱線しますが、パレンシアです。 パレンシアは、歴史もあるし、かなり大きな町なのです。周りは穀倉地帯で、その集積中心的な役割もある他、様々な産業があるようです。 が、あんまりパッとした見所がないのです。 何故かと思ったのですが、何でもスペインでは1520年ころに、国王に対する都市の反乱があったのだそうで。 その時の、盟主的な役割をパレンシアは果たしてしまったらしいです。 だから、その後様々な意地悪をされてしまって、何だか繁栄できなかったみたいなのでした。 他に、印象的だったのは、とにかく自転車が多いことです。 サラゴサでも、自転車巡礼親子に出会ったけど。 スペイン人って、ほら、あんまりフィットネスに熱心という印象じゃなかったので、私はかなり意外な印象を受けました。 こういう、山や湖などのある地方を行く列車は、自転車乗りの人たちが ぞろぞろと乗り込んでくるのですよ。 ほとんどの、自転車ライダーは、衣装から何から、バッチシという装備です。 もちろん、隣の町まで商いに行きます、というような自転車乗りのおじさんなんかもいますけどね。 自転車乗りの人たちも、普通にホームで待ち、ステップのある乗車口から乗り込むので、これがなかなか大変です。 んでもって、多分、野山で何時間か自転車した後は、また列車で帰るんでしょうねえ。 それはもっと大変なような気もするけど。 まあ、でも、自分たちの心配をしている場合なのでしょう、私たちとしては。
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<第
六話> 突然に、冬になりました。 レオンの朝は、15度です。町を行く人がコートを着ています。 そんなわけですから、番組を見た人は「これ、昔、冬に撮影したのを混ぜて放送しているんじゃないの」などと 思わないでくださいね。 しかし、まあ、元々レオンの辺りは、寒いは寒いみたいで、窓が二重になっている建物がたくさんあります。 天気もぱっとしないです。どんよりと曇った空。 うーん、スペイン北部には「水着の上にレインコートを着て行け」などということわざもあるとかで、 本来、雨が多い地方なのだそうです。雨の多いスペインというのも、何だかピンと来ないのですが、 まあ、そういうことです。こういう天気が続くとヤバイよなあ・・・と、 心配しつつも、お天気には勝てない撮影隊なのでありました。 さて、レオンです。 レオンも、中世には羊毛で富を築いた町のひとつだそうです。 そして、ここにも、巨大な大聖堂があります。 ほら、そこ!「また大聖堂かあ」などと落胆しないように レオンの大聖堂は、ちょっと違いますよ。ステンドグラスで世界に名をはせているのです。 「ステンドグラスがすごい、って、まあ、でも、ステンドグラスくらい何処にでもあるんじゃないのぉ?」 などと、油断して訪れた私は正直大変に驚きました。 ステンドグラスだらけ、なんですよ。もう、ずらーっと、ステンドグラスです。 いやあ、一点豪華的なものと違って、空間全体というのは、雰囲気が全然違います。 スペインの大聖堂って、例えばイタリアのような壁や天井が絵画だらけというような 気持ちのよさは、少なくともこれまでなかったですけれども、 ここは、なかなかよいものを見たという気がするわけです。 ここのステンドグラスは、13世紀から20世紀まで、様々な時代に作られたものがあります。 古いものは、さすがに、暗いです。ガラスの不純物が多いためだということです。 もっとも、それが味わいだったりもすると感じますけど。 また、遠いとか、小さいとか、そういう見にくさもあるので、双眼鏡なんぞを持ってくるのが 正解かもしれません。あと、やっぱり見上げつづけるのは、首とか痛くなりますけど。 ステンドグラスに描かれている内容は、もちろん、聖書の様々な場面ですとか、聖人たち、預言者たち、 教皇たち、王族、さらに竜やその他の動物、植物、それから中世の生活を描いたものもあります。 紋章もありました。 あ、紋章で思い出したけど、レオンって、ライオンのことなんですよ。 ライオンと、お城の紋章をよく見かけましたが、これがカスティーリャ・レオンなわけです。 町の中を見渡しても、橋の横にはライオン像があるし、 町のあちこちに、ライオンのロゴマークがあったりします。水道局のマンホールのふたとか。 そういえば、私は初めて知ったのですが、アストゥリアス王国の首都がオビエドからレオンに移って、 レオン王国と呼ばれるようになり、そこからカスティーリャと統一して、カスティーリャ王国が誕生し たのですねえ。 で、どんどん、親国を凌駕して育っていったというわけです。 そういえば、スペインの中世に興味を持つには大変によいマンガがあります。 アルカサル −王城― (青池保子作) 12巻で完成していないのですけど…。 それって、多分主人公が最後には負けちゃうからじゃないのかなあ。 内容は、14世紀、ペドロ1世とエンリケ2世との争いを中心にした物語で、 アラゴン王ペドロ4世や、ポルトガル王ペドロ、えーっと、何世だっけ。 どうして皆、ペドロなのだろうか…。 と、まあ、そういうことです。 カスティーリャは内戦になり、アラゴンとも戦争が続き、グラナダが離反したりしまして。 だから、ソリアに侵攻、とか、シグエンサに幽閉とか、 ブルゴスで会議とか、カラタユーが陥落とか(適当に書いてます)、今回旅した場所が ページをめくると、あちこちに散らばっておりまする。 それにしても、まあ、三国志とか中国歴史ものを読んでいてもそうですし、 イギリスなんかも、そうなんですけど、スペインも激しく裏切りやら暗殺やらが続きますねえ。 どういう利害の計算の上に裏切りは成り立っているのだろうか。 だってね、一応、現在でも自分は貴族で領主様なんですよ。 まあ、いいじゃないですか。それで普通にやっていても。 というのは、敵方と内通した場合のリスクを考えてみると…。 1.内通がバレて死刑。 2.内通はバレないまま戦争に突入したものの、結局負けてしまって戦死又は死刑。 3.戦争には勝ったものの、戦死。 4.戦争には勝ったものの、結局新王が裏切って褒美をくれない、又は死刑。 これほどの危険を冒してまで、より広い領土、より高い身分が欲しいのかなあ。 しかし、一方で、「契約書」が厳しいですよね。日本の中世がどうだったのか、よく知りませんが。 スペインでは、何かというと、やはり、契約だし、ルールだし、王様だし、 というあたりが、興味深いところでもあります。 あ、話が脱線しまくりでしたが、そんなわけでレオンでした。 ここから、西に向かって、“本場”リアス式海岸に行きます。
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<第七話>
スペインの旅も、そろそろ終わりに近づいてきました。何か、すごく遠くまで来た気がします。
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<第八話>
さて、いよいよ今週からはポルトガルです。
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<第九話>
ポルトガル第二の都市、ポルト。私は初めて来ました。っていうか、まあ、今回旅をしている所はほとんど全部が初めてだったりしているのですが。でも、やっぱり町はどんどん変っているようです。ドン・ルイス一世橋。上は、車通れなくなって遊歩道化。そして、ポルトの対岸、ガイア市の川べりは、何かオシャレなレストランがずらり。あと、地下鉄の工事が盛んに行われていて、その影響か、ポルトガル自慢のタイルがバラバラと落ちたりもしているのだそうです。
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<第十話>
ポルトガルにも山岳地帯があるって、知っていましたか。私は知りませんでした。まあ、山と言っても、日本から見ればかわいい2000メートル未満ではありますが。んー、でも、知らなかったです。「お前が知らないだけだろ!」と言われれば、まあ、その通りなのですけど。というわけで、今週は、コインブラから、東へと進み、山を登って行くのでした。
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<第十一話>
というわけで、スペイン・ポルトガル、11週に及ぶ列車の旅もいよいよ終わりの時がやってきました。くすん。くすん。コインブラから、海岸線を南へと下り、首都リスボンへ…。さすがにポルトガルに来てからは、ポルトの濃霧とか、真っ白なブラガとか、ちょこちょことお天気に翳りが見えてきていたのですが、海岸の町、フィゲイラ・ダ・フォスに行く日は、とうとう雨。で、その海岸は、まったく見事なまでの寂しさでありました。まだ7月だけど、10月あたりの日本の海に行った気分?何だか、ポルトガルでは、海に行くとなると、天気がよくないということが続いているような…。これも日頃の行いか?
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