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撮影日記1 「エクアドル最初の夜」

成田からロサンゼルス、マイアミと乗り継ぎ、そこで一泊し、さらにもう1回飛行機に乗って、ようやく南米エクアドルの首都キトに辿り着いた。2日間かけての大移動だ。ヘトヘトになって夜遅く空港のゲートを出ると、待っていたのは、予想だにしないことだった。今回の南米コーディネーターの山口さんと挨拶をかわした後、次のような言葉を聞いたのだ。
「あの、大変言いにくいことなんですが、“例の列車”、走らないことになったんですよ。私も今、聞いたところでね…。どうしましょうねぇ。」
私の頭は完全にホワイト一色だったと思う。「えっ…!?」といったきり、しばらくまともな言葉が出てこなかった。しばらくっていっても1週間ぐらい。

山口さんが言う“例の列車”とは、2ヶ月以上前から入念に計画し乗車しようとしていた「屋根の上に乗る列車」のことだ。貨物列車の屋根に乗客達が座り、アンデスの絶景を堪能できるという凄い列車で、そんな列車は世界でもエクアドルだけしかない。当然、それに乗車すれば、もの凄い映像が撮れるに違いないと楽しみにしていたのだ。それが、どういう訳なんだろうか。
「鉄道会社とずっとコンタクトをとっていた。そしてずっと2ヶ月間、やりとりして撮影許可をもらった。で、今日の夕方にね、こう言われたんですよ、“実は走ってないんだよね。え?何で教えてくれなかったのって?そりゃ聞かなかったからさ…”。立川さん、つまりね、これが南米なんですよ。」

要するに予定外のことがいきなり起きるんだなと、ガツンと教わることになったのだった。しかし40時間かけて到着して、そりゃないよと思いながら、荷物を積んでいると、私のスーツケースが見当たらない。マイアミからキトへの直行便で、何故か私のものだけが“間違って”ジャマイカへ行っているという。何故、直行便で??これも南米だから??翌日から歯ブラシもシャンプーも着替えも無いまま、そして、何より、乗車する予定の列車が無いままロケが進もうとしている…。これまでにない危機感を感じつつ、エクアドル最初の夜が過ぎて行った。

ディレクター 立川修史
キトの街並
赤道記念碑
乗車予定だった屋根の上に乗る列車
撮影日記2 「レールバスに乗車」

首都キトの駅でまたしても起きた予想外のこととは、「屋根の上の列車」どころか、道路工事で線路を剥がしてしまったので、途中駅まで「バス」で行ってくれと言われてしまったことだ。乗車する当日の朝、駅の待合室でそれを知らされたのだったが、同じ境遇のはずの乗客達は平然としたものである。予定外のことなどきっと、南米では日常のことなんだろう。

などと日本のリズムに慣れきっている自分を戒めていたら、間もなくタンビージョ駅から出発するのは「列車」ではなく、線路の上を走るバス「レールバス」ということが分かり、またも予想が覆され、心が揺らぐ。うーむ、だんだん分かってきたのは、このエクアドルで正確な情報を集めるということが、ほとんど不可能に近いのでは?ということだ。そして、毎回起きるトラブルに怒り目をつむるのではなく、自然にまかせ、時に機転を利かせながら、偶然に出会う何かに感動し感謝し、充実した旅を送るよう努力すること。そもそもそれこそがこの番組が大事にしてきたことではないか。そう思い直し、覚悟が決まった。

このレールバス、車内はバスガイドさんがいて、常にしゃべりっぱなし。車窓に見える火山を紹介してくれたり、乗客達に自己紹介させたり、鉄道にまつわる本当にあった怖い話などをしてくれたりする。なんだか修学旅行やバスツアーのようだ。スペイン語なのでさっぱり内容が分からないけれど、乗客達の表情から、かなり楽しんでいることが分かった。沿線には、世界最高峰の活火山コトパクシ山の絶景、エクアドルで盛んなバラ栽培の温室ハウスが見え隠れするし、終点ラタクンガは、たくさんのフルーツが売られている市場があって、近隣のインディヘナ達で賑わっている。エクアドルという国を存分に知ることができる路線になっていて、4日間 同じ靴下とパンツを履いたままだけれど、「ありがたい、来て良かった!」と思わずにいられなかった。

ディレクター 立川修史
乗車したレールバス
市場で売られていたバラ
富士山に似た形のコトパクシ山
撮影日記3 「悪魔の鼻」

エクアドル鉄道のハイライトは、リオチャンチャン峡谷の崖っぷちにある街アラウシから始まる。レールバスの窓を開けて見下ろすと、「こんなところ、本当に走って大丈夫なの?」と心配になるほど、深〜い谷間がズドンと目に飛び込んでくる。スリル満点の車窓、それを立ち上がって凝視する乗客達を撮影していると、突然列車が停車してしまった。

駅でもない、こんなところで脱線?!それともエンジントラブルか?!とヒヤヒヤしていると、乗客達が降り始めた。こんなに凄い峡谷なんだから、ゆっくり眺めてみようという運転手の配慮だったらしい。風が吹き付ける中、おそろおそる小さなスペースに降り立ってみる。みんなが見つめていたのは、行く手に聳える巨大な岩山。あれが終点「悪魔の鼻」だよと口々に言い合っている。
ふむ。確かにその名に相応しく、人を寄せ付けないような険しい山ではある。鉄道乗務員の話によると、100年前、エクアドル全土に線路を敷設した際、最後まで苦労した難工事の場所がこの「悪魔の鼻」の部分だったという。固い岩盤を崩す危険なダイナマイト工事で、4000近い人々の命を奪ってしまったことから、その名が付けられたらしい。けれど、そうした苦労によって作られたこのラインは、世界中から観光客を呼ぶほどの絶景の鉄道となった。スイッチバックを使って山肌ギリギリに降りていく車窓は、これまで体験したことのない感覚。うーん、わざわざこの鉄道を目当てに海外から来る気持ちも分かる気がする。

しかし谷底から山の全体像を一望してみると、「はて?」と疑問に思うことがあった。これが何故「鼻」なんだろうか?明らかにその形は「鼻」に見えない。むしろ「おにぎり」に近く、どちらかと言えばカワイイ形をしている。これに関しては鉄道乗務員も一緒に乗っていた鉄道マニアも誰も答えてくれなかった。そんなことはどうでもいいと思うほど、景色がひたすら雄大なのである。

ディレクター 立川修史
車窓を眺める乗客
レールバスが目指す悪魔の鼻
峡谷を眺めるインディヘナ
撮影日記4 「ユニークなチリのロケメンバー」

午後10時にエクアドルから飛び立ち、早朝5時半チリの首都サンチャゴに到着。このまま、サンティアゴの街を撮影し、列車にも乗車する。今回の中で最もハードなロケ日である。それにしても暑い。チリは真夏で日中だと40度近くなると聞いた。空には雲ひとつ無く、炎天下でのロケとなるだろう。

さっそくチリ側のアシスタントコーディネーター、カルロスさん66歳と挨拶を交わす。がっしりとした体つきで、40代にも見えなくない。「今でも普段はテニスの先生として頑張っているんだ」という。エクアドルから引き続き同行しているメインのコーディネーター山口さんも67歳。恐ろしく高年齢のチームとなり、このハードなロケに耐えられるだろうか少しだけ不安になる。「ああ、大丈夫ですよ。老人だとね、早起きだから早朝の出発も遅れないんですよ。」と山口さん。はぁ、そうですか…と気の無い返事の私。

「あとね、前半はカルロスさんが担当ですけど、後半に入る頃に若い人とバトンタッチしますから。なんでも10年ぐらい前に日本からチリに来て、普段は歌手をしているそうなんですが。」か、歌手ですかっ?!「ええ。チリのテレビ番組で日本のアニメソングとか自作の曲を歌っているんですよ。確か今夜放送じゃなかったかな。結構有名でね。」

ひぃええっ!テニスの先生に歌手…。エクアドルでもそうだったけど、空港で突然予想もしないことを聞かされる…。南米恐るべしとブツブツつぶやきながら、車に荷物を積み込む。待っていたのは、ちょっと恐面のドライバー・エンリケさん。アメリカのマウント・ラッシュモアに彫られた顔に似ている。「こちらは本業もドライバーなんで安心してください。かなり優秀ですよ。チリの先住民マプチェ族の血を引いてるって言ってましたね。」マプチェ族と言えば、チャトウィンの「パタゴニア」にちょっとしたエピソードが書かれているのを思い出した。スペインの侵略に最後まで服従しなかった勇猛な民族で、銃の使い方を覚えると復讐に燃えて、スペイン人の心臓をえぐり出して食べたとか何とか…確かにタフな感じはするけど、スピード狂だったらどうしよう…。

エンリケさんの顔をマジマジと見つめながら一路、サンチャゴ中央駅へ。不思議なロケメンバーとともにチリの旅が始まった。

ディレクター 立川修史
チリの首都サンティアゴ
チリ編のロケスタッフ
サンティアゴ中央駅
撮影日記5 「恐怖の赤い蜂」

チリに来て1週間が経過。気温40度近い中、いつ来るとも知れない列車を待つのが結構辛い。3時間、麦畑の中で待ってみるが結局夕暮れまで来なかったという昨日の出来事が更に拍車をかける。“また来ないんじゃないのか…”という不安に駆られるのだ。 

ホテルで夕食をとりながら、みんなで思い返してみると意外と列車の走りの撮影がチリでは難しいことが分かってくる。時間が正確でないことだけでなく、撮影ポイントがなかなか見つからないのである。道路が鉄道より発達しているチリでは、線路の脇に常にハイウェイが走っている。それは便利なのだが、かといって単純にハイウェイ脇から撮影すれば良い映像が撮れるわけでもない。背景が素晴らしくて、なおかつ列車もはっきり見えるようなポイントを探さなくてはならないのだが、それが見つからない。詳細な道路地図なども売っていないのである。そんなわけで、とりあえず良さそうな脇道を見つけて“行ってみるしかない”ことになる。舗装されていない泥道を突き進み、牧場に入り込んでしまったり、何故か線路とは逆方向に行ってしまったり、列車の予想通過時間と闘いながらポイントを探し、時には機材を持って歩き、更に「奥深く」に入り込んで行く。

そんな「奥深い」場所では、決まって何かしらの生き物に襲われる体質を私は持っているらしい。以前のアメリカロケでは、それが「ガラガラ蛇」だったのだが、今回は「蜂」である。スズメバチくらいの大きさで、しかも身体が「赤い」いかにも凶悪なやつ。メインカメラを設置した場所から離れ、一人で小型カメラを持って別のポイントへ移動し、列車を待っている最中そいつは突然現れた。そして私の頭をめがけて、どこまでも追いかけてくるのである。自分の命をとるか列車の走りを優先するのか。頭の中で天秤にかけられる。カメラから100メートルくらい逃げた頃には「いや、編集で困るのは嫌だ」という声が強かったのだが、その100メートルの距離を5往復くらい走った頃には、もう結論は出ていた。相手が悪すぎる。設置したカメラを手に取り、メインのロケ隊のところまで逃げ帰ることになった。とほほほ。

ディレクター 立川修史
車窓から見えるチリのぶどう畑
ハイウェイ沿いを走るワイントレイン
他に出会った生き物・クモ
撮影日記6 「チリの詩人パブロ・ネルーダ」

ロケも終盤を迎え、首都サンティアゴから南に670キロのテムコに滞在している。暑かった首都近辺に比べて、ここは涼しい風が吹いて気持ちいい。南半球では、南に進めば進むほど気温が下がる…ちょっと不思議な感覚だ。天候のことで言えば、もっと不思議なこともあった。それは午前中、ずっとどんよりとした曇りなのに、正午を回る頃に、必ず雲ひとつない快晴になるということ。あの分厚い雲はどこへ行ったのかと思うのだが、とにかく、そういう日が1週間のうち5〜6日続く。コーディネーターで歌手でもある村田さんによると「海が近いことと同時に標高の高い山が近いことが関係している」らしい。撮影時、そうした天候の問題は、常に付きまとう。午前中、乗車する。そのときは曇り。午後、列車の走りを撮る。そのときは晴れ。すると、編集で合わなくなってしまうからだ。

幸い、このテムコを走る蒸気機関車アラウカニア号は、正午近い時刻に出発してくれたため、鉄道博物館を出る頃には曇っていたが、すぐ快晴の空が広がってきた。次第に、天候問題のことなど忘れてしまうほど、印象的な風景が車窓から目に飛び込んでくる。緑豊かな草原や、深い森、森の向こうにある富士山にそっくりの火山。思えば日本にいるとき、チリってどんな国なんだろうと余りイメージが思い浮かばず、私にとってとてつもなく「遠い国」だった。それだけに、このアラウカニア地方の豊かな自然は感動的で、チリってこんなきれいな国だったのかと思い知った。 

「チリの森を知らない者は、この惑星を知らない」(ネルーダ回想録)
チリの国民的詩人パブロ・ネルーダは、そんな風に記している。鉄道員の父を持つネルーダは、子ども時代蒸気機関車に親しみ、列車が走るテムコの美しい森を見て育った。彼の言葉を胸にアラウカニア号の車窓を見ると、一層、この国の風景を愛した彼の想いが伝わってくる。また、ワイントレインと違い、海外では余り知られていないこのアラウカニア号の乗客達は、我々を除けば全員チリ人。彼らの表情はどこか日本人にそっくりで、背の高さも変わらず、なんだか親しみが湧く。日中になり、暑くなってくると、乗客達がアイスをくれたり、持参のお弁当を分けてくれたりと、もしかしたら彼らも私たちの表情を見て、親近感を持ってくれたのかも。この蒸気機関車の旅で地球の真裏にあるチリがグっと近くなった、と思った。

ディレクター 立川修史
パブロ・ネルーダ鉄道博物館
アラウカニア号
テムコの街
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