徹子の部屋


データブック

歴史

「徹子の部屋」 歴史

放送開始1976年(昭和51年) 2月2日 13時15分〜55分

放送 一回目ゲスト・ 森繁久彌 / 林美智子・上月晃・頭師孝雄・榊原るみ・アントニオ古賀

当時はト−クの他、ラビット関根進行の「フラッシュクイズ」があった。 翌年4月からト−クだけになった。

社名変更記念特番
1977年(昭和52年) 4月1日 放送
社名変更記念番組「わが家の友だち10チャンネル・徹子のナマナマ 10時間半」で初めての生放送/ゲスト 三笠宮寛仁親王殿下

15周年記念
1991年(平成3年)2月公開録画/ 2月18日〜22日 放送

* ゲスト/ 久米宏・ミヤコ蝶々・杉良太郎・明石家さんま・山田五十鈴

第3回橋田賞受賞
1995年(平成7年)

* 「徹子の部屋」司会者として受賞

20周年記念スペシャル番組
1996年(平成8年) 1月3日(水) 12時〜16時 放送

* ゲスト/ 久米宏・加山雄三・山城新伍・中尾ミエ・板東英二・
飯島愛・神田うの・小沢昭一
サブ司会/ 渡辺謙


*1996年 4月1日  放送時間変更 13時55分〜14時50分

第23回放送文化基金賞受賞
1997年(平成9年)6月

*「徹子の部屋」スタッフに対して


*1997年 9月29日 放送時間変更 13時20分〜13時55分


25年目に突入
2000年(平成12年) 2月2日〜

* ゲスト/ 森 光子


祝30年!スペシャル
2005年(平成17年)5月8日 放送 
30周年記念として2時間のスペシャル版。


第54回菊池寛賞受賞
2006年(平成18年) 

*「徹子の部屋」スタッフに対して


「徹子の部屋コンサート」開催
2006年(平成18年)より毎年12月に開催。
(翌年1月下旬頃に数回に分けて放送。)
2010年は日本武道館にて行われ、約1万人以上の観客を集めた。


祝35年目!突入企画
2010年(平成22年)5月1日 放送
35年目突入記念として、ゴールデンの2時間スペシャルで 「出張!徹子の部屋 お宝映像も大放出スペシャル」と題して放送。


2011年(平成23年)2月2日に35周年を迎える。


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ネット局


徹子の部屋はテレビ朝日(ANB)から全国24局に同時ネットしている
北海道テレビ放送(HTB)
青森朝日放送(ABA)
秋田朝日放送(AAB)
岩手朝日テレビ(IAT)
東日本放送(KHB)
山形テレビ(YTS)
福島放送(KFB)
新潟テレビ21(NT21)
長野朝日放送(ABN)
静岡朝日テレビ(SATV)
北陸朝日放送(HAB)
名古屋テレビ放送(NBN)
朝日放送(ABC)
広島ホームテレビ(HOME)
瀬戸内海放送(KSB)
愛媛朝日テレビ(EAT)
山口朝日放送(YAB)
九州朝日放送(KBC)
大分朝日放送(OAB)
鹿児島放送(KKB)
熊本朝日放送(KAB)
長崎文化放送(NCC)
琉球朝日放送(QAB)

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戦争特集


〜 戦争の悲劇を繰り返さないため、戦争体験を次代へ〜

 徹子の部屋では、年末や新春特番,公開録画などいくつかの企画を行ってきたが、それらの中で視聴者の支持を得、毎年の恒例となってきた企画が、<終戦><原爆>、<開戦>等の記念日の前後に放送してきた戦争特集である。『戦争が終わってから50年以上も時間がたつと、戦争の悲惨さを知らない人の数の方が多くなってくるので、今のうちに戦争の話を聞いておかないと次の世代の人々に戦争体験を伝えられなくなってしまう。このことを正確に伝えるのが私たちの使命 だ』という思いから続けられてきた。

1977(昭和52)年  
8月15日 松本克平 「私の戦争秘話」 終戦の日

1978(昭和53)年 
8月9日  飯沢匡「私の原爆秘話 長崎原爆忌
8月15日 江戸家猫八「原爆投下を目撃」
12月8日  福島菊次郎「被爆者の呪い」開戦記念日

1979(昭和54)年
8月15日 長谷川恒男 「北壁に舞う」
12月7日 杉山吉良 「玉砕の地を写す」

1980(昭和55)年 
8月15日 小沢昭一 「私の終戦秘話」

1981(昭和56)年 
8月17日 土屋嘉男 「中学生の戦争」
8月18日 丸木位里・俊 「見よ!この地獄!!」

1982(昭和57)年 
8月6日  笹森恵子「被爆の苦しみに耐えて」
8月16日 森村誠一「日本陸軍の生体実験」
12月8日 中村梧郎「ベトナムに奇形児続々」

1983(昭和58)年 
8月15日 中村雪子「悲劇の逃避行を語る」

1985(昭和60)年 
8月15日 野坂昭如「終戦の日に妹を偲ぶ」

1986(昭和61)年 
8月15日 森南海子「千人針に宿る女の祈り」

1987(昭和62)年 
8月6日  松重美人「原爆投下直後を写す」
8月14日 井上静江・江津子「中国残留孤児の叫び」

1988(昭和63)年 
8月5日  芦田伸介「中国引き揚げの地獄」
      長谷川一夫・上原謙(編集し再放送)
      三船敏郎・杉村春子(  〃   )
      宝田明・松島トモ子(  〃   )
12月8日 胡美芳「戦争の悲劇を歌声に託して」

1989(平成1)年 
8月9日  美輪明宏「長崎原爆の地獄絵図」
8月10日 澤地久枝「敗戦のドイツを見た」
8月14日 高峰秀子「特攻隊の出撃と慰問」
8月15日 横井庄一「グァム島28年間の空白」
8月16日 沢村貞子「大阪空襲下を逃げる」
8月17日 野坂昭如
8月18日 久我美子
12月8日 春風亭柳昇「今も戦友の死に涙」

1990(平成2)年 
8月6日  丸木位里・俊「夫婦で原爆を描く」
8月9日  篠田正浩「爆撃の下を走る少年」
8月13日 山岡久乃「戦争で失った青春」
8月14日 根上淳 「学徒出陣、母との別れ」
8月15日 有馬稲子「母と漁船で引き揚げ」
8月16日 五木寛之「38度線を歩いて越えた」
8月17日 乙羽信子「特攻隊員のボタンをつけて」

1991(平成3)年 
8月6日  平山郁夫「広島被爆一瞬の明暗」
8月8日 「イラク緊急報告」(黒柳徹子のユニセフ報告)
8月9日  林京子「長崎被爆で作家を決意」
8月12日 山口淑子「李香蘭と二つの祖国」
8月13日 山口淑子「軍事裁判で銃殺寸前」
8月14日 加藤芳郎「少年暗号兵涙の敗戦」
8月15日 フランソワーズ・モレシャン「ナチに抵抗した父」
8月16日 村田正雄「戦友の骨は今も沖縄に」
12月8日 杉原幸子「ユダヤ人を救ったビザ」

1992(平成4)年 
8月6日  扇ひろ子「被爆!発病への恐怖」
8月10日 香川京子「ひめゆり部隊の新証言」
8月11日 美川季子「疎開児童涙の絵日記」
8月12日 張 麗華「日本人母涙の赤とんぼ」
8月13日 石垣綾子「戦争中米国で反戦叫ぶ」
8月14日 国弘三恵「韓国人慰安婦の証言」

1993(平成5)年 
8月6日  新屋英子「韓国人被爆者の悲惨」
8月9日  中沢啓治「放射能に冒された子供らの惨状」
8月10日 池部 良「ミミズまで食べて生還!!」
8月11日 赤塚不二夫「父はスパイだった!!」
8月12日 竹川英幸「二度戦争孤児になった壮絶半生」
8月13日 佐々木信也「湘南で見た空中戦」
8月16日 松谷みよ子「童話で反戦訴える」
12月8日 今時ミルカ「旧ユーゴ戦乱の惨状」

1994(平成6)年 
8月9日  松永伍一「キノコ雲を見た少年」
8月15日 金城重明「沖縄集団自決の生き証人」

1995(平成7)年 
8月4日  沼田鈴子「原爆の悲惨語り続ける71歳」
8月12日 ミッキー安川「横浜大空襲の思いで」
8月14日 京 唄子「感動の戦中初舞台」
8月15日 小島清文「米国で反戦活動した元大和乗組員」
12月8日 大橋巨泉「軍国少年だった私と進歩的な父親」

1996(平成8)年 
8月6日   猿橋勝子「放射能の恐怖を訴える女性科学者」
8月15日 芦田伸介「中国引き揚げで娘が危うく孤児に」

1997(平成9)年 
8月15日 妹尾河童「少年Hが目撃した戦争の風景」


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