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#599(2015.7.11 OA)

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ナッツ&ミルク!

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キャイ〜ンのおふたりをお迎えして、
貴重映像で振り返る!
20年前の1995年 VS 30年前の1985年
夢中になったヒット&流行テストをO.A.!!

ゲストに香取編集長とも親交が深いキャイ〜ンのおふたりをお迎えした今週のスマステーション。特集は「貴重映像で振り返る!20年前の1995年 VS 30年前の1985年夢中になったヒット&流行テスト!」をお送りしました。
まずはいまから20年前の1995年。「夢中になったアイドル&アーティスト!」といえば、結成8年目のSMAP。この年リリースした「KANSHAして」「どんないいこと」など4曲が全てオリコン1位を獲得し、大ブレイクしました。この年を代表する音楽といえば小室サウンド。音楽プロデューサー・小室哲哉さんがプロデュースしたglobe、安室奈美恵さん、篠原涼子さん、華原朋美さんらは、“小室ファミリー”と呼ばれミリオンヒットを連発しました。また、口コミで人気に火が付き、1995年に大ブレイクしたのがEAST END×YURIの「DA.YO.NE」。 “だよね”という言葉は流行語になり、ブームは全国区へ。「SO.YA.NA」「DA.GA.NE」など、全6曲のご当地ラップソングも登場しました。ちなみに、博多弁バージョン「SO.TA.I」を歌っていたのは、SOUTH END x YUKA from FUKUOKA。当時25才の博多華丸・大吉の華丸さんでした。夢中で見た「テレ朝」の番組といえば、SMAPの中居正広さんも挑戦した「イライラ棒」でおなじみの「炎のチャレンジャー」が大人気。ドラマでは、稲垣吾郎さん主演の「最高の恋人」、中居さん主演の「味いちもんめ」がヒットを記録しました。ほか、社会現象を巻き起こした「プリクラ(プリント倶楽部)」、バスケットボール漫画「スラムダンク」も大ヒットしました。一方、いまから30年前の1985年。アイドルといえば、テレビ番組「夕やけニャンニャン」から生まれたアイドルグループ・おニャン子クラブがブレイク!国生さゆりさん(会員番号8)や新田恵利さん(会員番号4)、渡辺満里奈さん(会員番号36)らが、当時の中高生男子の間で爆発的な人気を博しました。この年のヒット曲といえば、ドラマ「金曜日の妻たちへIII・恋におちて」の主題歌、小林明子さんの「恋におちて・FALL IN LOVE」、そしてこの年の年間シングル売上ランキング1位を獲得したチェッカーズの「ジュリアに傷心」などです。夢中で見た「テレ朝」の番組といえば、ブッチャー、ホーガン、ブロディら多くのスターレスラーたちによって名勝負が繰り広げられた「ワールドプロレスリング」や、カール・ルイスをモチーフにした人形・カール君と100m走で戦う企画などが話題となった「ビートたけしのスポーツ大将」が大人気でした。また、「ビックリマンチョコ」ブーム、阪神タイガーズ日本一、大ヒット漫画「キャプテン翼」「北斗の拳」「キン肉マン」、アクションゲームの金字塔「スーパーマリオブラザーズ」なども外せない話題ですよね。ウーパールーパーの正式名称「アホロートル」をご存知だったウドさん、お見事でした!
次回7月25日の放送は「地元では常識!ご当地ビックリ朝ごはん」をお送りします。ゲストは役所広司さんです。お楽しみに!!

7月に入り、今年も折り返しとなりました。今年の上半期のヒットといえば、2日間で出荷停止となった大ヒット飲料「レモンジーナ」、95万部以上発行された、日めくりカレンダー「まいにち、修造!」などがありましたが、今から20年前の1995年、30年前の1985年にはどんなものがヒットしていたのでしょうか。子どもの頃に流行ったもの、青春時代に夢中になったものが登場しますので、いくつ覚えているか、チェックしましょう!


SmaSTATION!!特別企画
貴重映像で振り返る!
20年前の1995年 VS 30年前の1985年夢中になったヒット&流行テスト!


◆夢中になったアイドル&アーティスト!

<1995年>
1995年といえば、村山改造内閣が発足し、終戦50年を迎えた年。失業率が3%を超え、時代は就職氷河期。街中では、小さいTシャツ「ちびT」を着ておへそを出す、へそ出しルック、そしてレッグウォーマーをしている女性があふれていました。そして、結成8年目のSMAPは、この年リリースした「KANSHAして」、「どんないいこと」など4曲が全てオリコン1位を獲得し、大ブレイクした年です。そんな年に、みんなが夢中になっていた音楽といえば…小室サウンド!音楽プロデューサー・小室哲哉さんがプロデュースしたグループは、“小室ファミリー”と呼ばれミリオンヒットを連発。95年の小室ファミリーのシングル売上総数は、なんと、1490万枚以上!「CRAZY GONNA CRAZY」で158万枚の大ヒットを記録したTRF、小室さん自身もメンバーとして参加したglobe、アニメ映画『ストリートファイターII』の主題歌で、ソロ女性歌手初のダブルミリオン、200万枚を越えた篠原涼子さん、そして、ファッションも含め社会現象も巻き起こした安室奈美恵さん、さらに、華原朋美さん、hitomiさんなど、小室ファミリーの勢いはとどまるところを知りませんでした。そんな小室サウンド以外にも、多くの個性的なヒット曲が生まれました。織田哲郎さんがプロデュースした相川七瀬さんの「夢見る少女じゃいられない」、桑田佳祐さんとMr.Childrenがチャリティーのためにコラボし、170万枚以上を売り上げた「奇跡の地球」、また、94年に発売されると徐々に口コミで人気に火が付き、95年に大ブレイクしたのがEAST END×YURIの「DA.YO.NE」。分かり易いフレーズとリズムで瞬く間に大ヒット。“だよね”という言葉は流行語になり、ブームは全国区へ。「SO.YA.NA」「DA.GA.NE」など、全6曲のご当地ラップソングも登場しました。ちなみに、博多弁バージョン「SO.TA.I」を歌っていたのは、SOUTH END x YUKA from FUKUOKA。当時25才の博多華丸・大吉の華丸さんでした。

<1985>
3月には本州と北海道とを結ぶ青函トンネルが、20年以上の時を経て貫通。そしてNTTやJTなど、様々な国営事業が民営化されました。そんな年に、みんなが夢中になっていたアイドルと言えば、おニャン子クラブです。テレビ番組「夕やけニャンニャン」から生まれたアイドルグループで、国生さゆり(会員番号8)や新田恵利(会員番号4)、渡辺満里奈(会員番号36)など多くの人気アイドルが誕生。当時の中高生男子の間で爆発的な人気となりました。そしてこの年のヒット曲といえば、ドラマ「金曜日の妻たちへIII・恋におちて」の主題歌、小林明子さんの「恋におちて・FALL IN LOVE」。ドラマをきっかけに95万枚以上のスーパーヒットを記録。そして、この年の年間シングル売上ランキング1位だったのは、チェッカーズの「ジュリアに傷心」。ボーカル・藤井フミヤさんの人気はすさまじく、藤井さんの前髪の一部を長く伸ばした個性的な髪型やファッションをマネる若者が続出しました。また、雑誌のタイトル「Momoco」にもなるほどの人気を博したのが、菊池桃子さんです。4枚目のシングル「卒業-GRADUATION-」で初のオリコン1位を獲得して以来、「アイドルを探せ」まで7作連続オリコン1位とまさに人気は絶頂。大きなスイカのセットの上で歌ったり、時には象の上に乗って熱唱するなど、歌番組での個性的な演出も注目を集めました。




◆みんな並んだ行列!

<1995年>
秋葉原にできた100mを超える大行列。1000人以上の人が並んだのが、パソコンソフトの「Windows®95」でした。発売日の午前0時に販売開始され、熱狂的な盛り上がりを見せたこのソフト。1万円以上する高価なものにも関わらず、約500万本が売れるほどのメガヒットに。初心者にも使いやすいこのソフトをきっかけに、パソコンやインターネットが爆発的に普及しました。そんな年に登場し、女子大生や女子中高生の間で瞬く間に人気となり社会現象を巻き起こしたのが「プリクラ(プリント倶楽部)」。全国のゲームセンターなどに置かれたプリント倶楽部は、1回300円で、気軽にかわいい写真のシールが作れると、女子中・高校生を中心に大ブレイク!3時間待ちなど、行列が街のいたるところにできました。自分のプリクラを貼って保存した手帳、通称“プリ帳”を友人と見せ合うなど、若者の新しいコミュニケーションツールとなったのです。

<1985年>
多くの日本人が熱狂した1970年に開催された「大阪万博」から15年、茨城県のつくば市で3月から184日間にわたり開催された「つくば科学万博」は、2033万人もの人が訪れる大盛況のイベントとなりました。世界47ヵ国の多くの企業が参加したこの万博には、数多くの人気パビリオンが。自動で電子オルガンを弾くロボット、土を使わず、水を循環させる当時、最先端の水気耕栽培で育てられたトマトに多くの人が驚きました。さらにこの年、スーパーではあるお菓子を求め、子どもたちが親と行列をつくるほど熱狂しました。それが「ビックリマンチョコ」です。1個30円のチョコにおまけとして付いていた「ビックリマンシール」が小学生を中心に大ブーム。スーパーに子どもが殺到し、品切れする店が続出しました。また、レアなシールを手に入れるために大量購入し、シールだけを抜き出しチョコを捨てる行為が多発、社会問題にもなりました。




◆夢中で見た「テレ朝」の番組!

<1995年>
1995年といえば、その年の10月にスタートした「炎のチャレンジャー!」が大人気でした。与えられたお題をクリアすれば、100万円がもらえるという、シンプルな企画がウケ、たちまち人気に。97年には、最高視聴率21.7%を記録しました。地上30mで目隠しをしてくす玉を割るチャレンジ、自転車で海にかかった一本橋を渡りきるチャレンジなど、クリアするのが難しいチャレンジが次々と登場。なかでも、圧倒的人気のチャレンジが、「イライラ棒」。2本のレールの間に棒を通し、制限時間以内にゴールするだけの簡単なチャレンジと思いきや、ちょっとでもレールに触れると大爆発が起こるというもの。想像以上の難しさに、挑戦者が次々と爆発の餌食となりました。チャレンジャーのなかには、SMAPの中居正広さんも。見事、爆発の餌食となっていました。そんなイライラ棒の人気はテレビを超え、家で簡単にイライラ棒に挑戦できるおもちゃが発売され、品切れになるほどの人気となりました。スタジオゲストのキャイ〜ンのおふたりは、ジェットコースターに乗りながら10個の輪投げを成功させるチャレンジに挑戦。結局、ウド鈴木さんが怖さのあまりチャレンジを放棄。100万円ゲットはなりませんでした。

またこの年、SMAPメンバー主演のドラマ2本も話題になりました。まずは、稲垣吾郎さん主演の「最高の恋人」。建築設計事務所で働く稲垣さん演じるミチオは、早くに両親を亡くし高橋由美子さん演じる妹とふたり暮らし。不器用ながら優しく妹を思いやる兄役を熱演しました。そして、中居正広さん主演の「味いちもんめ」です。料亭に入った新人料理人役を中居さんが熱演。厨房で度々起こるケンカなど、熱い人間ドラマが話題となり、最高視聴率18.4%を記録する人気ドラマとなりました。その後、続編やスペシャルドラマも作られました。96年放送の続編では、香取編集長も修行中の料理人役でゲスト出演しました。

<1985年>
金曜日の夜8時というゴールデンタイムに放送されていた「ワールドプロレスリング」。当時、アントニオ猪木率いる「新日本プロレス」の人気は絶大で、83年番組の最高視聴率は25.9%を記録するほどでした。ブッチャー、ハルク・ホーガン、ブルーザー・ブロディ…。多くのスターレスラーたちによって名勝負が繰り広げられ、プロレスブームを巻き起こしました。そして、この年に始まったのが、「ビートたけしのスポーツ大将」。人気種目の100m走で活躍した「カール君」と呼ばれる人形も人気となりました。カール君のモデルとなったのは、84年のロサンゼルスオリンピックで、100m走、走幅跳など、陸上4冠を達成したカール・ルイス!カール君の速さは圧倒的で、途中までリードされても最後はぶっちぎりで勝利するのが定番でした。20%を超える高視聴率を取るほど人気の番組でした。




◆みんなの心が熱くなったヒーロー!

<1995年>
日本のプロ野球、近鉄バファローズから単身アメリカメジャーリーグに渡り大活躍。独特の投法で三振の山を築き、一大旋風を巻き起こした野茂英雄投手。その投法は、「トルネード投法」と呼ばれました。野茂投手はデビュー1年目にしてオールスター戦に出場!新人王にも選ばれるなど話題を独占しました。その頃、日本で大活躍していたヒーローと言えば、イチロー選手!1995年、イチロー選手は振り子打法で打率や盗塁を含む5冠を達成。オリックスのリーグ優勝に大きく貢献し、国民的ヒーローとなりました。

<1985年>
圧倒的な強さでリーグ優勝!さらには初の日本一に輝いた「阪神タイガース」。大阪の道頓堀では、熱心な阪神ファンで夜遅くまで大騒ぎになりました。シーズン初めの、バース選手、掛布選手、岡田選手の3人が、3連発でバックスクリーン方向にホームランを放ったシーンは伝説となっています。そして、その年のもうひとりのヒーローが、ジャッキー・チェンさん。新作映画が出るたび、日本中で話題を呼んだアクションスターです。映画雑誌「ロードショー」の読者による人気投票では、なんと7年連続で1位を獲得。驚愕のカンフーアクションとコミカルな演技で、男の子を中心に空前の大フィーバー。全編にわたる超過激なアクションに夢中になりました。この年に公開された映画『ポリス・ストーリー/香港国際警察』では、体を張ったアクションを次々と繰り出し、観客を大興奮させました。




◆夢中で読んだ「週刊少年ジャンプ」!

<1995年>
毎週の発行部数、約250万部、少年漫画誌として、圧倒的人気の「週刊少年ジャンプ」。2015年現在の作品のラインナップは、累計発行部数3億2千万部、ギネス世界記録®に認定された海賊冒険漫画「ONE PIECE」、実写映画化され話題を呼んだ、暗殺がテーマの漫画「暗殺教室」など。子どものみならず、大人をも夢中にさせる漫画がずらりと揃っています。それでは、1995年といえば?実は1995年に発売された「3・4合併号」が、歴代最多の653万部を発行するなど「週刊少年ジャンプ」が絶大な人気を誇ったこの年。なかでも人気だったのが、「スラムダンク」!累計 1億2千万部以上を発行した、大人気バスケットボール漫画です。テレビアニメも、土曜日のよる7時半からテレビ朝日系列で放送され最高視聴率21.4%を記録するなど大ヒット。空前のバスケブームがおき、普段からバスケットシューズを履く人が続出しました。ほかにも、孫悟空が主人公の国民的冒険漫画「DRAGON BALL」、実写映画も大ヒットを記録した「るろうに剣心−明治剣客浪漫譚−」、独特の個性で熱狂的なファンが多い「ジョジョの奇妙な冒険」、世界的大ヒット忍者漫画「NARUTO」に影響を与えたといわれる「NINKŪ -忍空-」など、とにかく傑作が揃っていた年でした。

<1985年>
この年の発行部数は400万部以上と人気急上昇。キャラクター型の消しゴム「キン消し」も流行った「キン肉マン」、世界中のサッカー選手に影響を与えた「キャプテン翼」、熱過ぎる男たちの死闘を描いた「魁!! 男塾」、当時の男の子たちの心を虜にした大人気格闘漫画「北斗の拳」などがありました。「北斗の拳」では、秘孔を使った斬新な設定の格闘に多くの男の子が夢中に。累計発行部数は1億部以上。とにかく、多くの子供が技やセリフをマネしました。




◆ハマった洋楽!

<1995年>
早口言葉のような独特の歌い方で、日本でもたちまちブレイクしたのがスキャットマン・ジョン。53歳でデビューしたという異色の経歴を持つ彼は、アルバム『スキャットマンズ ワールド』で、156万枚の大ヒットを記録しました。そして、“渋谷系”と呼ばれる若者に絶大な支持を受けていたのが、スウェーデンのバンド「カーディガンズ」の「カーニヴァル」。メロディアスな独特の曲調にハマる人も多く、スウェディッシュ・ポップ・ブームを巻き起こしました。この年、稲垣吾郎さんもコンサートのソロパートで、この曲を歌っていました。

<1985年>
アフリカ難民救済を目的に作られたキャンペーンソング「We Are The World」が、日本でも大ヒット。作詞・作曲は、マイケル・ジャクソンとライオネル・リッチー。シンガーとして、シンディ・ローパーや、レイ・チャールズ、キム・カーンズ、ポール・サイモン、ダイアナ・ロスと、とにかく多くの超大物アーティストが参加していました。ほかにも、イギリスの男性デュオ・ワム!の「ウキウキ・ウェイク・ミー・アップ」がヒット、来日公演も行われました。また、収録アルバムが世界で2100万枚以上を売り上げたマドンナ。スマステでもおなじみの小林克也さんが司会を務める番組「ベストヒットUSA」にも来てくれました。




◆流行ったCM!

<1995年>
18歳の瀬戸朝香さんが出演した「コダック スナップキッズEX」のCMは、「見た目で選んで何が悪いの?」という過激なセリフが流行語にもなりました。"べんきょうしまっせ、引越しのサカイ〜"という陽気な歌がインパクト十分で、子供から大人までもが口ずさんだ「サカイ引越センター」、また、同僚に飲みに誘われるも、それを英語で断り英会話学校に行くという「NOVA」のCMは、当時のビジネス英語ブームを象徴しているかのようでした。

<1985年>
この年、流行ったCMを2本ご紹介。禁煙用パイプ「パイポ」のCMでは、最初に出てくる男性ふたりが「私はこれでたばこを止めました」とパイポを紹介。ところが3人目に登場した男性は、小指を見つめ「私はこれ(女性)で会社を辞めました」とつぶやくのです。そのオチは、流行語にもなりました。また、「とにかくカワイイ!」と社会現象にまでなったのが、ピンク色の不思議な生物ウーパールーパーを使った「日清焼そばU.F.O.」のCMです。実は、ウーパールーパーとは日本で売り出す時の名前で、正式にはアホロートル(メキシコサラマンダー)というのだといいます。このCMをきっかけに瞬く間に国民的人気生物となり、水族館に人が押し寄せたり、ペットショップでも大量に販売されました。




◆どハマりしたテレビゲーム!

<1995年>
この年に大ヒットしたゲーム機と言えば「リッジレーサー」や「ときめきメモリアル」など、バラエティに富んだゲームソフトが人気だった「プレイステーション」。そして、もうひとつが、「セガサターン」。そのソフト、「バーチャファイター2」は、キャラクターを操作して戦う、当時としては画期的な格闘ゲームで130万本以上の大ヒット。忍者や、プロレスラーなど多彩なキャラクターと技、そして人との対戦にハマる人が続出しました。以前、スマステでも、当時どハマりしていた香取編集長と草なぎ剛さんが対戦して盛り上がりました。

<1985年>
1983年に発売され、世界中で6000万台以上売れた、80年代最大のヒット商品のひとつが、「ファミリーコンピュータ」、通称“ファミコン”です。85年当時、みんなが夢中になったゲームと言えば、ネズミの警官を操り、トランポリンなどを上手く使ってアイテムを取り返していくアクションゲーム「マッピー」、ハンマーでブロックを割りながら、ひたすら氷山の頂上を目指すアクションゲーム「アイスクライマー」、巨大なボスキャラで話題を呼んだ、縦スクロールのシューティングゲーム「ゼビウス」など。そんななか、この年に発売され世界で4024万本とファミコン史上最も売れたソフトが、「スーパーマリオブラザーズ」です。横スクロールのアクションゲームの面白さを世界中に広めた金字塔。土管を使ってのワープや、“無限1アップ”など、多くの裏ワザにもファンは夢中になりました。マリオの人気は今なお根強く、今年の9月には30年の時を経て、自分でスーパーマリオブラザーズのコースが作れるようになった「スーパーマリオメーカー」が発売される予定です。


消えた忘年会

久しぶりに“天声トリオ”が顔をそろえた今回の放送。『天声慎吾』が終わってからも交流がある天声トリオですが…。とある雑誌の山本耕史さんと香取編集長の対談を読んだ方は、2倍楽しめる?今週の格言です。「大河ドラマ『新選組!』の忘年会を毎年暮れにやっているのはもう10年以上続いているんですけど、毎年ではなかったんですけど結構な割合で、『天声慎吾』も番組が終わってから暮れにスタッフの皆さんと集まったりしていたんです。でも、最近やってないです。消えましたね。理由は……まずは集まってたお店がなくなっちゃった、ということが結構大きいのかもしれないけど…。『新選組!』忘年会もお店がなくなっちゃってね、ことしはどうなるのか、という感じなんですけど、そこは山本耕史さんがきっと先頭を切って仕切ってくれるので安心していますけど。だから、『天声慎吾』の集まりもちょっとキャイ〜ンに仕切ってもらいたいですよね。キャイ〜ンとは、去年もやってないと思います。いや、ボクの知らないところでやってるのかな?」。


キャイ〜ンさん
王子は僕に、他人行儀にあいさつするんですね。ウドさん
「ウドさん、どうも」ってスマステだけだよね。天野さん

今日は、天野さんが3回目、ウドさんが2回目のご出演でした。1995年と1985年の流行を比較した特集はいかがですか?

ウド めちゃくちゃ楽しかったです!
天野 まるで僕たちのための企画かというように、どの話題も全部知っていましたし、本当に楽しかったです。

いろいろなトピックスがあったなか、特に印象的だったものを教えていただけますか?

天野 僕は、オリックス・ブルーウェーブのイチロー選手。1995年にオリックスが優勝した時に、ラジオ番組で仰木監督にインタビューするという大役をもらったんです。まだ、デビュー直後の新人の僕に、仰木監督はすごく優しく丁寧に対応してくださって。僕は、そこから仰木監督のファンになりました。なので、あのイチロー選手の映像を見て、仰木監督のことを思い出しました。
ウド 僕は、スキャットマン・ジョンさんに当時から強烈な印象があって。ジョンさんが「ピーパッパ、パラッパ」と歌う歌詞のほとんどが破裂音っていう類を見ない曲ですから。
天野 サビ以外は歌えないっていうね。
ウド そうそうそう!ジョンさんみたいに、舌が回らないんだよね。
天野 カラオケの歌詞はどうやって書いてあるんだろうね。
ウド そうですね。ほかはどうですか?
天野 俺?「週刊少年ジャンプ」かな。今も毎週買っているので、もう30年くらい読み続けているからね。
ウド それは、すごいなぁ!ジャンプといえば、王子(香取編集長)がやった“両さん”も、ジャンプですもんね。
天野 そうだね。「こちら葛飾区亀有公園前派出所」ね。

ウドさんは、「ウーパールーパー」の正式名称である「アホロートル」をよくご存じでしたね。

天野 すごかったね。何を言っているんだろう、と思ったら、正解していて驚いたよ。
ウド 高校時代に入ることとなった柔道部の先生に、当時流行っていたウーパールーパーに似ていると言われ、「ウーパー」というあだ名を付けられたんです。それで、気になって調べたのを覚えていたようです。ですけど、ウーパールーパーにしてもアホロートルにしても、「パー」とか「アホ」とか、どちらもちょっとな名前だな、と思いましたね。
天野 でも、それが30年経ってクイズに出るとは、じゃない?しかも、あの問題だけは答えられないような難問として出されたはずなのに。それを答えちゃうという、ミラクルね!
ウド いやいやいやいや。でも、昔、ウーパールーパーを食べたことあるよね。から揚げみたいなの。それが美味しいんですよ!でも、感慨深いと言いますか、複雑な思いがしました。
天野 あははは!共食い的なね(笑)。

そして、仲良しの王子とはいかがでしたか?

天野 テレビ局とかで、ちょこちょこ顔を合わせることはあっても、ガッツリご一緒するのは久しぶりだったので、楽しかったですね。
ウド 僕には、必ず他人行儀にあいさつするんですね。
天野 スマステの時だけだよね、「ウドさん、どうも」みたいになるのは。
ウド なんでなんでしょうね。不思議な人ですよね、王子って。
天野 ツンデレ?
ウド ツンデレ!僕にああいう風に接する最初の人なんですよ、王子は。まあ、僕のことをいじってくれる人はあまりいないので、ありがたいんですけど。

最後になりますが、視聴者、ファンのみなさまにメッセージをお願いできますか?

天野 これからも香取くんと一緒に仕事をして、みなさんに喜んでいただけるように頑張りたいと思います。次に、出演させてもらうときは、キッチングッズの特集の時に呼んでいただきたいですね。
ウド 僕は、王子と対決したいな。王子はスポーツも万能だし、俺らは勝てそうにないですけど、昔、スノボで天野くんが勝ったこともありますので。
天野 そうだったね。王子は負けると面白いので、ぜひ対決もので!


中居さんに助けていただいたことを思い出しました

1995年と1985年の流行を比較した今日の特集。私はキャイ〜ンのおふたりと同世代なので、天野さんもおっしゃっていたように、ほとんどの話題を知っていて、とても懐かしかったです。とはいえ、行列、ゲーム、「少年ジャンプ」には、ちょっと疎かったのですが…。特に印象的なのは、やっぱり音楽かな。小室ファミリーの音楽も、チェッカーズもよく聴いていましたし、歌番組もよく見ていたなぁ。あの頃聴いていたものって、今でもちゃんと口ずさめるから不思議ですね。それから、1995年で紹介された「味いちもんめ」では、ちょっとしょっぱい思い出がよみがえりました。当時、入社3年目だった私が初めてひとりで生放送の司会をすることになったのが、中居正広さん主演のドラマ「味いちもんめ」の番宣番組でした。ドラマがスタートする日の夕方に、中居さんと出演者の方を招いて見どころなどをうかがう番組だったんですが、慣れていない私は焦って、オロオロしちゃったんです。そんな時に、中居さんがさりげなく引き取って、みなさんにどんどん話を振ってくださったんです。それが本当にありがたかったのと同時に申し訳なくもあって。そして、今思えば、あの時、中居さんの名司会ぶりの片りんを見ていたのだな、と。あの日のことを、今日久しぶりに思い出し、少し胸がチクッとなりました。ですが、スタジオは香取さんと仲良しのキャイ〜ンのおふたりが盛り上げてくださり、楽しい雰囲気でした。3人がとても楽しそうで、それを見ているだけで幸せな気分になれました。

「味いちもんめ」の映像を見て、当時のことを思い出しました!

◆20年前の1995年と30年前の1985年のヒット特集、楽しかったです!10年の差があまりなかったかな、と。20年前も「ああ、知ってる知ってる!」「懐かしいな!」って言いながら、30年前も「ああ、懐かしいな!」みたいな。ギリギリですかね。8歳くらいだから…。20年前で紹介してて、30年前にも「ドラゴンボール」が表紙を飾ってて、スゲーな、って思いました

◆30年前のあと数年後、もう結成して、SMAPは活動してるんだな、と思ったり、20年前のときにはもうキャイ〜ンのことを知っていたり。吾郎ちゃんとかが恋愛ドラマで主役を演じている感じも「この人、こんな前からやってるんだ!」みたいな(笑)

◆「味いちもんめ」の映像も出ましたが、あれ思い出しましたよ。あれね、ホントにあのシーンだけ、みたいな感じなんですよ。でね、ボクもちょっと笑っちゃったりして、中居くんもちょっと吹いちゃってて…。ちょっと笑わそうとしている感じなんですよね。それで、現場がすっごい怖い空気になっちゃって(笑)。何度もNG出すから。何だろう…ホントにふざけた若者が笑いあってるみたいな感じで、最初は現場もちょっと笑ってたんだけど、後半はもう…。そういう空気なのに、吹いちゃって止まらない、みたいな感じだったのをいま思い出しました。レアですね。ちなみのあのシリーズで一番視聴率が悪かったのはボクが出た回だ、っていう風に中居くんが言ってましたね(笑)

◆天野っちは、結構ジャストなゲストだった感じですよね。漫画もゲームも好きだし。流行ものが好きなんじゃないかな。何でも詳しいし。久々のキャイ〜ンで良かったですね。「やっぱりあのふたり、楽しいな」って感じでした。なかなかいないですよ、いまどきの芸人さんですんなり正解しようとして当てにいく人(笑)

◆「次に一緒にやるならどんな番組がいいですか?」という質問もいただきましたが…どんな番組がいいかな?作りこんだコント番組とかもいいかもしれない。彼らとボクは、ホントにフリーでロケバラエティーを10年以上一緒にやった仲なんで、今度はちゃんとスタジオのセットで。経験がないから、3人で、っていうのは。出来るのかどうかは…アドリブにしたくなっちゃいそうだけど、ちゃんとセリフでのやり取りをしてみたいかな。