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#305(2008.10.11 OA)

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好きです、修造さん!

トップニュース

スマステーション、8年目に突入!いま最も熱い注目を集めているプロテニスプレーヤークルム伊達公子さん登場!!

「スマステーション、300回を突破し、今日から8年目に突入します!オープニングもちょこっとリニューアルしまして…今後とも頑張っていきますので、みなさんよろしくお願いします。さあ、8年目のスタートにふさわしい、ステキなゲストの方に来ていただきました。若くして世界のトップクラスに上り詰め、そして25歳で突然の引退!そして、突然の国際結婚!そして、37歳にして突然の復帰!そして、いきなり優勝…何だそりゃあ!いつも我々を驚かせてくれる、日本を代表するテニス界の女王の登場です!!」。というわけで、いま最も熱い注目を集めているアスリートのひとり、プロテニスプレーヤーのクルム伊達公子さんをゲストにお迎えした今週のSmaSTATION!! 香取編集長が、ここでしか聞けない『国民のギモン』を伊達さんにぶつけて、本音を語っていただきました。1996年のフェドカップなどで伊達さんと死闘を繰り広げた当時の女王シュテフィ・グラフ選手のこと、旦那様であるドイツ人レーサー、ミハエル・クルムさんとの出会いや結婚生活のこと、美容や健康のために気をつけていること、さらには、伊達さんをずっと応援し続けている“日本一熱いスポーツキャスター”松岡修造さんのことなどなどを伊達さんに伺っていきました。そして、誰もが一番知りたいのは、やはり、「どうして絶頂期に引退したのか?」、そして「どうして復帰しようと思ったのか?」いうこと。引退に関しては「いっぱいいっぱいだったんですよね。ツアー生活が辛くて辛くて…。言葉がダメ、食事がダメ…で、テニスって、ホントにホテルを転々として、移動ばっかりで、孤独感いっぱいで…いまの時代みたいにメールもないし携帯もないし、孤独感にずーっと耐えていかなければならなくて…」と伊達さん。そんな中でも、試合前夜、ホテルの部屋にまで取材の電話がかかってきたりもしたそうで、編集長も思わず「部屋にまで電話はイヤだなぁ…」と同情していました。一方、旦那様からは「復帰すればいいのに」とずっと言われ続けていたそうですが、現役復帰のきっかけになったのは、グラフ選手らと試合をすることになったエキシビションマッチへの出場でした。そのための準備期間中に、テニスを続けてもいいかな、という思いが湧いてきたという伊達さん。「スポーツが大好きだし、チャレンジすることが大好きだし、だから(世界ランクの)4位になったとか、過去のテニスプレーヤーだった伊達公子、っていうことよりも、いまの自分の中でチャレンジしてみたいっていう気持ちが強くなったんです」と笑顔で語ってくれました。20日から台北で始まる『2008 OEC TAIPEI LADIES OPEN』、そして11月から始まる『ニッケ 全日本テニス選手権 83rd』での活躍を期待しましょう! 次週18日の放送は、『アジアのいい男ランキング』&『月イチゴロー』の2本立てです。お楽しみに!!

クルム伊達公子さんへの国民のギモンBEST10


Sma STATION特別企画
先日、37歳にして新たなる挑戦を宣言、再びコート に戻ってきたクルム伊達公子さん。厳しい勝負の 世界に再挑戦し、見事な存在感を示した伊達さんとは 一体どんなアスリートなのでしょうか。関係者の 証言、そして貴重な映像とともに 38年間の知られざる秘密に迫ります。

伊達公子さんは1970年、京都・西陣の近くに3人兄弟の末っ子として生まれました。負けん気の強い、おてんばな女の子だった伊達さんが初めてテニスと出会ったのは小学校1年生、6歳のとき。親の通うテニスクラブで見よう見まねで遊んでいるうち、すっかりテニスの魅力に取り付かれてしまったのです。運動神経抜群で体育の成績はいつも5だった伊達さんですが、意外にも大の偏食で、給食が大嫌い。ニンジンやかぼちゃなどの野菜が食べられず、牛乳も嫌いでした。パンも苦手で、毎日こっそり給食袋に隠して持って帰るほどだったといいます。そんな伊達さんは中学を卒業すると、テニスで全国一の強さを誇っていた、園田学園に入学。親元を離れ、寮生活をしながらテニスに打ち込みます。そんな伊達さんが全国にその名をとどろかせたのは、高校2年生のとき。日本のトッププロも出場する「全日本選手権」でした。この大会で伊達さんは、いきなり4位入賞! まさに快挙でした。そして1989年、18歳の伊達さんは、高校卒業と共にプロデビューを果たします。マスコミは、「日本人で世界の頂点に立てる唯一の女子テニスプレイヤー」と伊達さんの活躍に大いに期待を寄せました。そんな伊達さんが世界に名を知らしめた大会があります。91年、20歳のときに挑んだ、「バージニアスリムス・オブ・ロサンゼルス大会」です。当時、世界ランク118位だった伊達さんが準決勝で対戦することになったのが伊達さんの憧れであり、世界ランキング3位のガブリエラ・サバティーニ選手。ここで伊達さんは持ち前の勝負強さを発揮し、第1セットは落としたものの、第2セットを6―1と奪い追いつきます。そしてファイナルセットに、なんと大逆転勝利を収めたのです。身長163cmの無名の小さな日本選手が世界のサバティーニを破ると言う大番狂わせを演じてみせたのです。こうして世界でも認められるプレーヤーとなった伊達さんは、92年、21歳で「全日本選手権」優勝。93年には、「全米オープン」でベスト8に入るなど、メキメキと実力を上げていきます。そして1994年1月、伊達さん23歳のとき、ついに記念すべき偉業を達成します。世界ランキングが第9位となったのです。日本人女子テニスプレイヤーとしては史上初となる、トップ10入り。さらに、95年11月には世界ランキング4位にまで上り詰めたのです。

「『凄い!』というところを超えていましたね。身長ではないんだという可能性を感じました。欧米人相手でも出来るという事を、日本の選手が、伊達さんが世界に対してアピールできたって言うことだと思います」(松岡修造さん)

しかしその裏側で、伊達さんはある悩みを抱えていました。

「遠征が嫌いだったんです。本当辛そうでしたよ。辞めた理由はそれですからね。自分で炊飯器持っていって、おにぎりを作って食べている伊達さんをずっと見ていましたね。なんかこう、ツアーを苦しんでいる伊達さんのイメージっていうのが、僕の中では印象的です」(松岡さん)

当時の伊達さんは英語が苦手のうえ、もともと偏食のため海外の食事がどうしても口に合わず、時にはお菓子だけで試合に臨んだことも。さらに、伊達さんを苦しめたのが、試合前夜であろうとかまわずかかってくる、マスコミからの電話。当時、伊達さんはマスコミ嫌いで知られていましたが、それはそんな理由からだったのです。それでも伊達さんは、「全米オープン」で2年連続ベスト8入り、「全仏オープン」で日本人初のベスト4入りを果たすなど、めざましい活躍を見せました。「伊達さんは男として言うのは恥ずかしいけど、羨ましい存在でした、本当に。僕にはない才能を持っていました。僕にはない、メンタルの強さを持っていました。僕にはない「伊達さ」があるんですよ。もうカッコいいんです!」(松岡さん)

そして1996年7月、25歳の伊達さんはついに夢の舞台に立つ。テニス4大大会の中でも最も古い歴史を持ち、伝統と格式を誇るテニスの聖地「ウィンブルドン」です。その準決勝、センターコートに伊達さんはいました。対戦相手は「ウィンブルドン」を6回制している、女王グラフ選手。両者一歩もゆずらない互角の展開の中、2セット目を伊達さんが取り、流れは完全に伊達さんのペース。しかし、セットカウント1―1のところで日没のため試合は翌日に持ち越しになってしまったのです。翌日はグラフ選手が女王の意地を見せ、日本人選手初のウィンブルドン決勝進出はなりませんでした。しかし、その熱戦からわずか2ヵ月後、絶頂だと思われた中、伊達さんは引退を宣言します。伊達さん25歳、プロとしての選手生活は8年でした。

「僕らとしてはもう『何故』って? 嫌な言い方ですけど。『バカじゃないの?』って言いましたよ。僕には考えられないって。何故なら一番いい時期に辞めたんですから」(松岡さん)

引退後、伊達さんは解説者・レポーターとしてメディアに登場。その後、子供たちにテニスの楽しさを伝える「カモン!キッズテニス」を開催。大好きなテニスへの恩返しを積極的に始めました。そして、2001年には、ドイツ人レーサー、ミハエル・クルム氏との結婚を発表します。英語が苦手で、海外ツアーであれほど苦労した伊達さんの国際結婚。そして、世界の超セレブが住む、モナコでの生活に誰もが驚きました。そして、引退から12年経った今年4月、なんと伊達さんは再びコートに立つ決意をしたのです。37歳という年齢での新たなる挑戦。登録名も「伊達公子」から「クルム伊達公子」へと変更して臨みます。復帰第1戦の「カンガルーカップ国際女子オープン」で伊達さんは、関係者の不安をよそに、いきなり準優勝。6月に行われた「東京有明国際女子オープン」では見事な優勝を果たしたのです。絶頂期での引退に、突然の結婚。そして誰もが驚いた新たなる挑戦と常に話題を振りまく、クルム伊達公子さん。そんな彼女に、今、聞いてみたい国民のギモンを全てぶつけます!

■第10位 「テニスをする上で年齢的に苦労することは?」

香取 37歳の復帰で苦労するのは?
伊達 12年のブランクがある中で、やはり回復力が一番の苦労ですね。あとは、瞬発力ですね。
香取 逆に有利な点は?
伊達 テニスを離れて解説をやっていたこともあるので、自分がコートの中にいても冷静に見られる点ですね。あとは、経験もあるので、自分の感情的な部分をコントロールできるってことです。

伊達さんを語る上で欠かせない1戦があります。1996年、「フェドカップ」での女王・シュテフィ・グラフ選手との戦いです。1990年代、グラフ選手は無敵の女王として女子テニス界に君臨。およそ3年半にわたってランキング1位であり続けるなど、他を圧倒する強さを見せていたのです。そんな彼女に真っ向から勝負を挑んだ伝説の試合が、96年の国別対抗の「フェドカップ」です。伊達さんは当時世界ランキング7位でしたが、グラフ選手に対しては過去6戦全敗。世界ナンバー1の壁は、とてつもなく高かったのです。その上、伊達さんは前日の試合で痛めた左足のケガというハンディを背負っていました。歩くだけで激痛が走り、痛み止めを飲みながらの試合でした。序盤、予想通り、足の痛みを気にする伊達さんはプレーに集中できず、グラフ選手の強烈なショットに、あっという間に5ゲームをとられ、スコアは0―5に。しかし、伊達さんは必死にボールに食らいついていきます。いつしか会場は一体となり、伊達さんを応援し始めたのです。「応援してくれる人のためにも勝ちたい」と痛みを気にせず、テニスに集中し始めた伊達さんは、猛反撃を開始。0―5のピンチから7―6の大逆転で1セット目を奪取。そして、2セット目をグラフに取られて迎えた最終第3セット。一進一退のシーソーゲームで、ゲームカウントは5―5のタイに。この試合には、最終セットは2ゲーム差が付くまで続けなければならないというルールがありました。二人の死闘は、どこまでも続くかと思われました。伊達さんの足は限界を越え、痙攣がおき始めていました。そして、11―10で迎えた伊達さんのマッチポイント…。伊達さんは、女王グラフ選手に、見事勝利したのです!第3セットは、12―10.試合時間は3時間25分にも及びました。この奇跡の勝利には、日本中が酔いしれました。

■第9位「やっぱりグラフは強かったですか?」

香取 やっぱり強かったですか?
伊達 強いもなにもサイボーグだと思っていました。人間じゃないって。そのくらい隙がないんですよ。
香取 試合中に「これいける!」って感じたことは?
伊達 なかったです。だけど、あの「フェドカップ」の前に対戦をして「グラフにはこうやればいいのかな」と手ごたえを感じていたので、凄く楽しみにはしていたんですよ。ただ、グラフとやるときは、自分の力が100%以上出せないと勝てるなんてことはありえないと思っていたので、足を怪我していたので今日は無理だと思っていました。
香取 テニスが強いっていうのはどういうところなんですか?
伊達 テニスは、技術、メンタル、体力に加えて運を持っていないと勝てないんです。勝てるっていうときは、運を引き付けられる力が出てくるんです。

2001年12月1日、伊達さんはドイツのレーシングドライバー、ミハエル・クルム氏と挙式。突然の国際結婚は、マスコミに大きく取り上げられました。そんなふたりの新生活の場所となったのが、世界中のセレブが集まる街・モナコ。その後も仲のよい夫婦として、度々テレビなどでも紹介され、ふたりで本も出版し、今では多くの女性の憧れの夫婦となっています。

テレビで見てすぐにタイプだなって思いました。凄くいいスマイル、伊達スマイルをしていたのを見て、それにハマッたね。僕は、結婚したかったですね。運命だったら自然とそのチャンスがくると信じていたら、そうなりました。性格が似ているし、一緒にいるのが非常に楽しいので、幸せです、もちろん(笑)(夫・レーシングドライバーミハエル・クルム氏)

■第8位 「モナコ暮らしの魅力って何ですか?」

香取 僕も行ったことあるんですけど、魅力はなんですか?
伊達 のんびりしていて、毎日が日曜日みたいなんです。
香取 最高じゃないですか!
伊達 その中で、朝は毎日マーケットに行って野菜とかパンを買いに行っています。その後は、だいたいスポーツやってます。走るかテニスをやっています。
大下 そういうときのテニスは楽しさが違いますか?
伊達 そうですね。「モンテカルロ・カントリー・クラブ」っていうところに行くんですけど、すっごいきれいなんですよ。コートが赤土で空は青くて海が見えてっていう。
香取 はあ〜。それで、毎日が日曜日。ハンパじゃないですよ。

■第7位 「ミハエルさんとどうやって知り合ったんですか?」

伊達 もともとは、(耐久レースの)ル・マンに彼が出ていたときに、ほかのレーサーの方に紹介してもらったんです。そのときに、「僕の奥さん見つけた」ってイギリスの友だちに電話したらしいんですよ。
香取 本当の話ですか?
伊達 はい。そこから、再会するまでに5年くらいあって、そこから結婚するまでに1年くらいあったんです。
香取 夫婦円満の秘訣は何ですか?
伊達 コミュニケーションですね。いっつも、しゃべってますね。一緒にいられる時間は、朝から寝るまで今日あったこととか、自分の考えていることとか、ずっとしゃべってます。

38歳になった今なお、アスリートとして活躍し多くの人から注目を集めている伊達さん。さらに、ピラティス本の出版、ブログでの料理発表、雑誌での特集などアスリートとしてだけでなく、美しい女性、生き方に憧れる女性の代表として30代、40代女性の圧倒的支持を集めています。

■第6位 「休みの日は何をしているんですか?」

伊達 またプレーヤーになった今は、だいたい体を休めてますね。
香取 引退した後は何をしてたんですか?
伊達 ここぞとばかりにいろんなことをしてましたよ。まず、ぬか漬けを漬けました。家にいなきゃできないことがやりたかったんです。
香取 それ以外には何を?
伊達 茶道、着付け、お料理、ペン習字も始めました。
香取 何を目指していたんですか?
伊達 お茶も中学生くらいからやりたかったんですけど、ずっとテニス一色の生活だったので、できなかったんですね。だから、ここぞとばかりに。

■第5位 「美容・健康のために気をつけていることは?」

香取 毎日が日曜日の中で、どこをどう気をつけているんでしょうか。
大下 視聴者の方から「いつもスッピンに見えるほど肌がきれい」とのメールが来ていますが、私も聞きたいです。
伊達 普段はテニスのときもそうですけど、スッピンです。特に25歳で引退するまでは、日焼け止めも塗ってなかったです。ただ、朝晩のスキンケアだけは、例えば夜が遅くなっても試合に負けても、必ず基礎だけはやります。
大下 基礎化粧品だけ?
伊達 はい。あんまり外から付けるよりは、睡眠と食事とっていうのは、小さいときから気をつけていることではあります。
香取 とにかく、基礎が大事ってことですね、大下さん!

■第4位 「松岡修造さんのことをどう思いますか?」

日本一熱いスポーツキャスターとして知られる松岡修造さん。様々な試合会場で声援を送る姿はまさに“熱血漢”という言葉がピッタリです。もちろん「フェドカップ」での伊達さんとグラフ選手の死闘でも熱い声援を送っていました。そんな松岡修造さんも、テニスの世界4大大会のひとつ「ウィンブルドン」で、日本人男子としては戦後初となるベスト8進出という輝かしい実績を持つ、元プロテニスプレイヤーです。

香取 正直、昔ボクもちょっと嫌いだったんですよ(笑)。いまはもう大好きで…。あの熱さがグイグイきますよね?
伊達 きますか(笑)。私はそんなに小さいときは強くなかったんですけど、彼はもうトップジュニアだったので…。中学生くらいから試合会場で会ったりするんですけど、まあ、とうとう“素”を出しちゃったかな、っていう感じですかね(笑)。
香取 中学生くらいから知ってるんですか?
伊達 知ってます。もちろん雲の上の存在でしたけど…。世界に行くようになってからは…女子の中だけでいると、やっぱりライバルじゃないですか。なので、何か行き詰ったりとかすると、いつも相談したり、話を聞いてもらってた相手でもあるんですよ。
香取 グラフとの試合のとき、あの応援はどうだったんですか?
伊達 あれは、(松岡さんが)韓国で試合に出てたんですよ。で、負けて、急きょ応援に帰ってきてくれて、あの旗を振り始めてくれたんですよ。嬉しいんですけど、でも勝つ前に1回マッチポイントがあったんですけど、そのときに、自分がプレーしてる気になっちゃったんだと思うんですけど、打つ前に「行け!」「行け!」って声が聞こえて、「誰だ、うるさいな!」って思ったら、どうやら松岡さんだったんですよ(笑)。うるさくてしょうがなかった(笑)。
香取 ちょいちょいうるさいけど、その熱さがグイグイくるんですよね。
伊達 そうですよね。いまでもメールで結構いろいろ相談したりとかはしてます。

■第3位 「男子テニスで活躍する錦織君についてどう思いますか?」

日本男子テニスでは、松岡修造さん以来16年ぶり2度目の海外ツアー優勝を果たし、一躍注目を浴びるようになった期待の新星・錦織圭選手。弱冠18歳で、今年の4大大会、「全米オープンテニス」ではベスト16。その異例の活躍ぶりは、伊達さんの絶頂期を彷彿とさせるものがあります。

伊達 楽しみですね、これからが。やっぱり、男性が出てきてくれないと…テニスって日本の中ではポピュラーじゃないスポーツなんですよね。やっぱり野球やサッカーとかに取られてしまうので。そういう意味で、いま出てきてくれたというのは日本のテニス界にとって凄く大きいことだし、プラス、彼は「世界でやってくれるんじゃないかな」と思わせてくれるプレーをしてくれるんですね。
香取 そのプレーっていうのはどういうところですか?
伊達 メンタル力があるということと、何よりも武器を持っている、というのが大きいと思います。彼もそれほど身長が高いわけじゃないですけど、フォアハンドという武器を持っているというのは…何かしら、「これをやればポイントが取れる」というものを持っているか持っていないか、っていうのは世界に近付いていって、世界で戦える場所に行くには必要な要素なので。

1996年、伊達さんは25歳にして突然、引退を発表。そして、12年間のブランクを経て、今年4月、再び彼女は世間を騒然とさせます。37歳という年齢で復帰を宣言したのです。「本当にプレイできるのか?」という周囲の声をよそに、伊達さんは次々と勝利をあげ、驚異のパフォーマンスを披露しました。

■第2位 「どうして若くして引退したんですか?」

■第1位 「どうして復帰しようと思ったんですか?」

香取 まずは、「どうして若くして引退したんですか?」。どうしてなんですか?
伊達 若かったんだと思いますね。考えが甘かったんだと思います。自分でいっぱいいっぱいだったんですよね。日本のテニスで、世界のトップにいく選手もそれまでにいなかったし…。テニスって、ホントにシーズンオフが短い競技なんですね。その中で、松岡さんも最初に言ってましたけど、ツアー生活が辛くて辛くて…。私は海外遠征もそれほど多くなかったし、言葉がダメ、食事がダメ。テニスって、ホントにホテルを転々として、移動ばっかりで、孤独感いっぱいで…いまの時代みたいにメールもないし携帯もないし、孤独感にずーっと耐えていかなければならなくて…。
香取 マスコミ嫌いのVTRの中にありましたけど、ホテルの部屋の中にまで電話があったりしたんですか?
伊達 ありましたよ。
香取 部屋の電話はイヤだなぁ。
伊達 だからいろんな意味で、それを受け入れたりとか、それを上手くコントロールするだけの余裕が、自分の中になかったのかな、って。
香取 でも、その引退があって、その後、いろんな経験ができて、そして今日の1位「復帰」。どうして急に復帰をしようと思ったのか…。
伊達 ひとつのきっかけは、ことしの3月に、エキシビションマッチでグラフとナブラチロワっていう伝説のプレーヤーたちと3人で試合をしたんですけど、そのために半年間準備でテニスをしてて…。で、マイクからはいつも「公子、復帰すればいいのに」ってずーっと言われてたんですけど、もう10何年も経っているし、自分もやる気がないし…という話をしてたんですけど、半年くらい練習して、体作りをして、健康にも気をつけて、ケガにも気をつけてやっているうちに、何となく継続してみてもいいかな、って気持ちがふつふつと湧いてきて…。プラス、マラソンにチャレンジしたりとか、これまでもやってきて、やっぱりスポーツが大好きだし、チャレンジすることが大好きだし、だから4位になったとか、過去のテニスプレーヤーだった伊達公子、っていうことよりも、いまの自分の中でチャレンジしてみたいっていう気持ちが強くなったんです。
香取 今後の目標はあるんですか?
伊達 まずは11月にある全日本というのはひとつあるんですけど、来週から台湾である試合に出場することも決まりました。
香取 海外にいきますか! 孤独感には耐えられますか?
伊達 まだわかんないですけど、挑戦します(笑)。

気持ちに嘘つける人なんていない

香取編集長のファンだというクルム伊達公子さん。編集長とのトークもステキでした。今週の格言は、もちろん伊達さんについてのことです。「人は、自分の気持ちに嘘をついてしまうこともあると思うんです。ボクも、自分の気持ちに嘘をついているところがあると思うんですけど、チャレンジ精神が生まれて、『やろう!』と決意したときにそれを実行してしまう伊達さんは凄いな、と。挑戦してみたい、っていう思いが生まれたのにも関わらず挑戦しない人…自分も含めてなんですけど…って、どっかで自分の気持ちに嘘をついて、『やっぱり無理だ』とか『そのうち気持ちも変わるだろう』とか『そのうち他にやりたいこと見つかるだろう』って過ごしてしまったりするんでしょうけど、きっとそれは『悔い』として残ってしまう。伊達さんは、頭でどうこう考える前に『よし、やろう!』っていうくらいの気持ちで復帰したのかな、なんて思ったりもしてたんですけど、お話を聞いていると、ブランクが辛いこととか、みんなが思うことと同じことを思っているのに、冷静にそれを受け止めて、それでも復帰しようとした、っていうのがハンパじゃないですよね。自分の気持ちに嘘をついて、そう思っている時期が過ぎればいいのに…なんて思っていて、それから1年か2年して、改めて『でも、やりたい』って思ったときにはもう遅い、ってなっちゃうじゃないですか。大事なのは、やっぱり決断力なんでしょうね。」

クルム伊達公子さん
普通の人より短い現役生活を、長いと思っていた理由がわかりました。

初出演のご感想をお聞かせください。

香取さんにやっと会える日が来たなってことで、とても嬉しかったです(笑)。

実際にお会いした香取さんはいかがでしたか?

お話もとても楽しかったですし、テレビで見るよりも素敵な方でした。

今日の特集は、伊達さんの足跡をたっぷり紹介したものでしたが、ご覧になってどんなことを思われましたか?

なかなか、あそこまで振り返ってたっぷり紹介していただけることはないと思うので、嬉しかったですね。それから、自分でも自分の人生にビックリしました。懐かしい映像もたくさんありましたので。

1番、印象に残ったこと、もしくは驚いたことは?

今までもポイント、ポイントで試合とかを振り返ることはあるんですけど、あんなふうに全部をまとめて振り返ることはありませんので、まずはそのことに驚きました(笑)。現役生活が8年というのは、凝縮はしていますけど、普通の人に比べれば短いんです。それでも、自分の中では長いという感覚を持っていたんですが、VTRを見て、その理由がわかりました(笑)。

引退、結婚、復帰と、いつも周囲をあっと言わせるタイミングで決断されますね。いつでも自分に正直に生きているからなんでしょうか。

そうですね、そこは自分でも貫いてきていることですし、今回の復帰に関しても、当然、自分の素直な気持ちの中で動き出したことですので。これからもそんなスタンスはずっと維持していきたいなと思っています。

見事、復帰を果たされましたが、今後はどんなふうなスタンスで現役を続けていこうと思われているのですか?

その都度、その都度、自分の体と向き合ってここまでやってきて、この半年くらいで「できるところまでやってみたい」という気持ちが膨らんできました。今後も、自分の体と向き合うように心とも向き合って、「やれるところまでやってみよう」、そんなふうに思い始めているところです。

最後になりますが、香取さんにメッセージをお願いします。

お時間があれば、今度はぜひ、テニスを見に来てください!

告知

■『2008 OEC TAIPEI LADIES OPEN』
会場:台北市台北アリーナ
日程:10/20(月)〜10/26(日)

■『ニッケ 全日本テニス選手権 83rd』
会場:東京・有明
日程:11/9(日)〜11/16(日)

引退、結婚、復帰と軽やかに進んでいく伊達さんが素敵です。

伊達さんとは同じ年で、学生時代にテニスをやっていたこともあり、ずっとファンだったんです。「フェドカップ」や「ウィンブルドン」の試合も見ていましたし、社会人になってからは、引退会見の取材に行ったりもしました。昔からかわいい方でしたけど、今日の伊達さんの笑顔は一段とやわらかく、まぶしいくらいに輝いていましたよね。内面が凄く充実しているんだろうなって思いました。引退も、結婚も、そして復帰も、決断していくのは凄く大変なことなのに、その都度、自分をどんどん変えながら、軽やかにやっていかれるっていうのが同世代から見ても凄くかっこいい。ひとつの場所に留まらずに、どんどんチャレンジしていく姿は、テニスはもちろん、伊達さんの生き方そのものにあらわれているように思いました。それにしても、8年のプロ生活のあと、12年のブランクを経て復帰されるなんて、並大抵のことではないですよね。私だったら、実績が傷つくのを恐れて決断できないかもしれないって思いますけど、伊達さんは過去にはとらわれず、常に前だけを見ていらっしゃいますよね。そんなところも凄く素敵だなと思いました。来週からは、台湾での試合に臨まれる伊達さん。以前は孤独を感じるから遠征が苦手とおっしゃっていましたが、今ではクルムさんというパートナーがいらっしゃるのですから、きっと孤独ではないですよね。アスリート同士、わかりあえるだんなさまのサポートを得て、これからも活躍していってほしいと陰ながら応援しています。

クルム伊達公子さんは、本当に輝いている方でした

◆クルム伊達公子さん…もう、本当に素晴らしいですね、ステキな方で。『ステキな方』っていう言葉が、こんなに似合う人はいないんじゃないかな、って思いました。老若男女問わず、誰からも愛されるクルム伊達公子さんを肌で感じましたね

◆伊達さんのお話も凄くよかったですよね。今日、こうやってお会いしてみて、終わってから「何だろう?」って考えたんですね。あのときに引退を決断したからこそ、いまの輝いている伊達さんがいるのかな、とか考えてしまったんですけど、でも、引退する前だってもちろん輝かしい実績もあり…。あれだけ、日本のテニスの歴史に残る試合をしてきたわけでしょ。どこをとっても素晴らしいんですけど、いま38歳にして、さらに輝いている…本当に凄いと思います

◆復帰する、っていうのは本当に大変だったと思います。ボクはスポーツ選手ではないのでわからないところもありますけど、引退してから、もう一度復帰したいと思う選手の方って、ほかにもいそうじゃないですか。でも、それこそ「そんなのあり得ない」っていうくらいに、自分自身で思ってしまったり、いろんなことを考えてそういう気持ちにストップをかけてしまったり…チャレンジしたい、っていう気持ちが膨らんでも、普通は止めちゃいそうなものですよね。でも伊達さんは、最初はやる気もなかったけど、旦那さんと話してみて、チャレンジしてみようかな、っていう気持ちが生まれたからにはやってみよう、って思ってホントに復帰しちゃった、っていうのが凄いですよね。しかも、復帰していきなり結果まで出している!

◆修造さんも、「伊達さん」って「さん付け」で呼んでますからね。後輩なのに、「伊達さん」って。それは、前からみたいですね。その当時から「さん付け」だったらしいです。スタッフが聞いた話によると、「怖くて近寄れなかった」と。修造さんの方が伊達さんに(笑)。でも、伊達さんと修造さんのおふたりもステキな関係ですよね。