トップ
トップニュース
ニッポンヲシロウ!
セカイノニュース
ベラベラステーション
スマメール
スマデータ
ゲストトーク
コクチ
シンゴ5
オオシタアナ
ヘンシュウコウキ
スマギャラリー
バックナンバー

スマデータ投票
モバイルサイト
メールマガジン
ケイジバン
番組へのご意見
最新号のTOP

いよいよ来週公開される超話題作「NIN×NIN 忍者ハットリくん・ザ・ムービー」で、主人公のハットリくんこと、服部カンゾウを演じる香取編集長ですが、実は以前から「忍者って本当に凄かったの?」「ムササビの術ってあったのかな?」などなど、「忍者」に関して不思議に思うことが多かったそう。そこで、今回のスマステーション3では、歴史の影に生きた忍者の真実の姿と、驚くべき忍術の実態に迫ります!!
四角い布をパラシュートのように使って跳ぶムササビの術。これは本当にできたのでしょうか? 実際、忍者は高い所から飛び降りる際に、「地降傘(じおりがさ)」といって、羽織や上着を身にまとい空気抵抗を受けていたと言われていますが、その効果については不明。そこで、空気力学のシミュレーションを行う、計算流体力学研究所に聞いたところ、何とムササビの術は可能との回答が! 例えば、高さ58mもある大阪城の天守閣から飛び降りるとすると、丸腰で跳べば、約3秒後には時速100kmのスピードで地面に叩きつけられます。しかし、ムササビの術を使って上手く風に乗れば、滞空時間は実に7〜8秒以上。天守閣から何と100m以上も離れた堀を飛び越えることが理論的には可能だと言うのです。大切なのは、前方に棒を取り付けて布を固定させること。こうすることで、ハングライダーのように安定した空気の流れを作り出すことができるそうです。ちなみに、忍者は何とビルの4階の高さから飛び降りることも出来たそう。それは実に15mの高さ。古い文献の記述によると、忍者は着地の瞬間、猫のように両手両足、そして刀の鞘を同時に接地させて、うまく衝撃を分散させていたというのです。この他、忍者は、高さ約2.5mの壁に軽々と飛び乗ったという記録も。それはサッカーゴールを凌ぐほどの高さ…。また忍者は、幅跳びをすれば約5.4mを飛んだとの記述も。これは自動車2台を軽く飛び越えるほどのジャンプ。忍者は並大抵の運動神経ではなかったことが伺えます。
正解は「可能」。といっても、素早い動きで自分の姿をダブらせて見せるのは、いかに俊敏な忍者と言えどもさすがに不可能。実際に忍者が用いていた方法は、擬似的な分身術。これは「八方分身」と呼ばれ、相手に催眠術をかけて、自分を8人いるように信じ込ませる術。一説によると、忍者は薬物に精通していたので、麻薬を用いて敵に幻覚を起こさせ、分身のような錯覚を見させていたのではないかとも言われています。
まずは忍者着。さすがにまっ昼間からこれを着ることはなく、普段は山伏や行商人、大道芸人など、人ごみに紛れやすい格好で行動し、夜、屋敷に侵入する際などに、忍者着を着用していました。そして手裏剣。これも忍者が実際に使っていた武器。十字、卍、八方など様々な形があり、甲賀忍者は「飛苦無(とびくない)」という釘のような独自の手裏剣も使っています。では刀はどうでしょうか?香取編集長も「撮影の時、(背中に背負った刀が)ジャマだった」とおっしゃっていましたが、実は、忍者は刀を背中に背負ってはいなかったのです。忍者刀は普通の刀より短いのが一般的ですが、それでも背負うと抜きづらく、また狭い場所を通る時などは邪魔になるだけ。実際の忍者は侍と同じように腰に帯刀していたそうです。ただし、時として刀を背中に背負うときもありました。それは、腹ばいになって移動する時。こうしておけば、敵に上から背中を切りつけられても、鞘で防ぐことが出来るからなのです。
正解は「ネコの目」。ネコの瞳孔は、夜明けと夕暮れ時には一杯に開いて丸く、朝8時ごろと夕方4時ごろはタマゴ型、正午には縦一文字ぐらいに細くなります。これを目安にして、忍者は大体の時間を把握していたのです。
正解は「聖徳太子」。飛鳥時代の権力者、聖徳太子は「志能備(しのび)」と呼ばれる忍者を使って、物部氏や蘇我氏など有力豪族が不穏な動きをしていないか、その動静を探らせていたという記録が残っています。その後、平安時代に入ると武士が力を持つようになり、それに従って、忍者の活躍の場も着々と増えていったのです。
ちなみに、あの源義経が忍者だったという事実をご存知でしょうか? 武蔵坊・弁慶を軽い身のこなしで打ち据えたという義経。彼は幼い頃、京都鞍馬山で忍者修行を受けたといわれていますが、実際、源義経を開祖とする「義経流(ぎけいりゅう)」の忍術書が今も残されているのです。歴史上、忍者が最も活躍したのが戦国時代。
武将たちは国の内外に目を光らせるため、こぞって忍者を活用しました。これに対し、神出鬼没な忍者の存在を脅威に感じた人物が織田信長です。伊賀の里を「化け物の国」と呼んで忌み嫌った信長は、1581年、およそ4万の兵を挙げてこれを襲撃し、女子供に至るまで徹底的に虐殺。これが世に言う「天正伊賀の乱」。伊賀はこれによって壊滅的な打撃を受けたのです。この戦禍を逃れ、落ち延びた忍者の中に、百地三太夫(ももちさんだゆう)という人物がいました。彼は、後に豊臣秀吉によって釜茹での刑で処刑された大泥棒・石川五右衛門に、忍術を教えた師匠として知られています。
ちなみに、忍者といえば、思い浮かぶのが伊賀と甲賀。伊賀の里は現在の、三重県上野市、甲賀は滋賀県甲賀郡甲南町に当たり、この2つの地域は、鈴鹿山脈を挟んで北と南、非常に近いところに位置しています。それゆえ、お互い交流も深く、関係は良好。いわゆる伊賀vs甲賀のような敵対関係はなく、映画「NIN×NIN 忍者ハットリくん・ザ・ムービー」の中で、ケムマキがハットリくんに助太刀するような協力関係が現実にもあったようです。
正解は「半蔵門」。これこそ、歴史上最も有名な忍者・伊賀の服部半蔵にちなんで名付けられた門。服部半蔵が使えた主は、あの徳川家康。1582年、本能寺の変によって織田信長が討たれた時、家康は大阪に旅行中で、随行した家臣はわずか40名。本拠地・三河に逃げ帰る途中で、襲撃を受ければ一巻の終わり、そんな状況でした。その絶体絶命の危機を救ったのが忍者・服部半蔵です。本名・服部半蔵正成、「鬼の半蔵」と呼ばれた彼は、家康の祖父の代から徳川家に仕えた伊賀を代表する忍者。このとき彼は、家康を護衛するため、伊賀者・甲賀者200名を招集。伊賀の里を通り抜けて、無事家康を三河へと帰還させる事に成功したのです。家康は、この「伊賀越え」の最大の功労者である半蔵に対し、手厚く報いました。八千石の領地を与えると共に、武装集団・伊賀組同心を組織し、その頭領に半蔵を任命したのです。半蔵率いる伊賀組が警護にあたったのが江戸城の西門。それにちなんでこの門は、いつしか「半蔵門」と呼ばれるようになったのです。
正解は「メッセージを伝達するため」。この5色の米の組み合わせで、忍者は「あいうえお」という50音を表現していたのです。この他、「結縄(ゆいなわ)」と呼ばれる、様々な形に結ばれた縄を軒先などにぶら下げておき、味方にだけ分かるメッセージとしてこれを使うなど、不用意に手紙を書いたり出来ない忍者ならではの伝達手段がありました。
正解は「黒船」。1853年、浦賀沖に出現した4隻の黒船。それを率いたアメリカのペリー提督は幕府に開国を迫りました。この非常事態の中、沢村甚三郎は、伊賀一帯を統治する藤堂藩の命を受けて、黒船に潜入。その内情を偵察したのです。
しかし、彼の健闘も空しく、外国の脅威に対し幕府は無策を露呈するばかり。近藤勇を始めとする新撰組は徳川幕府存続のために、獅子奮迅の活躍を果たすのですが、時勢の流れを止めることは出来なかったのです。1967年、江戸幕府崩壊、そして明治維新へ。新しい時代の幕開けとともに存在価値を失い、転職を余儀なくされた忍者は、その特殊技能を生かし、ある者は火薬術を利用して花火師に、ある者は薬剤師や医者に、と、それぞれの生きる道を模索していったのです。
 人々の記憶から、その存在が忘れ去られようとしていた中、再び忍者は、一躍脚光を浴びることになります。明治末期から大正時代にかけて、出版された「立川文庫(たつかわぶんこ)」。これは大衆向けに書かれた読み物で、その中で連載された「真田十勇士」が爆発的な人気を集めたのです。中でも、注目の的となった登場人物が、忍者・猿飛佐助でした。彼は実在の人物ではなく、あくまでストーリー上のキャラクター。

ただ、その百戦錬磨の忍術使いが、少年労働者や、貧困にあえぐ小中学生に夢を与えたのでです。そして昭和に入っても、根強い忍者人気は衰えず、小説や映画、マンガの世界で、忍者はヒーローとして描かれ続けました。1964年、漫画家・藤子不二雄(A)が「忍者ハットリくん」を連載開始。その人気を受けて、1966年4月から、テレビ朝日の前身、日本教育テレビで実写版「ハットリくん」も放送されました。さらに、忍者ブームは海を渡って、海外にも広がりました。映画「007は2度死ぬ」では、丹波哲朗が忍者軍団を率いるスパイ役で登場。1980年代に入ると、ショー・コスギ主演のハリウッド映画「燃えよニンジャ」がブレイク。アメリカに一大ニンジャブームを巻き起こしました。以来、数多くのニンジャ映画が制作され、80年代末には、忍術使いのカメが活躍する「ミュータント・ニンジャ・タートルズ」が、圧倒的な人気を獲得しました。

 そして、最近映画化され爆発的ヒットを飛ばした「スパイダーマン」。その原作コミックを描いたスタン・リーは、忍者をモデルにしたキャラクターが登場する「ファンタスティック4」という作品も生み出しています。あの「スパイダーマン」のアクロバティックな動きは、実は忍者の華麗な技からヒントを得たものかもしれませんね。そんな中、2004年夏、日本に再び忍者ブームが巻き起こります。映画「NIN×NIN 忍者ハットリくん・ザ・ムービー」の登場です。香取編集長演じるハットリくんこと、服部カンゾウは、修行のため東京にやってきた伊賀忍者。そのライバルが、ガレッジセールのゴリさん扮する甲賀忍者・ケムマキです。そんな2人の前に、とんでもない怪事件が巻き起こり…。最新映像技術を駆使した、忍者ハットリくんの世界は、全く新しい忍者の魅力を、提供してくれるに違いありません。
Copyright(C)2004
tv-asahi
All Rights Reserved.