8月31日放送のディレクターズアイ 

8月31日放送 ディレクター/飯村和彦
【予見されていた9/11テロ〜検証・アメリカ政府のウソに迫る】

去年9月11日、私は複雑な心境で「アメリカ同時多発テロ」のニュースに接していた。というのはあの日、フロリダからダラス経由で帰国したばかりで、使用した航空会社はアメリカン航空、さらには乗り換え地であったダラス空港では、妙な予感めいたものまで感じていたからだった。

「あの2人組、何か変だよね。テロリストかなんかじゃないの」
ダラスで日本への乗り継ぎ便を待っていた時、私は一緒にいた妻にそう話しかけた。その2人組は、浅黒い肌でがたいの大きい男達で、空港内のスーベニアショップで5、6個(それ以上だったか…)の使い捨てカメラを買っていた。観光客が使い捨てカメラを買う事自体は別段不思議な事ではないのだが、どういう訳か、その二人組の“空気”がとても気になった。
「そうかしら…。陽気なメキシカンみたいだけど…」
アメリカ人である私の妻は、彼らの使っている言葉のアクセントを聞きながらそう返答した。
「そうかな…」
と、一端は納得した私だったがその後、搭乗手続きが始まり機内の座席についた時、また妙な胸騒ぎを覚える事になる。気づくとその二人組が私達の真後ろの座席に座っていたのだ。
「やっぱり、気になるな…」と私。
「考え過ぎよ…」と妻。
「………………」

結局、その時はそれ以上思案を巡らすことを止めた。
フロリダから日本まで計18時間にも及んだ長旅の果て、やっと我が家に辿り着いた私達は、倒れ込む様に眠りに落ちた。当然、その2時間後、アメリカで発生した同時多発テロなど知る由もなかった。
午前3時頃だったか、ふと目覚めた私達は何気なく付けたテレビで“突然”悲劇を知ることになった。

「予感っていうのは、馬鹿に出来ないな…」
私は、刹那、そう思った。それは妻とて同じだった。
「でも、私達の乗っていた飛行機じゃなくて良かったわ」
偽りのない妻の心境だったに違いない。ただ、例の二人組についてどう決着を付けたらいいのかについては、私と妻の間で意見が分かれた。
「アメリカのテロとは関係なさそうだけど、一応どこかに通報した方がいいんじゃないかな」と私。確固たる理由などなかったが、自分の感じた“胸騒ぎ”と“カン”が、そんな言葉になって口から出たに違いない。一方、妻は、
「あの人達は違うわよ。後ろの席で話しているのを聞いていたけど、本当に気さくなメキシカンって感じだったから」
しばらく考えた末、結局、“具体的な会話内容に基づいた妻の印象”を尊重し、例の二人組については、触らないでおくことにした。

以降、つい最近まで当時の自分の判断が正しかったのかどうかについて、時に考え込む事もあったのだが、今回、CIAやFBIの元幹部たちへのインタビューを重ねていくうちに、“あの時の判断はそうそう間違ったものは無かったのでは…”と考えられる様になった。

FBI元副長官であるO.レベル氏は、以下の様に語っていた。
「例え過去にテログループとの繋がりがあった人物でも、その個人が何の犯罪も犯していなければ、基本的にその人物を拘束し逮捕する事はできない。ましてやイスラム系、中東系…etcという理由だけでは、とても逮捕などできない。テロ対策にあってはそれがジレンマであり、テロリストたちはそこを上手く付いている訳だが、それが民主国家の根幹であるから致し方ない」
つまり、民主主義にあっては、そこまで人権というものは守られるべきものなのだ。
ひるがえって私が1年前、例の二人組について「胸騒ぎ」や「カン」というあやふやな根拠だけでどこかに通報していた場合、もしかすると彼ら二人の人権を著しく侵害することになっていたかもしれない訳だ。当然、その逆も想定出来ないではないのだが、“その二人組が如何に奇妙だったか”について、私自身、論理立った説明をする事が出来ない現実を考えれば、当時の判断は“正しい”とまでは言い切れないが“間違ってはいなかったのでは…”という結論になる。

そこまで考えていくと、テロリスト達を事件発生以前に拘束、逮捕するということが如何に困難であるかということが分かってくる。「テロを起こす時間や場所、その全ての状況をコントロールしているのはテロリストであり、常にテロリストが優位な立場にある」ともO.レベル氏は語った。それほど“奴ら”は手強いのだ。
しかし…。
であればこそ尚更、7年も前に発覚していた「ボジンカ」計画の吟味・分析を怠り、去年の同時多発テロ直前にFBI本部に寄せられていた「フェニックス・メモ」やFBIミネアポリス支部が掴んでいた「ムサウイ関連情報」等々が、FBI本部によって握りつぶされ捜査に生かされなかったという事実は、到底許容されるものではない。



1998年までFBIの特別捜査官を務め、現在「FBIの光と影」という本の出版の準備に当たっているI.Cスミス氏は、
「もし“フェニックス・メモ”や“ムサウイ関連情報”が、アリゾナ州フェニックスやミネソタ州ミネアポリスのFBI捜査官からの報告ではなく、ニューヨークやロサンゼルスのFBI捜査官からの報告であったら、同じ内容でもFBI本部の扱い方はまったく違っていた筈だ」とし、「テロ対策のなんたるかも知らない田舎の捜査官に何が分かる…という意識がワシントンのFBI本部にはあった」と言葉を続けた。「似たようなことは日本でもあるんじゃないか…」とも…。

だがそうなると、FBIという組織は自らの組織を否定している事になる。もし、“フェニックス・メモ”やミネアポリスからの“ムサウイ関連情報”が一般市民からの情報であったのなら、100歩譲ってFBI本部の下した判断に幾分かの正当性が出てくるかも知れない。何千、何万も寄せられる一般情報のうちの一つとしての位置づけになるからである。現在、多くのFBI幹部がこの論法で自らが犯した失敗のいい訳にしている。

しかし、今回の場合、その議論は何の正当性も持たない。“フェニックス・メモ”にしても“ムサウイ関連情報”にしても、その情報を発信したのは紛れもないFBIの現職捜査官だったのだ。その情報を信用せず“ゴミ箱に投げ捨てた(…も同然)”FBI本部の担当者は、何をどう弁明しうようが自らの所属するFBIという組織自体を否定してしまったことになる。これではテロを未然に防ぐなどという芸当が出来る筈もない。

つまるところ、彼らの最後の言い訳は“想定外の出来事だった”という魔法の言葉へと落ち込んでいく事になる。政府高官や役人幹部が好んで使う“想定外”という言葉。物事全ての本質を曖昧にする“究極のマジカルワード”である。
日本でも阪神淡路大震災が発生した時、あちらこちらでこの「想定外」という言葉が乱れ飛んだのを思い起こして頂きたい。危機管理能力が問題視されるケースにおいては、必ずこの「想定外」という言葉が登場してくる。

去年、同時多発テロ発生直後にも、FBI、CIAのトップはおろか、多くのホワイトハウス高官がこの「想定外」という表現を使い、“いかにテロが予想不可能な出来事であったか”、つまり“だからアメリカ政府には何の責任もないんだ”という説明を繰り返していた。
今回の取材はその「想定外」というアメリカ政府高官の言葉を耳にした瞬間から始まった。「想定外」…、実に便利で怪しい言葉である。
去年の悲劇から1年…。今、遺族の方々の心中は、計り知れない程重く沈み込んでいるに違いない。あの3000人を越える犠牲者の数が、もしかしたらもっと少なく抑えられていた可能性がある訳なのだから…。

最後に去年の同時多発テロで犠牲になった人達の内訳を紹介しておきたい。
去年12月5日現在のデータでは、9/11のテロ事件の犠牲者総数は行方不明者を含め、115ヶ国で3329人。国別では1位がアメリカ人で約2900人(その8割が30〜40歳代の白人男性)、2位がイギリス人で約60人、3位がインド人、4位がジャマイカ人となっており、日本人犠牲者は24人で第5位となっている。

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