5月11日放送のディレクターズアイ 

5月11日放送 ディレクター/玉川徹
※後半にディレクター/丸山真樹【放送を終えて】があります。

【ワイドショーをなめてはいけない】

たかがワイドショーされどワイドショー。10年近くをワイドショーディレクターとして過ごしてきた私がワイドショーについての思いを明かそう。

私がこの業界に入ったのは今から14年前、平成元年のことだった。新入社員としての研修を終えて、編成局長を前にした面談が行われることを告げられた。後で分かったことだが、その面談は本人の希望を配属の参考にするための面談だった。10人ほどの同期社員が編成局長の前に一列に並べられ次々に抱負を聞かれていく。
「私はドラマをやってみたいです」「バラエティーが希望です」。
希望に満ち溢れた20歳そこそこの若者たちは、さすがに100倍の面接競争を勝ち抜いたつわものらしく、編成局長にアピールしていった。

「君はなにをやりたいんだ?」。
当時すでに天皇といわれていたその人に対して、まぐれ入社の私はこう答えた。
「ドラマもいいし、バラエティーもいいですね。ドキュメンタリーもやってみたいですね。だけどワイドショーだけはいやですね。」天皇は「そうか」とだけ言って、隣の同期に質問を移していった。それから5分ぐらいたっていただろうか。順番も3人ぐらい先に行っていた頃だったと思う。やれやれ終わったと同期たちの緊張をはらんだ受け答えを楽しんでいたその時「そういえばおまえ!」突然鬼のような形相でこちらを向いたと思ったら。
「ワイドショーやりたくないとは何だ!生意気を言うな!」。
隣の会議室まで響き渡るほどの怒鳴り声が私に向けられた。後で分かったことだが、その編成局長はこの局のワイドショーの中興の祖であり、ワイドショーに並々ならぬ思いを持っている人物だった。そのときのやり取りが関係しているのかどうか今も分からないが、その一週間後私は朝のワイドショーに配属された。

まあ、馬鹿正直にワイドショーへ行きたくないという私も間抜けだが、当時の私のワイドショーに対する思いは、一般の視聴者のそれと同じで「ワイドショーは下衆なもの」だったわけだ。それが10年余りを経て、今はワイドショーこそがテレビの未来だと考えるまでになっている。まあ、さまざまな葛藤があったわけだが今は前向きなわけです。

これから先を見据えてみれば、ワイドショーの重要性がおのずと見えてくるというもの。ブロードバンドがさらに普及して一般化すればドラマやバラエティーといった作り物は視聴者が好きなときに見られる通信へとシフトしていくだろう。テレビは放送というインフラが持つ唯一の利点である同時性への特化は避けられない。そうなったときに生放送で、かつどんなネタでも「ワイド」に取り扱うワイドショーはドラマやバラエティーの要素も取り込んで行くことになろう。つまりテレビがすべてワイドショーになるわけだ。ワイドショーの功罪などといえるのも今のうちだけのような気がしてならない。すでに「ニュースのワイドショー化」という言われ方でその兆候は現れている。一歩進んで「テレビのワイドショー化」が必然となれば、今回取り上げた問題はワイドショーという一番組に限った問題ではなくテレビ全体の問題になる。

「ワイドショーをなめてはいけない」。
私はワイドショーこそテレビの本質だと思っているからこそ今回の企画を立てたのだ。10年余りのワイドショー生活は疑問と自己嫌悪そして自己肯定の繰り返しだった。しかし今は目指すべき道しるべが私の中にある。
「名誉あるワイドショー」。視聴者の方々から信頼され、作り手も番組に誇りを持ち、その影響力を自覚しつつ、常にお客さんが求めるものを提供していく。そういうものに私はなりたい。
ちなみに、私は来週からワイドショーへ異動します。

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【放送をおえて】 ディレクター/丸山真樹

「こんにちは、テレビ朝日の丸山と申しますが」。
4月某日、新潟県長岡市。今回の秘書給与流用疑惑で、真紀子議員のファミリー企業の関係者を取材しようと、まず一軒目を訪ねた。
「もう、辞めた人間なので話すことはありません」。
出鼻をくじかれてしまった。しかし、よくよく聞いてみると我々マスコミには話せない理由があった。
「会社がマスコミに話した人間を探している」。
週刊誌の報道以来、地元ではファミリー企業による犯人探しが行われているというのだ。ただ、なぜすでに辞めているのに、話すことが出来ないのだろうか。
「長岡という街は狭く、冬になると近所同士協力をしながら雪おろしをしたりするような土地柄だ。会社を辞めたといっても、マスコミに話したといううわさが立てばここでは生活できなくなる」。     
真紀子議員の長岡での影響力は大きい。そんな彼女に歯向かうという事自体、地元ではタブーなのだ。それは今回、身を持って経験したことでもある。その後の取材でも、たびたび同様の事を聞いた。今回、週刊誌以外のマスコミが続報を出せない背景には、この犯人探しがあると実感した。ならば、なおさら事実関係を明らかにせねばという思いが募った。

そして、取材を重ねていくうちに、秘書給与流用疑惑について、衆議院からの給与の流れが極めて不明朗であり、たとえ会社を迂回する形で秘書本人に渡していたとしても、それが全額渡っていない可能性が高いという結論に到った。

真紀子議員は、放送日の直前5月9日に「給与はトータルとして渡っている」と説明した。しかし、ある秘書は「浮いた分は会社に入っていると思った」と証言している。つまり、秘書は差額があったと認識しているのに、真紀子議員は渡っているという。どういうことなのか。さらに、真紀子議員は当初「本人たちから会社に渡していた」と説明していたのに、「会社担当者に渡していた」「会社会計とは別だった」と一変した。別の会計とはいったいなんなのか。これではまったく疑惑を払拭できていない。これに対し、自民党の政倫審の態度もはっきりしない。もちろん政倫審は捜査当局ではないので、調べに限界があるのはわかるが、やり方は他にもあるはずだ。いずれにせよ、疑惑をうやむやにしたまま放置してはならない。

しかし、そもそもなぜ、今回の疑惑が浮上したのだろうか。私の結論としては、それは真紀子議員の性格にあると思う。人間誰しもいろんな面があると思うし、私自身、他人の性格がどうこう言える人間ではないが、地元を歩き回って共通していたのは、真紀子議員には他人に対する情がなかったということである。それゆえに、側近といわれた人たちが疑惑を語るに到ったのではないかという気がする。

実際、取材した人たちが次々と真紀子議員の批判をするのには正直驚いた。私も、偏った意見だけでは客観性が取れないと思い、可能な限り取材したが、出てくる言葉は非難の言葉ばかりだった。そういった反真紀子議員の言葉は、これまでいつ出てきてもおかしくなかった。しかし、真紀子議員の逆襲を恐れ封印されていたに過ぎないのだ。そしてまた、犯人探しという名のもとに封印されようとしている。

しかし、今回の疑惑は一国会議員の資質に関わる重要な一件である。好きだ嫌いだの話ではない。それゆえに、事実関係をすべて明確にする義務が真紀子議員にはあるし、私も取材を続けていこうと放送を終えて改めて思った。

最後に、この度の取材に協力していただいた多くの関係者の皆様に深く感謝申し上げます。

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