2月23日放送のディレクターズアイ 

2月23日放送 チーフディレクター/田畑正
※今週は原稿が2本立てとなります。ディレクター/花村恵子【疑惑はいつ持ちあがったのか〜これまで見過ごされてきたということ】は後半にあります。

【ムネオハウスを無駄にしないために〜いま政治がなすべきこと〜】

長い間政治記者をやって来た。今回の鈴木議員の疑惑で多くの政治家が反省している光景が目に浮かぶ。多分こんな具合に。「鈴木はやりすぎた。省内に味方を作るのはい いが敵を作るまでやってはいかんな」と。

「鈴木宗男氏は犠牲者だ」。24日放送の「サンデープロジェクト」で田原総一朗氏が言 い放った言葉が耳に残っている。その言葉の背後には「みんなやっているのだから鈴木 議員だけが悪いのではない。ある意味で彼は犠牲者だ。トカゲの尻尾を切って済ますのはいただけない」という意味がこもっている。当然だと思う。だが今は鈴木議員の疑惑 の徹底解明を優先すべき時だ。鈴木犠牲者論がその妨げになるとしたら看過する訳にはいかない。

鈴木議員の疑惑で例えば「ムネオハウス」について言えば、北方領土支援を地元業者に 受注させ政治献金という形で自らに還流させるというのは分りやすい構図だ。入札資格 を露骨に根室管内の業者に限定すべく外務省に介入しただけでなく、入札情報を事前に 知り得る立場のコンサルタント会社と受注業者を事前に自分の事務所で引き合わせていたことが外務省内の極秘内部文書で明らかになっては、もはや言い訳できるレベルを超えている。

問題はそこで入札価格を事前に教えたかどうかだが、関係者はこの点になると一斉に口 をつぐんでいる。いま存在する証拠の一つは当事者の一つである日本工営というコンサ ルタント会社が「外部に情報を漏らしたこと」を謝罪する文書だ。しかし日本工営側は 私たちの取材に対し、「それは具体的に入札情報を漏らしたということではなく、外務 省や支援委員会に無断でプラント会社日揮に協力を要請したことを謝罪した」と答えている。る。この謝罪の中身が一つの焦点だが、当事者の記憶に頼らざるをえないという恨みが残る。

しかし、具体的に入札情報を漏らしたことが立証できなくても、鈴木議員サイドが好ましからざる行為を行ったことは疑いがない。その道義的責任は問われねばならない。また仮に「秘書が勝手にやった」と言うなら、秘書の監督責任が問われる。いやそれ以上 に秘書が勝手にやるくらい、そうした行為が日常化しているのかと思われても仕方がな い。

そして、一番大切なのは、国民の受け止め方だ。ANNの世論調査(2/23・24実施)でも今 回の問題は鈴木議員個人の問題だとする人は12%に過ぎない。その倍の25%は自民 党全体の問題と答え、さらにその倍以上の59%の人たちは、政治全体の問題と捉えてい る。「前々からうすうす感づいてはいたが、族議員システムの中で多分こうやって政治家は懐を肥やしているのだろうという想像をそのまま地で行って見せてくれた」。鈴木議員に対する大方の印象はそんなところだろう。田原氏の言葉もおそらくはそんな国民の実感を背景にしたものだ。

そうであれば、鈴木疑惑で政治がなさねばならないことは、まず1疑惑を徹底解明すること。2その上で鈴木議員が相応の責任をとること。3そして外務省自ら、徹底した意 識改革を行い、政治家との付き合い方を変えること。そのためにはこれまで鈴木議員に支配され、文字通りムネオハウスと化した外務省を肯定してきた幹部(否定してこなかった幹部も同罪)を更迭するのが出発点だ。先日、川口大臣が小町官房長と重家中東アフリカ局長の更迭を発表したが、国民はその後を見ている。
そしてここから先が大事なところだが、4小泉総理は、これが外務省だけの問題ではな いと感じている多くの国民の声に答える行動をとるべきだろう。具体的には、川口外務 大臣が12日に発表した、外務官僚が政治家と接触した場合はその内容を文書に残し、文 書は情報公開の対象とするという改革案を、外務省で試した後全官庁に広げたらいい。

実は私はその実効性にいささか疑問をもっている一人だが、永田町の一部には、政治家 にとって記録に残されるというのは抑止効果になるという見方もある。事実、今回の鈴 木議員のムネオハウス疑惑は、外務省内に記録が残っていたからこそここまで広がった。だからまず始めることである。そして最後に残った課題が5「政と官」の関係の徹底 的見直しである。
       
この「政と官」の問題を考える上で、やや話はそれるが記しておきたいことがある。今回の取材の過程である外務官僚が話してくれた。とにかく鈴木議員が怖いのだという。恫喝口調でまくし立てられるのがそんなに怖いのだろうか、と不思議に思い、「なぜそ れほど恐れるのか」と問うと、鈴木議員やかれの存在を後ろ盾に佐藤勝主任分析官が独 断で海外出張したり、会議を開いたりするのに「それはいかがか」などと意見しようも のなら、とたんに人事でしっぺ返しされるのだという。実際にそうだったかどうかはと もかく、「現役の外務官僚の多くがそういう恐怖に怯え、鈴木議員や佐藤主任分析官に 意見できなくなっているのが現状だ」という。「省内でも鈴木議員派と呼ばれるのは20 人くらいだ」とその官僚は語ったが、それ以外の多くの官僚達は文字通りサイレントマ ジョリティーになっていた。人事権を人質に取られた官僚達が、恐怖感と猜疑心に凝り 固まっていた様子が伺える。

また、別の官庁の官僚は、「官僚も課長以上の役職者になってくると、政治家とトラブルを起こさずに付き合えることが能力として評価されるのだ」と話してくれた。「政治 家とトラブルを起こすと対人関係をコントロールする能力において罰点がつく」のだともいう。だから抜け駆けして政治家にご注進する官僚が出るというわけだ。別の外務官僚は「最初は鈴木議員を頼った。それが借りになった。いつしかそれが重荷になったがどうしようもなかった」と悔しがった。

こんな話は実は枚挙に暇がない。かつて取材した大蔵省(当時)の官僚が、「大蔵省の 官房長は日本でもっとも情報が集まってくるポスト」と豪語していたが、官房長ポスト といえば官庁と政治とのまさに接点だ。当然のごとく政治家と持ちつ持たれつ巧みに付 き合いながらという前提条件つきだったことを思い出す。「清濁併せ呑める」ことが大 物官僚の証明という雰囲気がそこには確実にあった。大蔵官僚をして過剰接待にまみれ させた。利用するつもりが利用される。ミイラ取りがミイラになった典型である。こう した抜き差しならない政治家と官僚の関係を民主党の河村議員は“ずぶずぶ”と表現したが、霞ヶ関の官僚にはよくあることだったと言える。
       
そんなことを思いながら、件の川口外務大臣の「文書化」である。官僚のカルチャーが 変わらないところに制度を導入しても実効が上がるだろうかと思うのは私だけではない だろう。官僚のカルチャーを変えるためには・・・?書き出すと長くなりそうなので稿を改 めるが、これだけは言っておきたい。5の中身でもあるからだ。
政権交代可能な体制に一日も早く政治が脱皮すること=それは官僚を各政党から等距離に保つ知恵である。次に内閣(政府)と与党という二重権力構造を正すこと=官僚に介入できるのは内閣(副大臣、政務官も含む)に入っている政治家に限るとする。与党議 員はその政策意欲を、口利きではなくもっぱら公約作りに振り向ける。そして公約と内 閣の顔ぶれを掲げて総選挙を戦う…。そうした理想に近づけようとしたのが93年の政治改革運動だったはずだ。鈴木疑惑をき っかけに小泉総理がこうした問題意識をどこまで実行に移せるか、国民は注視している。

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【疑惑はいつ持ち上がったか〜これまで見過ごされてきたということ〜】
ディレクター/花村恵子

鈴木議員に関する数々の疑惑が指摘される中で、ここでは少し角度を変えて考えてみたいと思います。

■議員はどうしていたか。

この取材の中である議員は言った。
「僕が言っても外務省は聞いてくれないけど、鈴木さんがいいと言うとちゃんと通る」。この言葉だけを聞くと「鈴木議員の圧力、いうことを聞く外務省」という今の世の中の受け止めの大勢になっている構図を裏付けるように取れる。

しかし全体の話の中で捉えられる実際の意味は少し違う。「鈴木さんはいいこともやっている。何が重要かというツボを掴むのが実にうまい。政治力もすごい」。この議員は、自民党の外交部会である政策について意見を言った。その時鈴木議員が隣りから「今の意見はその通りだ」と言って後押しをしてくれたという。いいか悪いかは別にして、少なくとも鈴木議員は外交に関する考えがあれこれあった。それを実行に移す政治力もあった。
しかしやりすぎた。

政府の政策決定の前段階で与党の了解が必要とされる今のシステムの中では、鈴木議員が「吠えても」他の議員が反対するなり、意見を言うなりして多少の歯止めがかけられたはずだ。しかし実際はそうではなかった。

2000年末、当時の河野洋平外務大臣はいわゆる「軍縮白書」というものを初めて刊行しようとしていた。しかし自民党外交部会での鈴木議員の発言がきっかけで予定していた約3000部の刊行は見合わされることになった。その時の鈴木議員の発言。
「役所の資料のような専門的な記述ばかり。国民が理解できない。税金の無駄遣いだ。党で内容を議論せずに出すのはおかしい」。税金云々というところは、NGOの大西代表とのやりとりを彷彿とさせるが、「国民が理解できるような分かりやすい白書を」という趣旨なら賛同できる。後段の「党で議論せずに出すのはおかしい」との件は、前記したように今のシステムの中ではその通りである。小泉総理が主張しているように、党の了承を得なくても内閣で政策決定をできるようになれば話は別である。

この件は別にしても、「俺は聞いていない」と知らされていないことに不快感を示す議員は多い。「外務省に対し文句を言う議員はたくさんいる。例えば○○さんや××さん。彼らは文句を言うだけで何もしない」官僚から聞いた。鈴木議員は問題があってその方が比重は大きかったが、一方で面倒も見てくれたというのだ。
「面倒」というのは、話をしておけば予算や法案審議がスムーズにいくという意味とともに、ペルーでおきた日本大使公邸人質事件の際に鈴木議員がほぼ毎日自腹で差し入れをしたことなどを指す。また在京のアフリカ各国の大使を、毎年自費で地元北海道に招待していたというのも今回初めて知った。その裏にはそれなりの意図があるはずだと解釈もされるだろうが、少なくとも外務省の中で一番地味なアフリカに「関心を持ってくれた」と受け止める向きもあった。

鈴木議員は、現時点で少なくとも道義的責任は免れないのは明白だが、議員の個性に引きずられすぎてはいないか。この件をきっかけに考えなければいけないのは「政治家と官僚のあり方」の問題である。「政治主導」と言われて久しいが、これを私たちはどう理解しているのだろう。官僚が議員の所に「ご説明」に行く慣習。その様子は「へいこら」していると見えることもある。議員が役所から必要な情報を得ること、意見を言うことは肯定的に捉えられるが、言われたことに官僚が反対するのは難しいと聞く。「意見を言う」「要請する」というのは言葉はやわらかいが、受ける側からすれば「圧力」と同義であることも少なくない。
今回の件で、「例えばNGO排除問題のような具体的な事案について政治家が役所に意見を言ってきた場合は、記録を残す」ことが固まった。しかし記録を残す事案と残さない事案の境目は何なのかというとはっきりしないし、例えば同じ内容であっても議員の言い方や経歴などによって受ける官僚の印象は違うように思う。

「外務省は根回しが下手、他の役所は議員ともっと”うまくやってている”」という声も聞く。ニュースの中心は更に更にと鈴木議員に絞られていっているが、鈴木議員の追及とともに、他の議員が役所とどういう関係であるのか聞いてみたいところだ。今回自民党内からもいち早く鈴木議員の離党勧告の声が出たが、まるで他人事のようにトカゲが尻尾を切られて終わりとしてはならない。

■官僚はどうしていたか

取材の中で一番聞きたかったのは、「なぜ外務省は鈴木議員に抗えなかったか」ということだった。先に書いたように、鈴木議員の力を無視できなかったというのはよく聞いた。しかし、知りたかったのは更にその奥にあるだろう何かだった。心のありようとでもいうか。ある官僚は、「保身」だと言った。その次に「出世」だと。その人の話によると、鈴木議員ともめ事を起こすと、それだけで「バツがつく」という。
「でも鈴木議員が全て正しいとは限らない。勇気はいるだろうがノーと言えば、あいつはよく言ったと省内で評価されるのではないか?」と問うと、内容がどうであれ「処理能力のないヤツ」と見なされるのだという答えが返ってきた。更に別の人が解説してくれた。鈴木議員の恐ろしさは一つに「人事」という役人が一番恐れるものへの影響力にあった。しかしそれは鈴木議員の一声で「飛ばされる」という”直接”の恐怖ではなく、鈴木議員に睨まれると予算や法案が通らず、省内でマイナスの評価を受け、結果として上に行けないという”間接”の恐怖であった。

「役所の仕事は予算と法案からなっている。鈴木議員を通さなかったばかりに自民党の部会で了承されないと、やっている仕事が止められてしまう。鈴木議員の言うなりになっていたと言われても仕方ないが、それが現実だった」。そんなぼやきも聞いた。外務省の弱腰といえばそれまでだが、国会対策に優れた官僚が上にのぼっていく傾向は霞ヶ関の他の官庁も同じだ。外務省に比べたら、他の役所の方が「予算と法案の占める割合」は大きいという。ならば他の役所は議員とどう付き合っているのだろうか。

■マスコミはどうしていたか

例えばケニアの水力発電所を巡る疑惑は週刊誌で早くから取り上げられていた。鈴木議員の献金の多さ、外務省への影響力も前から指摘されていた。鈴木議員と外務省との関連のニュースでは、「元外務政務次官で外務省に強い影響力を持つ」鈴木議員と説明された。しかしその「強い影響力」を問題視し、究明するまでにはならなかった。長い間。視聴者の方から番組宛てのメールでこんな言葉があった。「ここ数日鈴木氏の疑惑が取りざたされているが、彼がロシア・アフリカ諸国を食い物にしているという話は、市井のサラリーマンである私でさえ2年以上前から知っていました。鈴木氏に対するこのような疑惑の追及がこれまで行われなかった背景には、マスコミでタブー視されているものであると感じていました」

この指摘に私たちは今からでも疑惑をきちんと調査し明らかにすることで答えていかなければならない。この問題は我々も含め多くの目が見て見ぬふりをしてきた問題である。

そもそもはNGO排除問題がきっかけだったが、鈴木議員の個人的な問題に焦点が移ると次から次へと新たな疑惑が指摘され始めた。それは少し気持ち悪いくらいだ。おそらくこれまで口をつぐんでいた多くの関係者が、時勢を見て口を開いたのだろう。マスコミはその洪水のような情報をきちんとチェックした上で報道すべきである。こんな当然のことを書くのもなんだが、今の報道には少し恐ろしさも感じる。

2月22日、川口外務大臣は鈴木氏と関係の深い国際情報局の佐藤優主任分析官を異動させるとの発表を行った。7年近く同じポストにいるのは異例との理由からだが、実際は鈴木議員との関係が問題視されたのは明らかだ。その直後に今度はこんなニュースが流れた。
「鈴木議員が佐藤氏の異動を行わないよう外務省幹部に電話をかけた。本人にも異動を拒否するよう指示していた」と。ここに及んでまだそんなことを…多くの人が思っただろう。しかし実際はどうだったか。25日、外務省は「そのような働きかけは一切なかった。電話自体がなかった。他の幹部にも一切なかった」と発表した。新聞の記事を見ると、そもそもの出所は「佐藤氏の人事について、鈴木氏から22日に外務省幹部に電話があったようだ」と「政府関係者」が発言したことにあった。しかし外務省は電話を受けていないと言う。少なくとも今現在外務省がわざわざ嘘をついて鈴木氏に配慮するとは思えない。ではその情報元”政府関係者”とは誰か。事実かどうか疑わしい情報が流されたのは確かだ。

誰が話した内容か、それは何らかの意図に基づいたものではないか、報道する側は、政治が絡む問題は特に慎重に見極める必要があると思う。

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