ディレクターズアイ 

 チーフディレクター/田畑 正
【「Show the flag」その後】

前回、10月20日放送のディレクターズアイ【「テロ対応策を作った5人」を取材して】の中で「ショーザフラッグの謎」について触れた。今回、自分なりにこの問題に決着をつけようと思う。

「ショーザフラッグ」という言葉は、ひょっとして今年の流行語大賞になるのではなかろうか。それくらいテロ事件直後の日本にあっという間に広まり、国内に対米支援ムードを醸成するのに大きな役割を果たしたことは記憶に新しい。

もともとこの言葉は、9月15日に行われた柳井前駐米大使とアーミテージ国務副長官との会談の中で、アーミテージ氏から出た言葉だと報道され広まった。ところが、私たちが柳井氏本人を取材したところ、「『ショーザフラッグ』という言葉そのものはなかった」という意外な言葉が返ってきた。では真相はどうなのか、という点が放送時点では分らずじまいだった。放送時点で私たちが把握していた事実をできるだけ丁寧に書いたのが、前回のディレクターズアイである。そしてこの中で、日本で最も早く「ショーザフラッグ」という言葉を口にしたのは安部晋三副長官だということを明らかにした。

この真相については、放送の数日後、政府高官が明らかにしてくれた。高官氏によると、柳井氏からの公電にはアーミテージ氏が「ショーザフラッグ」と言ったとは書かれていないという。書かれていた言葉は「日の丸を見せてほしい」だった。確かに柳井氏の証言とも一致する。ところが高官氏の解説はさらに続く。それにくっついている柳井氏の解説に「ショーザフラッグ」と書いてあったというのだ。安部副長官もそれを読んで、「ショーザフラッグ」が頭にあって、それで口にしたのだろう。すると、出所は他ならぬ柳井氏だったということになる。

そういえば取材の過程でこんなことがあった。
外務省A局長:「僕は柳井氏からの公電に『シューザフラッグ』という言葉を見た記憶があるんだ。しかしB局長はなかったと言うんだよ」。

その後A局長は、B局長に電話で確認した上で「公電にあったのは『日の丸と日本人の顔を見せて欲しい』という表現だった」と明かしてくれた。当時はなんとなく腑に落ちないものもあったが、今にして思えば納得がいく。

なぜこの言葉にこだわるかは、先に記したとおりである。最近私の下にこんなメールが届いた。 「テロ対策特別法案の成立を受けて、国務省が歓迎声明を出しました。最後に、日本の支援策実現に向けた柳井大使の功績を特に称える部分がありました。かなり異例のことで、普段感情を表に出さないある大使館幹部は『ジーンときた』と、珍しくしんみりしていました」。

外務官僚を中心としたいわゆる「湾岸シンドローム」に始まった今回の日本のテロ対応策だが、それが日本という国にとって吉と出るか凶と出るか、後世の歴史家のみぞ知る、ということだろうか。

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