キャスターズオピニオン

3月29日 鳥越俊太郎
【人権擁護法案・真の被害者救済にならない】


私は娘さんの命を犯罪者に奪われたある家族からこんな言葉を聞かされたこと がある。「犯罪被害者には必ず報道被害がセットでついてくるんです」

37年間報道の現場で仕事をしている私も、ここまで事態の本質をストレートに 衝(つ)いた言葉を知らない。正直に言うと、私自身こういうふうには考えたこ とがなかったのである。私は被害者の胸中を察しながら仕事をしてきたつもりで ある。その私にしてもその程度だ。報道する側と犯罪の被害者(家族)の間には、 実は越えられないほどの深さを持った溝が横たわっているのだと改めて思わざる を得ない。

今、私たち報道に携わる者の目前に「人権擁護法案」なるものが提示されてい るのだが、それは、こうした私たちの過去の鈍感さや無神経さ、怠慢のツケが回っ てきているといえる。いや正確に言うとスキを衝かれているという方が正しいの だろう。

しかし、この法案をじっくりと読み込んでいくと、この法案が(もしくはこの 法案を考えた官僚が)一見犯罪被害者の利益(人権)を考えているように見えて、 本当はそうではない。現場で犯罪被害者とある程度長期間接触を続けた者にしか 分かり得ない、ある重要なポイントがこの法案では考慮されていない。

私はテレビ報道番組「ザ・スクープ」で2000年1月から10月まで6回にわたって 「桶川女子大生ストーカー殺人事件」を取材、報道した。取材を始めた当初1カ月間、 私たちは被害者、猪野詩織さんのご両親とは接触することが全く出来なかった。ご 両親は前年10月に娘さんをストーカーに殺害されたのだが、その直後から始まった 報道機関の常軌を逸した取材方法と報道内容から完全なマスコミ不信に陥って おられたからである。

この点では今回の法案が「特別人権侵害」として列挙している次の項目はまさ にその通りかもしれない。

「(1)つきまとい、待ち伏せし、進路に立ちふさがり、住居、勤務先、学校その 他で見張りをし、又(また)は押し掛けること(2)電話をかけ、又はファクシミリ 装置を用いて送信すること」

上記のような行為を「継続的に又は反復して行い、その者の生活の平穏を著しく 害する」と、判断された場合、法務省の外局である人権委員会から「救済措置」 という名の様々な干渉を報道機関は受けることになる。

私の場合は「継続的に反復して」ご両親あてに手紙を書き続けた。その結果、 次第にご両親の口から事件の全体像が語られ、いかに警察の捜査が不十分 であったかが判明してきた。さらに「告訴状」を「被害届」と、警察署内で文書 改ざんまで行っていた事実も浮上してきた。埼玉県警は犯罪被害者の家族の マスコミ不信を利用して、家族とマスコミの間を意図的に遮断してきた可能性も あった。さらに自らの捜査怠慢の責任逃れのため、被害者女性が「殺害されて も仕方がない」と報道機関の一部が思い込むように被害者像を歪(ゆが)めるリークまでしていた疑いがある。

こうして一見犯罪被害者の人権に留意したかに見える措置が、実は被害者の家 族を出口と救いのない状況に追い込み、囲い込んでいた。ご両親は後にこう言 われた。「マスコミによって傷つけられたが、マスコミによって救われた」 。犯罪被害者と報道を分断するこの法案は、真の意味での”救済”にはなり得な いのではないか。

(2002年3月29日 朝日新聞オピニオン面「私の視点」欄より転載)