ディレクターズアイ


 ■制作後記

「ああ 霧吹きやなあ」
東電のテレビ会議映像に残されていた大きなため息は
期待を胸にテレビを観ていた日本国民の感情を代弁してくれたであろう。

あの日、日本中の誰しもが疑問をもったヘリコプターによる放水。
一体なぜ自衛隊はそのような作戦に駆り立てられていったのか―
出発点はそこだった。

背後にちらついていたのはアメリカの影。
官邸首脳たちは何を恥じることなく、何に悪びれることもなく、
ヘリ放水はシンボルだったと吐露した。
効果の薄いヘリ放水でかろうじてアメリカへの忠誠心を示せたとの評価だった。
「命がけで行く隊員がいるから 口には出せないけど」この言葉が重く心に響いた。

一方で アメリカに十字架を背負わされ、何も知らされずに命をかけた現場。
それは、戦後からアメリカの核政策に翻弄され続けた日本の姿と、
日米同盟の枠組みを超えた力関係の象徴のように映った。

元エネルギー省上級政策顧問のロバート・アルバレス氏は語る。
「日本は世界の核の成長において今ではアメリカの代理人、
日本こそアメリカの影響下で原発を持続させることができる唯一の希望」

そして、まさにその言葉の通り、日本の総理大臣は今、原発輸出を成長戦略に組み込み、
自らトップセールスに乗り出している。
細野豪志氏は「やり方を間違えると歴史を60年以上前に戻すことになりかねない」
そう述べたが、きょう、今この瞬間、果たして日本の戦後は終わっているのだろうか―
今後も問い続けたい。

ディレクター 後藤那穂子


 ■制作後記 

第五福竜丸事件があった1954年に登場した「ゴジラ」。 ビキニの核実験で蘇り、放射能の炎を吐いて人類文明を破壊する水爆怪獣は、被爆国・日本が生み出した核兵器の恐怖のシンボルだった。一方、1950年代から連載が始まった「鉄腕アトム」は、21世紀の未来を舞台に、10万馬力の核融合エネルギーで平和のために戦う。 登場人物もウランちゃん、コバルト兄さん、プルートゥ(=プルトニウム)・・・いとこにセシウム君がいても不思議ではないネーミングだ。
福島第一原発事故までは多くの日本人が、ゴジラ=戦争と破壊のための「悪い核」と、アトム=人類の未来を切り開く「良い原子力」を、二律背反的に別々のものとして考えてきた。 かつては人口の約3分の1が核実験反対の署名を行った日本人が、なぜ核アレルギーを失い、世界第3位の原発大国になっていったのか、その舞台裏では一体何があったのか・・・
第2章・第3章では、歴史の舞台裏に埋もれた事実を掘り起こしてみたいと考えた。

アメリカの核政策を担うエネルギー省の元上級政策顧問ロバート・アルバレス氏は、我々の取材に「原子力の平和利用と核兵器は安全保障政策上、表裏一体」で、それがアメリカの「核政策の本質」だと語っている。
アメリカ国立公文書館で、それを裏付けるいくつかの文書を発見した。
「“平和と繁栄を生む原子力”の方が“戦争を生む原子力”よりも、世界ははるかに受け入れやすい。原子力が同時に建設的に利用されれば、核兵器も受け入れやすくなるだろう」
(1952年10月 機密文書)
冷戦の状況下、アメリカは西側同盟諸国への核配備を推し進めようとしていた。
そして、核兵器によるソ連包囲網の一翼として、日本も例外ではなかった。
「有事の際には、日本近辺に貯蔵されている核物質を日本に配備するよう日本の米軍司令部に助言する権限がある」(1955年3月 ウィルソン国防長官の手紙)
グアムや沖縄などに貯蔵してある核兵器を日本に持ち込むための情報操作と環境作り、それが平和のための原子力、原発推進のもうひとつの顔だった。
「短期的には、原子力の平和利用が最も効果的で、その目的は半ば達成した。最終的には(日本の市民指導者は)日本で核兵器が利用可能になることを望むようになるだろう」
(1956年12月 国務長官特別補佐官の手紙)

確かにアメリカの宣伝工作の結果、1956年には7割以上の日本人が「原子力は人類にとって悪い物」と答えていたが、わずか1年後には15%に低下(米広報文化交流局調べ)、次第に原子力の平和神話が定着していく。 しかし、鉄腕アトムが描いた未来を大歓迎した日本人だったが、ゴジラ上陸への恐怖は消えることなく、結論として原発導入は日本への核配備につながらなかった。
一方で今年4月、核不拡散条約再検討に向けた「核兵器の非人道性を訴える共同声明」に署名をしなかった日本。 「核兵器を二度と使わないことが人類存続の利益になる」という表現が、アメリカの「核の傘」と一致しないというのが理由だ。
さらに、50基以上の原発をかかえる日本では、使用済み核燃料の再処理によって、核兵器に転用可能なプルトニウムが増え続けている。 海外での再処理委託分も含めると約45トン、国内にある約10トンだけでも核兵器1000発以上が作れる量だ。
自民党の石破茂幹事長は、かつて原発推進の理由についてこう語っている。
「(原発は)核兵器を作ろうと思えば一定期間のうちに作れるという、核の潜在的抑止力になっている」
つまり、今なお原発と原爆は表裏一体であり、日本もいつでも核武装できる状況にある。 それは、ゴジラになる潜在能力を秘めたアトムとも言えるのだ。

そして2011年、日本人に広島、長崎、ビキニに続く「第4の被曝」をもたらしたのは、ゴジラではなくアトムだった。 再び届かなかった「ノー・モア・ヒバクシャ」の祈り。
そして、私たちは気づかされた。 放射能の危険性という意味でも原発と原爆は同じであることを。 人類の未来にとって、今や原発が生み出す放射性廃棄物の処理の方が、核軍縮よりも答えが見いだせず、はるかに時間がかかる問題となりつつあることを。
もしも今、鉄腕アトムをリメイクするとしたら、こんなストーリーはどうだろうか?
ある日、アトムの体内に埋められた超小型核融合装置のコントロールが効かなくなる。
メルトダウンを起こし、放射能漏れが止まらない危険な存在となってしまったアトムは、宇宙へ飛び出し、地球を守るために自ら核爆発を起こす・・・
残された人類は、アトムに代わる新しい神話を産み出すことができるのだろうか?

演出・プロデューサー  原 一郎


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