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40代以上の高校野球ファンは、この試合を「伝説的名勝負」に挙げる人も多いのではないでしょうか。今回取り上げる試合は、1984年夏の決勝戦、「PL学園対取手二」です。

当時PL学園は、主砲に清原和博、エースに桑田真澄の「KKコンビ」を擁し、黄金時代を築き上げていました。

桑田は1年生からエースとして活躍。歴代2位、戦後最多となる甲子園20勝を挙げ、夏の甲子園は3度とも決勝進出。その中で唯一の黒星となったのが2年生で迎えた夏の決勝、「対取手二」戦でした。

敗れた理由・・・今だから桑田が語った、知られざる真実とは。また、当時無名だった取手二高の監督、後に名将と呼ばれることとなる木内幸男監督(当時)はいかなる采配を振るい、王者を追い詰めていったのか。桑田真澄氏、木内幸男氏らの証言から、この試合を紐解いていきます。

俄かには語りつくせない奇跡の裏側は、8月2日(日)午後1時55分から、特別番組「神様に選ばれた試合」(テレビ朝日)で放送されます。ここでは桑田真澄氏のインタビューの中から、一部をご紹介します。

 

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桑田真澄氏には、試合のダイジェスト映像を見てもらった。

徐々に当時の記憶が鮮明になってきたようだった。

「凄い雨降ってますね。やっぱりね。この時に中止だって聞いたんです」

決勝までの連投で疲労のピークを迎えていた桑田は、この知らせを聞いて「良かった」と気持ちを切ってしまった。

「一日あれば疲労はいくらか回復しますし、そして、取手二高の勢いも少しは止まるのではないかと」

桑田は、決勝まで駆け上がってきた取手二高の「勢い」に不安を覚えていた。優勝候補ではなかった取手二高は試合中に笑顔を見せ、大きな声を出し、感情を表しながら勝ち抜いていった。そのさまは『のびのび野球』と評された。

「野球は寡黙にひたむきに、歯を見せないで厳しい練習に耐え抜く、というのが当時の野球界の常識でしたから」

その前年、1年生で甲子園の優勝を経験した中で、「甲子園での勢い」というものを肌身で感じていた。だからこそ、常識破りな「取手二高の勢い」に、嫌な感じがしていたと言う。

その勢いが途切れるのでは。そんな思いで着替えていた時に、試合実施を告げられた。

「ええっ!と言って、慌ててマウンドに上がりましたね」

1回表。十分なピッチングもできず上がった。順調に2アウトを取ったものの、グラウンドの状態が悪く、不運なエラーで2点を失う。桑田はこの場面を振り返ってこう言った。

「ここから負のスパイラルが始まっていくということですね」

桑田が試合前から感じていた「取手二高の勢い」は、衰えを知らなかった。

1つ1つのプレーを通じて、そして木内監督の采配を通じて、王者PL学園を追い詰めていった。

ここからの詳細は放送で映像とともに伝えていくが、この試合を終えて桑田の価値観が変わったというエピソードを、ここで伝えたい。

「実際に取手二高は『のびのび野球』で優勝しました。これは当時の常識を覆すことでしたから、自分なりに勉強しました」

その結果、桑田は1つの考えにたどり着く。

「スポーツは自分で考えて行動することも、監督コーチの指示もある程度必要で、これをうまくミックスしていくというのが大事」

そこで、PL学園の練習環境を変えていく取り組みを始めた。

例えば、練習中に音楽を流す、練習時間を短くする、など。ノースロー調整も提案した。いわゆる「PL学園の伝統」を、監督とコミュニケーションを取りながら改革していった。

「正解は一つじゃない。正解にも色々な方法があることを学びながら、うまくその時、その人その状況に合ったものを上手く使ってミックスしていくのが大事だと。固定観念にとらわれず、常識を疑っていくということを学びました」

 

(左)桑田真澄氏 (右)中島彰一氏

(左)桑田真澄氏(PL学園OB)
(右)中島彰一氏(取手二OB)

 

【番組情報】

「神様に選ばれた試合

~高校野球100年 知られざる奇跡の裏側~」

放送日時:8月2日(日)午後1時55分~

テレビ朝日にて

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