月曜日

石原良純が人生を豊かにする趣味・生きがいを提案

放送日 2017/10/09

名作ゆかりのスポットを訪ねる早稲田・神楽坂“文豪”散歩

文豪たちの足跡をたどる早稲田・神楽坂散歩

リカーショップ小倉屋(こくらや)
住所/東京都新宿区馬場下町3
TEL/03-3203-6660
営業時間/10:00~22:00
定休日:日曜・祝日

◆小倉屋が登場する随筆集「硝子戸の中(がらすどのうち)」
著者/夏目漱石
出版社/岩波書店
価格:432円(税込み)

今回の良純未来図のテーマは「文豪散歩」。明治時代から名だたる文豪たちが暮らしていたことで知られる、東京・新宿の「早稲田(わせだ)・神楽坂(かぐらざか)エリア」を巡ります。石原良純さんを案内してくださるのは、20年以上にわたって早稲田・神楽坂の歴史を研究している郷土史研究家の谷口典子(たにぐち・のりこ)さん(57)です。

最初に足跡をたどった文豪は「夏目漱石(なつめ・そうせき)」です。石原さんがやって来たのは、早稲田大学にほど近い場所にある漱石の生家跡。そこは現在、学生街にふさわしい定食店となっていました。その隣にある酒店「リカーショップ小倉屋(こくらや)」は江戸時代から330年以上も続く老舗で、なんと漱石の随筆の中にも登場したことがあるんだとか! 小倉屋が登場するのは、1933年に発表された「硝子戸の中(がらすどのうち)」という作品で、小倉屋の当時の店主の一言で夏目家がとんだ災難に遭ったことが記されています。

明治時代、この一帯の地主だった夏目家にある夜、泥棒が押し入りました。漱石の父が「金はない」と言っても泥棒は帰ろうとしません。その理由は「先に入った小倉屋の店主から『夏目家のほうが金持ちだ』と教えられたから」だったそうです。ちなみに漱石の随筆には「小倉屋は被害がなかった」と書かれていますが、お店を訪ねて子孫の方に伺ったところ「ウチもお金をとられました」とのことでした。

夏目漱石が最後の9年間を過ごした場所に立つ記念館

新宿区立 漱石山房(そうせきさんぼう)記念館
住所/東京都新宿区早稲田南町7
TEL/03-3205-0209
開館時間/10:00~18:00(入館は17:30分まで)
休館日/月曜(月曜が休日の場合は直後の休日ではない日)、年末年始(今年は12月29日~1月3日)
観覧料:一般300円、小・中学生100円

続いてやって来たのは、夏目漱石が人生最後の9年間を過ごしたという場所に立つ「新宿区立 漱石山房(そうせき・さんぼう)記念館」です。先月オープンしたばかりだといいます。

早稲田の地をこよなく愛した漱石は、晩年には「未来の文豪たちが集える場所」を作りました。それが「漱石山房」で、「三四郎」や「こころ」といった名作を執筆した書斎であると同時に、若手作家が集まる「文学サロン」として開放していたそうです。毎週木曜日には、芥川龍之介などの門下生がやって来て、文学論を交わしたといいます。

そんな漱石山房を記念館化したこちらには、当時の書斎も忠実に再現されています。代表作の初版本や原稿など、貴重な資料も数多く展示していて、漱石ファンにはたまらない場所となっています。

通称“ネコのお墓”がある夏目漱石ゆかりの公園

漱石公園
住所/東京都新宿区早稲田南町7
TEL/03-5273-3914(新宿区みどり土木部みどり公園課公園管理係)
TEL/03-5361-2451(東部公園事務所)
開園時間/8:00~19:00(4月~9月)、8:00~18:00(10月~3月)
※年中無休

◆夏目家のネコをモデルにした小説「吾輩は猫である」
著者/夏目漱石
出版社/岩波書店
価格:756円(税込み)

続いて訪ねたのも夏目漱石ゆかりのスポットです。それは「漱石山房記念館」の裏にある、その名も「漱石公園」。こちらには通称「ネコのお墓」と呼ばれる碑が建てられていますが、正確には「夏目家で飼われていたペット(ネコ、イヌ、小鳥、金魚など)全ての供養塔(くようとう)」なんだとか。1938年に発表されたお馴染みの小説「吾輩は猫である」のモデルとなったネコは夏目家の庭の片隅に埋葬されたそうですが、その正確な場所はもうわからないそうです。

文豪が愛用した“西洋紙製原稿用紙”を初めて作った文具店

相馬屋源四朗(そうまや・げんしろう)商店
住所/東京都新宿区神楽坂5-5
TEL/03-3260-2345
営業時間/9:00~19:00
定休日/日曜・祝日

◆西洋紙の原稿用紙を発案した尾崎紅葉の代表作「金色夜叉(こんじきやしゃ)」
出版社/岩波書店(1939年発表)
価格:820円(税込み)

早稲田から移動した石原さんたちは、神楽坂へやって来ました。この地で350年も営業する老舗文具店「相馬屋源四朗(そうまや・げんしろう)商店」には、文豪たちがこぞって買い求めた“作家の必需品”が売られています。それは「原稿用紙」です。以前は“和紙製”だった原稿用紙を初めて“西洋紙”で作ったのが、こちらのご先祖なんだとか!

発案したのは、店の常連客だった、「金色夜叉(こんじきやしゃ)」で知られる小説家・尾崎紅葉(おざき・こうよう)でした。明治中期のある日、店先に積まれていた使い物にならない西洋紙を見た紅葉が「捨てるのだったら、マス目を印刷してみたらどうか」と提案し、“日本初の西洋紙製原稿用紙”が誕生したのだそうです(諸説あり)。

西洋紙の原稿用紙は「書きやすい!」と評判を呼び、発案者の尾崎紅葉はもとより、坪内逍遥(つぼうち・しょうよう)や石川啄木(いしかわ・たくぼく)、そしてもちろん夏目漱石にも愛用されたといいます。そうしたユーザーの中からあがった要望を聞き入れながら改良を重ね、品質はどんどん向上していきました。「相馬屋の原稿用紙」はブランド商品となり、これを使うことが文豪たちの間でのステータスとなったそうです。

神楽坂をこよなく愛した泉鏡花が料理の味を絶賛した料亭

うを徳(うをとく)
住所/東京都新宿区神楽坂3-1
TEL/03-3269-0360
営業時間/17:00~22:30(土曜・日曜・祝日は21:30まで)
※完全予約制
定休日/不定休

◆泉鏡花の代表作「婦系図(おんなけいず)」
出版社/岩波書店
価格:604円(税込み)

西洋紙製原稿用紙の生まれた神楽坂には、文豪たちを魅了した“色恋の世界”もありました。現在も見番(けんばん=芸者衆の手配や稽古が行われる場所)が置かれている神楽坂は、明治時代から“花街(かがい)”として栄えた場所。最盛期には600人以上の芸者衆が在籍し、料亭などが150軒以上も営業していたといいます。

石原さんたちが訪ねた料亭「うを徳(うをとく)」は、1951年に発表された「婦系図(おんなけいず)」などで知られる文豪・泉鏡花(いずみ・きょうか)がひいきにしていたというお店。およそ100年前の大正時代に創業したこちらは料理が絶品で、魚嫌いだった鏡花が唯一こちらで調理されたものだけは食べられたほどだといいます。石原さんたちは特別に「真鯛の潮汁」を試食させていただき、かつて鏡花の愛した味を堪能しました。神楽坂をこよなく愛した鏡花は、なんとこの地の芸者さんと結婚したのだそうです。

余談ですが、早稲田・神楽坂エリアに文豪たちが集まったのには切実な理由もあったのだそうです。それは「付近に数多くの印刷所があったから」だといいます。現在の大日本印刷の前身がこの地に工場を移転させたことから同業の会社も集まって来て、さらに出版社も増えていったのだとか。「印刷所の近くに住んでいればギリギリまで原稿の手直しができる」といった理由から、文豪たちは早稲田・神楽坂エリアに集まっていたというわけです。また、「上野などに比べて2割ほど物価が安かった」ということも大きかったといいます。

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