火曜日

羽鳥慎一がニュースな現場へ!みんなの疑問を解決

放送日 2017/10/31

この道60年!マツタケ採りの達人“仰天”収穫術

不作知らず?驚異のマツタケ収穫量

今回、羽鳥慎一キャスターが訪ねたのは、長野県伊那市に暮す藤原儀兵衛さん(79)。藤原さんはマツタケ採りの達人で、マツタケ生産量全国一位の長野県で、一般農家の3倍以上を採っています。マツタケ一筋に生きる藤原さん、その情熱に迫りました。

安全靴を履き、クマやイノシシに注意しながらマツタケ山へ。そこは広さ14ヘクタールのアカマツの山でした。急斜面を登った羽鳥キャスターが見たのは大量のマツタケ。藤原さんも、「おかげさんでね。マツタケばかりになりました」。10分もすると籠いっぱいになるほどの収穫となったのですが、その秘密は「シロ」にあります。「シロ」とは、マツタケが生えてくる場所のことで、マツタケの胞子が土の中で菌糸を出し、アカマツの根に付いて出来るそう。そして、「シロが一つできるとね、50年間(マツタケが)採れる」。

人工的に“シロ”を作りだすことに成功

これまで「シロ」は自然に出来るのを待つしかなかったのですが、藤原さんは30年かけて人工的に「シロ」を作る方法を見つけました。春先、アカマツの細くて若い根を切りそろえ、切り口から新しい根が出てくるのを待ちます。秋になり、収穫したマツタケを置くと、新しい根は雑菌が少なくマツタケ菌が付きやすいため、高い確率で「シロ」ができるといいます。自然界では発生率1%といわれる「シロ」ですが、藤原さんはこの方法でおよそ50%の確率で作ることに成功しました。

藤原さんはマツタケのおいしい食べ方も極めています。定番のお吸い物でいただく際は、一度マツタケを冷凍するのです。冷凍したものとそうでないものを飲み比べた羽鳥キャスターも違いを認識。女子栄養大学の青柳康夫教授によれば、冷凍すると、加熱したときに酵素が働き、うま味成分が増えておいしくなるのだそうです。

20歳でマツタケ専業農家に転身

藤原さんがマツタケ農家になったきっかけは、農業研修で築地を訪れた際に見た「マツタケ列車」でした。マツタケ列車とは、昭和30年頃、産地から東京へと運んだマツタケ専用の貨物列車のこと。当時16歳だった藤原さんは地元で普通に食べていたマツタケが高値で取引されているのを見て衝撃を受け、「米よりいいと直感したんですよ」。

20歳の頃には親から任された田んぼや山をすべて売り、アカマツ山を購入します。そのとき周囲からは、「あの野郎はおかしいぞと聞こえてきた」といいます。笑った人たちを見返してやろうと、藤原さんの挑戦が始まりました。

多くのマツタケを採るため、まず行ったのは山を痩せさせることです。痩せ地を好むマツタケの特性に合わせ、落ち葉の養分で土地が肥えないよう、毎日8時間一日も休まず「しばかき」を続けました。このしばかきである程度マツタケが採れるようになると、いよいよ独自の「シロ作り」を始めます。一つの方法を試しても結果が出るのは1年後。藤原さんも30年かけて発見したのですが、ヒントになったのは「離乳食」でした。息子のお嫁さんが作っているのを見て、「マツタケの胞子も柔らかい根の方がうまくいく」。そして辿りついたのが、先の方法でした。

みんながマツタケを食べられるようにしたい

これまでの功績から2002年には農林水産大臣賞を受賞しています。間もなく80歳を迎える藤原さんはマツタケ博士と呼ばれ、自らが見出したノウハウを国内外に広めています。

最後に、「人生で成功するために必要なことは?」と尋ねると、「慎重には慎重を、というのが俺の生き方です」と答えた藤原さん。そして「広い自然の山の中にマツタケを出す。こんな楽しいことはないですよ。1年にいっぺんしか会えない。まぁ恋人に会いに行くようなそんな気持ち」と続けました。

情熱はいまだ冷めていません。100歳まで研究を続け、みんながマツタケを食べられるようにしたいと話す藤原さんです。

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