一代年寄 貴乃花光司・32歳。今は亡き二子山親方の部屋を継承し2年目を迎えた。名古屋場所を目前に控え若き親方は弟子たちに静かに語りかけた。
「貴乃花部屋は今、団結力が取りざたされている時なんだから」
「東京でも稽古していましたが師匠が亡くなられてバタバタしたので落ち着かせてしっかりやらせていきたい」
弟子たちはすでに名古屋入りしていたが親方には東京に留まらなければならない理由がった。
名古屋入り前日、親方は東京・富岡八幡宮で行われたワンパク相撲に出席。子供たちの全取組みを見届けていた。「来年、再来年に向けて弟子の勧誘をしています。若い子を預かるわけですから、一番、安心して預けてもらえる状況を作らなければいけない」と親方。
連日伝えられる兄弟の確執。親方の行く先々には報道陣が待ち受けていた。到着早々に取材を受けた親方だが、この日を境に兄・勝氏との確執ついては語らなくなった。
まだ夜が明けきらない午前5時。稽古部屋に明りが灯る。この時期に己をどこまで追い込めるかが勝負の鍵を握る。親方は午前6時に浴衣姿で稽古場に現れた。
貴乃花部屋には相撲協会から給料が支払われる幕内や十両といった関取はいない。全員幕下以下でもらえるお金は小遣い程度。
部屋頭の五剣山は親方の1年後輩で、かつては十両六枚目の関取だった。今は幕下に甘んじているが再起を目指している。
稽古開始から2時間、親方が動き出した。浴衣の下にはまわしを締めていた。1年ぶりに弟子に胸を課した親方。4時間に及んだ朝の稽古は終わった。
稽古の後、一番風呂に入るのは親方。その後、兄弟子、弟弟子と順番に入浴する。稽古後、待ちに待った食事が出来上がった。
食事中の親方に弟子が困った様子で相談を始めた。親方は突然電話をかけた。相手は景子夫人だった。
「お前、1階で寝ている若い衆の靴送ってないだろ。山田が今、お前に言いたいことあるって言うから」と笑顔で電話を渡した。
序二段の山田は恐縮して「とんでもないです」と。
親方、兄弟子の食事が終わり、ようやく若手力士の食事にありつける。13人の力士で一日10キロの米が消えるという。
食事の後は昼寝、夕方からは自主トレ。力士たちはよく動き、よく食べ、よく眠る。全て修行なのだ。
数々の記録を塗り替えた平成の大横綱・貴乃花。
中でも2001年夏場所の優勝決定戦は右ひざ半月版を損傷しながらも鬼の形相で武蔵丸を投げた伝説の一番は、現在も語継がれている。全盛期の二子山部屋は「若貴」の2横綱に1大関、50人の力士が在籍し、相撲界に旋風を巻き起こした。
稽古場にスーツ姿で現れた親方。稽古を見た後、車に乗って出かけていった。部屋の支援者に会うためだ。
かつての二子山部屋は「タニマチ」と呼ばれる政財界の支援者が名を連ねていた。しかし、親方は一般の人たちに広く浅く支援を呼びかけるサポーター制度で後援者やファンを募っている。
名古屋場所の番付が発表された。
54に及ぶ相撲部屋に用意された番付表の数は約36万枚。各部屋ではそれを持ち帰り、後援会に配る。新しい番付は、貴乃花部屋最上位の五剣山が幕下東の三十三枚目だった。他の力士の名前は虫眼鏡がないと見えないほどだ。
親方は部屋の力士全員の勝ち越しを目標に掲げている。
「うちの親父は厳しかった。今となっては思い出となってしまったのが寂しい」 |