このインタビューは2005年8月2日、世界水泳モントリオールの激闘を終えたばかりの今村選手を取材したものである。アテネ王者・北島康介が出場できなかった200m平泳ぎ、彼が手にした銅メダルは多くの感動を呼んだ。しかし、そのプレッシャーは計り知れないものだっただろう。胸中はどのようなものだったのか?
Q 世界水泳が終わって1日経ちましたが、振り返っていただくと?
今村元気(以下、今):去年、結果が出せなくて悔しい思いしたんですけど、今年はもう絶対結果出してやるっていう気持ちで臨めたし、メダルという結果を残せて、凄く嬉しかったですし、結果残せたからかもしれないですけど、凄い楽しめたかなという風に思っています。
Q アテネ五輪で周りが結果を出していたよね?そのあたりの影響は?
今:うーん、あんまりメダルメダルという風にはなってなかったですけど、まず、この世界の舞台で決勝に残りたいという風に凄く思ったので、決勝に残って、そこで、どうやってメダル争いに加わっていけるかって(所属の東海大学の)加藤コーチと話してたんですけど、すごくラッキーだったというか、あのタイムでメダル取れると思ってなかったんで、凄くラッキーでしたね。
Q ラッキーというと?
今:50m、100m、200mと全部ベストタイム出せたので、また一歩前進できたかなと思っているんですけど、そうですね、よかったです。
Q 去年アテネ五輪で出せなかったベストタイム、今年それを出せたのは?
今:こういうところで、半分、どんなに良くても4割くらいの選手しかベストが出せないみたいなんですよね、いつも。今回、(日本代表の)半分のメンバーがベストを出したみたいなんですけど、こういう世界の舞台でベストを出すということはすごい難しいというか、なかなか、みんな順調に練習積んできてもなかなかできないことで、まず、そこはクリアしたいなと思ってて、去年(アテネ五輪で)それができなかったので、今年は1週間前、2週間前は体調を整えるのに敏感になって、すごく気を使って、去年の今頃は、試合前こういう練習タイムで泳いでたから駄目だったとか、今年はこれくらいの練習タイムでやっていこうと、そういうのを去年の日記とかみながら、試行錯誤しながらやりました。
Q 今年はある程度、1人で調整を?
今:今年、(中西悠子選手のコーチの)太田先生のメニューをやっていたんですけど、太田先生と加藤先生のメニューは違うので、そういうことを太田先生に話をして、僕は結構自由に、やらせてもらっていたんですよね。「お前は自分で考えてできるから、無理に、俺の練習をやらなくていいから」って太田先生にいってもらって、試合前はずっと自分で考えて、タイムとってもらいたいところだけ、太田先生にとってもらって、ってそんな感じで調整していましたね。
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