1991年、ベルギーの首都ブリュッセル。41歳の須磨久善(水谷豊)は、世界中から集まった優秀な外科医の前で公開手術を行う。

バイパス手術に胃大網動脈を使用する…。

医学界の常識を打ち破る、誰もが見たこともない手法は、須磨が考案したオリジナルだ。その画期的な手法を世界的な医師たちに公開する。この4年間で多数のバイパス手術を経験してきた須磨とはいえ、武者震いを覚えないわけがなかった。

手術の準備段階にあたるルーチンワークにミスが発覚、ギャラリーに事前に説明した方法での手術ができなくなるという窮地に追い込まれた須磨だったが、自らの機転で手術は成功。それでもさすがの須磨も術衣が汗でびっしょりになるほどの緊張を抱えての手術だった。須磨先生でもこんなに緊張を、と驚くスタッフに須磨は言い放つ。

「僕が何百人の命を救ってこようと、関係ない。患者さんにとっては、たった一つの命なんだ。失敗は許されない。外科医というものは常に緊張と畏怖を忘れてはいけない。同じ手術は2度ないんだ」。

この成功によって世界的に名を知られるようになった須磨。しかし、胃大網動脈バイパス手術を考案するまでには、いくつもの困難を乗り越えてこなければならなかった。

すべては5年前から始まった。

公開手術の5年前、須磨は一人の女子中学生患者を受け持っていた。彼女は自分の心臓病を不治の病と思い込み絶望していた。しかし、治る可能性が少しでもあるなら絶対に諦めない須磨は海外での渡航移植を説得する。命を救いたいという須磨の情熱に打たれ、渡航移植を決意した彼女だったが、思わぬ事態に陥ってしまう…。

その後、須磨はクリエイティブマインド&チャレンジングスピリットの言葉を胸に、新しい心臓手術法に意欲的に取り組み、次第に世界からも評価されるようになっていく。そして、ローマの大学病院に教授として招かれていた須磨は、この地で画期的な手術法、バチスタ手術に出会う…日本では誰もやっていない、生きた心臓の筋肉にメスを入れるという難しい手術だ。妻の千代子(薬師丸ひろ子)の精神的な支えもあり、帰国してバチスタ手術に挑むことを決意する須磨。しかし須磨が戻った病院は設備の整った元の大病院ではなく、地方の民間病院だった…

【須磨久善】

1950年3月1日兵庫県出身、心臓外科医。
1986年、世界初の胃大網動脈バイパス手術に成功。
1991年、ベルギーにて公開手術を成功させる。
1996年、日本初のバチスタ手術を行う。

※ドラマのストーリーは、海堂尊氏の原作『外科医 須磨久善』に基づき、須磨久善医師の足跡に脚色を加えたもので、登場人物、団体名などは仮名とし、創作のエピソードを交えて構成しています。

  • 世界初となる胃大網動脈バイパス手術、日本初のバチスタ手術で、日本だけでなく海外でも評価が高い心臓外科医。

  • 多忙な夫・久善を温かく見守る妻。たまの休日に久善が作る料理が何よりも好き。

  • 聖心医科大学病院バイパス手術チームの一員となって以来、須磨を慕い、その後の様々な手術において、右腕として活躍する。

  • 秋山とともに須磨のチームの一員としてサポートする。

  • 中学生。公開手術の5年前に須磨が受け持った患者。自分の病気を不治の病と考えていたが、海外での渡航手術を須磨から説得される。

  • 須磨が民間病院に勤務を始めた頃、受け持った患者。

  • 国内初のバチスタ手術に挑もうとする須磨を、後押しする。

  • 夫婦で洋食店を営んでいる。胃大網動脈バイパス手術の患者。

  • 芳江の夫。妻を厚く看病している。

  • 中学校の教師。生徒を心から愛するブランスバンド部の顧問。バチスタ手術2例目の患者。

  • 法律事務所を経営している弁護士。重度の拡張型心筋症で、日本初のバチスタ手術を受ける。息子も弁護士で、後を継がせたばかり。

  • 須磨の恩師。時に型破りとも思える須磨の研究の進め方なども容認。須磨が日本で初めて行う手術に挑戦するときも、倫理委員会にはたらきかけるなど便宜を図っている。