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#039 2003年7月5日放送
国  名:ドイツ
ドイツで唯一の豆腐屋を経営する日本人
〜とうふ起死回生の奮闘記〜


TV-Asahi
高樹さん一家プロフィール
諸角道夫(63歳)
  三世子(63歳)
  和紀(35歳) 長男
  昌子(34歳) 次女
  恭子(34歳) 三女
成瀬慶子(36歳) 長女
  秀治(40歳) 長女の夫
放 送 内 容
今回の地球家族は、ドイツはデュッセルドルフで豆腐屋を営む諸角道夫さんとその家族。
デュッセルドルフはライン川沿いに広がるドイツ西部の街。19世紀にはナポレオンが訪れ、その街並の美しさに感激し、小さなパリという意味で「プチパリ」と名づけたといいます。
諸角さんがこの街で営んでいるのは、ドイツ国内に一つしかない豆腐屋です。防腐剤を一切使わず、地下水を使うなど素材にこだわって、手作りでお豆腐を作っています。そんな職人気質のお父さんの右腕となり、お豆腐作りを手伝っているのが長男の和紀さん。諸角親子の手作り豆腐は、一丁約400円で売られています。お豆腐は車で移動販売をしています。そして、お豆腐の他にも奥さんの三世子さんが作る日本のお惣菜を売っています。




諸角さんが初めてドイツを訪れたのは、今から41年前の1962年のこと。北海道の炭鉱で働いていた当時22歳の諸角さんは、炭鉱夫としてドイツにやってきたのでした。
3年後帰国して幼馴染だった三世子さんと結婚し、二人の希望だった海外生活をするため、再びドイツに渡ってきたのです。その後4人の子供さんに恵まれました。炭鉱を辞めた諸角さんは、日本料理店で輸入食品を扱う仕事についたのですが、その仕事をしている内に本物の日本の味をドイツに広めたいと考えるようになりました。そして、選んだのがお豆腐だったのです。




その時すでに39歳。豆腐作りを一から勉強してお店を始めましたが、その道は決して平坦ではありませんでした。それでもなんとか自信を持って売れるお豆腐を作ることができるようになり、主にデュッセルドルフ在住の日本人相手に商売ができるようになったのです。味や素材にこだわって作り上げたお豆腐は美味しいと評判を呼び、商売も軌道に乗りました。
しかし、最近スーパーで韓国や中国産のものが安い値段で手に入るようになったため、諸角さんのお豆腐の売上は3分の1に激減してしまいました。お豆腐の美味しさを知ってもらおうと5年前から始めた日本食のレストランも、思うような結果は出ていません。




ある日、諸角さんは家族を集めて緊急家族会議を開きました。そして、ある決意を告げました。
「豆腐を辞めたい。」
突然の言葉に、皆驚き、動揺しました。弱気になっている父親に家族で説得を続けました。
「続けていこうよ。」家族みんなで新しい豆腐料理作りが始まりました。そして、ドイツ人の好みに合わせて料理を作り、試食会を開くことになりました。
「美味しい食べ方さえわかってもらえれば、ドイツでも必ず豆腐は売れる」と信じ、諸角家の力を結集した試行錯誤が続きました。





試食会当日。街の中心地の店先を借り、道行く人々に試食を呼びかけます。ものの数分もしない内に、試食会の会場には人だかりができました。
ドイツの人々の反応は様々。料理の全てが好評だったわけではありませんでした。しかし、ドイツ人の好みを直接知ることができたのです。
その後、試食会でお客さんから得たヒントを元に、レストランで新メニューを出すことになりました。
評判はまずまずでした。





「24年間続けてきた豆腐作りの火を消すわけにはいかない。」
諸角さんは家族の力で自信を取り戻しました。
ドイツでただ一軒のお豆腐屋さんは家族で守ったこだわりの味を、これからも大切に育てていくのです。





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