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#026 2003年4月5日放送
国  名:ポルトガル
ポルトガルでカステラ屋を開いた日本人
〜日本の味にこだわる夫婦の挑戦〜


TV-Asahi
ドゥアルテさん一家プロフィール
パウロ・ジョルジ・バティシタ・ドゥアルテ(34歳)
智子・ヒラタ・ドゥアルテ(40歳)
ジョニー・ヒラタ・ドゥアルテ(14歳)
放 送 内 容
今回の地球家族は、ポルトガルはリスボンでカステラ屋を営む家族です。
ポルトガルの首都リスボンは、現在は観光地として有名ですが、16世紀の大航海時代には貿易の中心地として栄えていました。日本との関係も古く、1543年ポルトガルの船が種子島に到着して以来、様々な西洋文化が日本にもたらされました。そのため、コンペイトウ、てんぷらなど、ポルトガルから伝わってそのまま名前が残ったものがたくさんあります。
その一つにカステラがあります。しかし、ポルトガルにはカステラというお菓子は存在しません。カステラのルーツとされているのは、「パン・デ・ロー」というお菓子ですが、実はこのお菓子が日本に伝わる際に、「スペインのキャステーラ地方で作られたパン・デ・ロー」と説明された日本人が、「キャステーラ」の方を名前だと勘違いし、以後「カステラ」と呼ばれるようになったといいます。




今回の話の主人公、智子さんとそのご主人のパウロさんは、その「カステラ」を広めたいという夢をかなえるべく、リスボンにカステラのお店をオープンしました。
智子さんは中学生の頃からお菓子が大好きで、どうしても本場で作り方を学びたいと、大学卒業と同時にポルトガルにやってきました。ポルトガル語どころか、英語もままならない状態でしたが、ひたすらお菓子職人の修業に励みました。その当時、現在夫のパウロさんに出会いました。パウロさんは12歳の時からお菓子職人として働いていました。出会って3年で結婚。2年後に、現在は14歳になる息子のジョニー君が誕生しました。




智子さんはポルトガルに来て、あることに気づきました。
「大好きなカステラがポルトガルにはない」
智子さんは、パウロさんにもカステラのすばらしさを知ってもらうために長崎へ連れて行きました。そこでパウロさんはカステラの味に感動し、老舗のお店でカステラ作りの修業を始めました。その熱意と技術が認められ、外国人として初めてカステラ免許皆伝の職人となったのです。




長崎で修業を終えたドゥアルテさん夫妻はポルトガルに帰国し、すぐに貯金をはたいてカステラ工房を作りました。今から7年前のことです。しかしポルトガルにはカステラをつくるために必要な調理器具もありませんでした。オーブンも知り合いの工房をいくつも回ってカステラに合う物を探し出したのです。
カステラ工房はなんとか立ち上げましたが、売るためのお店はありませんでした。そこで智子さんは幼いジョニー君を連れ、ポルトガル中でカステラを売り歩きました。苦労を重ねた結果、やはり何とか自分たちのお店を持たなくてはだめだ、ということになり、7年間貯めたお金を頭金として、先日ようやくお店をオープンさせたのです。




お店をオープンして一週間。パウロさん夫婦の情熱とは裏腹に、なかなかお客さんはやってきません。見たこともない日本のお菓子はなかなか受け入れられないのでしょう。なんとかしてお客さんを呼びたいと、智子さんが考えたのが、ランチタイムに日本のオムライスを出すことでした。その読みは当たり、ランチタイムは大盛況に終わりました。




しかし、一人浮かない顔をしてたパウロさん。あくまでもカステラで勝負したいと思っているパウロさんにとっては、オムライスが売れてもカステラが売れなくては意味がないのです。
帰宅後、智子さんに不満をぶつけるパウロさん。
智子さんもパウロさんの言うことは十分わかってました。そこで一生懸命考えた結果、オムライスにカステラをデザートとしてつけることを考えました。
果たして、お客さんには大好評。初めて食べる日本のお菓子の美味しさを口々に誉めてくれました。




ようやく大きな一歩を踏み出した「カステラ・ド・パウロ」
まだまだこれからです。
でもこれからも情熱を持ちつづけ、家族みんなで助け合っていけば、きっと夢はかなうと信じられるはずなのです。

TV-Asahi