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#013 2002年12月28日放送
国  名:マレーシア
麺大国マレーシアに日本そばで挑む!
〜麺作りに賭ける父子とその家族〜


TV-Asahi
小山さん一家プロフィール
小山郁男(30歳)
  朋子(28歳)
  晴輝(1歳)
小山章(62歳)
放 送 内 容
今回の地球家族は、マレーシアはクアラルンプールで日本麺の製麺工場を営む小山さん一家。
小山郁男さん夫婦と郁男さんの父親、そして、郁男さんの長男、晴輝くんの三世代家族です。





現在郁男さんは、父、章さんから受け継いだ、ラーメン、うどん、そば、焼きそばなどを製造する、従業員10数名の麺工場で工場長として働いています。郁男さんの工場、桃太郎食品では、一日2万食もの日本麺を製造し、市内のスーパーやレストランに卸しています。
元々会社勤めをしていた郁男さんでしたが、1996年に勤めていた会社を辞め、工場を継ぐべく、マレーシアにやってきたのです。



郁男さんには父から受け継いだ大きな夢がありました。それは、麺大国マレーシアで日本のそばを広めること。
マレーシアは様々な国の人々が集まる多民族国家。ここで成功すれば世界へ夢が広がるのです。
マレーシアにやってきてからは、気候や食材、そして水などの違いに苦労し、試行錯誤を繰り返しましたが、今ではマレーシアの気候に合わせて微妙な水量の加減もできるようになり、コシのある麺との評判をには長年の悩みがありました。それは、日本そばの需要が伸びないこと。




うどんは売れるのですが、そばが売れないのです。そば粉は本場の長野から取寄せた品質の良いものなのですが、マレーシアの人々には麺の色が黒いということに抵抗があるようなのです。
そこで、郁男さんは考えました。ならば、黒ではなく、抹茶粉を混ぜた緑色の茶そばならいいのではないか?
そこで、自らスーパーマーケットで試食販売をして茶そばのプロモーションをすることにしました。早朝からはっぴを着てやる気満々!
しかし、一日目、懸命な呼びかけにもかかわらず、反応はいまいち。茶そばはほとんど売れませんでした。



次の朝、売れ残った茶そばを食べていた晴輝くんを見ていた郁男さんはあることを思いつきました。まず好奇心豊かな子供たちに興味を持ってもらい、その親たちには、ビタミンやミネラルが豊富で健康にいいということをアピールするのです。
果たして、この作戦は大成功しました。
小山さんが麺作りをはじめてから6年。このマレーシアで初めて日本そばにできた行列は、閉店時まで続いたのでした。




翌日、郁男さんは朋子さんへの感謝を込めて、初めて二人がマレーシアで麺を食べたお店へ行きました。気持ちを新たに、これからも頑張ろうと、気持ちを新たにした郁男さんと、これからも暖かくサポートしていこうと改めて思った朋子さん。
初心に帰った二人は、これからも夢に向かって、力を合わせて頑張っていくのです。



TV-Asahi