■5月のテーマ・パネリスト |
先般起こった瀋陽総領事館事件は、「日中国交回復30周年」記念の年に、思わぬ難題を日中関係にもたらしました。周知の通り、両国の事実関係の認識には決定的な隔たりがあり、いまのところ歩みよりは全く見られない状況です。 思い返せばこの1年、小泉内閣にとっては、「外務省に始まり、 外務省に終わる」1年であった、といっても過言ではないでしょう。 その意味からも、今回の事件は起こるべくして起こったのかもしれません。 以前から問題となっていた「機密費疑惑」から、田中大臣就任直後に はじまった人事問題や裏金問題、さらには鈴木宗男氏の北方4島支援に 関わる疑惑が浮上し、その処理の一環として田中大臣が更迭と、 この1年、常に外務省は話題の的でした。しかし、「機密費問題」をはじめとして、 一切の問題は、未だ解決していません。 ところで、この1年の間混乱し続けた外務省ですが、具体的に何か外交政策が滞った事実はあるのでしょうか?これといって外交上の問題がなかったとすれば、その機能自体の存在意義が問われることにはならないのでしょうか? 経済的にも“軍事”的にも大国となった日本は、望むと望まざるとに関わらず、時には丁々発止と渡り合いながら「国益」を主張し、様々な国際関係を維持してゆかなければならないはずです。にもかかわらず外交を担う外務省がこのような状況で、それこそ「国益」など守り得るのでしょうか? そもそも、戦後半世紀以上、日本の外交において、外務省はどのような役割を果たしたのでしょうか?また、より複雑化する国際情勢の中で、外務省は日本外交を担ってゆく資格や資質があるのでしょうか? 今回の「朝まで生テレビ」では、今回の「瀋陽事件」を入り口に、外務省と日本の外交について徹底的に議論してみたいと思います。 |
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