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  2001/7/7 Part1.『オシャレに見えるけど、実は激しいスポーツ』

河野さん、頑張ってください!(なんだか呼び捨てにはできない気分)


野村真季
  河野さんがラクロス・日本代表としてイギリスに行くんですって!!
すごーい!
 

川北桃子
  新人の河野が海を越えて世界を舞台にしていると思うと、自分の存在がいきなりちっぽっけに感じてしまう…。河野さん、頑張ってください!(なんだか呼び捨てにはできない気分)  

中丸徹
  いや、ほんっとに凄いですね。僕も日本代表になりたくてラクロスを始めただけに、正直羨ましい気持ちでいっぱいです。悔しさもちょっと。それだけに凄さも身にしみて分かりますよ。  

野村真季
  日本代表を目指していたんだー!志、高いなぁ。  

中丸徹
  日本ではほとんどが大学生からスタートするから、がんばれば日本代表にもなれるっていうのがラクロスの魅力のひとつですよね。僕もそれで始めたクチなんで、「ぼくの大学4年間⇒日本代表」ですね。届かなかったけど。  

川北桃子
  私なんて隠れラクッロッサーですからここで堂々と話している事が恥ずかしいくらいです。でも、ラクロス部に入ったことは私の人生の重要なポイントになんです。長くなるので語るのは止めておきますが、そんな思い入れもあるから、ラクロッサー(*注)は無条件で支持してしまいます。  
(*注ラクロスの選手をこう呼ぶらしいです。from当HP管理人)

中丸徹
  えー、語ってくださいよ。長く長く。  

川北桃子
  いや、ホントに長いよ!それからハンカチは必需品。ね、あんまり聞きたくないでしょ?ということでまたにします。では、野村さんにラクロスを爽やかに語ってもらいましょう!  

野村真季
  って!川北さん。いきなり振らないで下さいよー。最近はクロス(*注)も触っていないくらい離れてるんですから…。でも、今でも大学時代4年間の思い出がふわっと蘇ってきて、確実に自分の中に根付いているのを感じるんです。中丸さんは男子ラクロスで、確か、強かったよね!  
(*注ラクロスで捕球・投球に使う、ネットのついたスティックのことです)

中丸徹
  僕の代は良い成績を残せなかったんですよ。東大史上最低の順位で、危うく『二部』との入れ替え戦に出かかりました。次の年は関東で準優勝したのだけど、それも複雑でした。ずっとやってきた事が実った部分と「それがなんで俺の代じゃないんだ!」っていう…。でも充実した4年間でしたよね。  

野村真季
  私がいた東京女子大学のラクロス部はできて間もなくて、みんなが試行錯誤しながらも頑張っていた、という感じ。技術を付けて行く・ラクロス部そのものの形を作り上げて行く感じだったな。本当に一言で言えないくらい色んなこと学びました。川北さんは?  

川北桃子
  聖心は『一部』で、なかなか強かったです。
先輩達がしっかりと土台を作ってくれていたからね。
 

野村真季
  中丸さんはラクロス界の有名人だったんだよね!技術と、可愛らしい?ルックスとで(笑)。だから私も会社に入る前から知っていました!河野さんも、「東大の中丸さんは目立ってました!」と言っていたそうよ。  

中丸徹
  いやいや、後輩としてそう言うしかないんですって。これラクロス関係者に見られたら怒られますよ。ただ、学生連盟で運営をしてたので、“うるさい学連くん”としては認知されてたみたいですけど。  

野村真季
  かなり目立ってたもんね!  

中丸徹
  だから、目立ってないですって。  

野村真季
  もう。謙虚なんだからー。  
川北桃子アナ、野村真季アナ、中丸徹アナの
学生時代の秘蔵写真を大公開!!
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ティールームの紹介
  アナウンス部にいると、あちらこちらから色々な声が聞こえてきます。
「今日の仕事は○○だった」とか、「最近○○はイイ!!」など、公共の場に出していいものかどうか一瞬悩んでしまうものもありますが、そんなアナウンス部での井戸端会議をお届けするこの「ティールーム」。
みなさんも、忙しい毎日にちょっと疲れたら立ち寄ってみてください。
 
    
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