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山崎正

スポーツだけじゃなくて、段々仕事も増えてきて、ニュースも忙しかったんだよ。ローテーションのニュース。今ならローテーションが決まったらその人がニュースを読むのは当然なんだけれど、昔の先輩はシフトについていてもやんないんだよね、帰っちゃうの。「ああ、山崎丁度いいや、読みたくないからやってよ」ってこっちにまわってくるんだよ。

川北桃子

また〜、ホントなんですか〜?

山崎正

いやそうなんだよ。だからもう若いアナウンサーがどんどん読まされるんだよ。

いやいやホントなんだよー
小木逸平

じゃあ勝手にシフトをまわしてたんですか?

川北桃子

かなり経験はできていいですよね。

吉澤一彦

そんなある日、4階にあったアナウンス部で、その先輩がニュースをやる予定で、忘れていたんだ。10分前でようやく思い出して、なんと「おおい!山崎、ちょっと行ってくれ!」て言ったんだ。それで山崎さんが1階の報道スタジオへ飛んで行って、ピシッと時間内にニュースを収めたの。そういう意味で積み重ねってやっぱり凄いですよね。

川北桃子

走って行ってゼーゼーもハーハーも言わずにですか!?

吉澤一彦

「え」も「あ」も絶対言わない、そこが山崎さんのニュースの凄いところ。

当時のANNニュースのオープニング
小木逸平

そんな山崎さんから見て、今の若手っていうのはどうなんですか?

山崎正

う〜ん、私生活も何もかも四六時中先輩と一緒っていうのは、今は無いからね〜。それはみんな恵まれていていいと思うよ。ただ、そういう注ぎ込んだというか、その10年なり15年なりを徹底してそういうふうに仕事に闇雲になってやれるっていうのは、今になって思うと楽しかったは楽しかったね。仕事があって、その間に飲んだりしたこともあったけど、いろんな仕事を覚えたし、色んな人と出会えたし、海外も50回以上行ったし・・・国内なんて行ってないところなんてないからね。

1980年、モスクワオリンピックニュースを伝える山崎アナウンサーと宮嶋アナウンサー
小木逸平

凄い時代をアナウンサーとして経験してきたってことですね。

川北桃子

そういう中で何が一番残っていますか?

山崎正

やっぱり東京国際女子マラソンかな。第1回は1979年かな?それまでは女性がフルマラソンを走るなんてほとんどなかったんだ。だからみんな本当に大丈夫なのかなって不安になって、それに放送が3時間あまり、事故なしで出きるのかっていう、いろんな不安が入り混じってね。その第1回は僕が実況じゃなかったんだけれど、2回目からは僕がやってね、それから10年くらい続けてやったんだ。その間に、段々と女子マラソンが強くなっていって、オリンピックも通して日本のマラソン界も発展した時期でね。そういう時代をずっと見てこられたのは一番楽しかったかな、それとバルセロナオリンピックの、有森の銀メダルを実況できたっていうことは非常に感動的だったね。

第5回大会(1983年)日本選手佐々木が初の栄冠 (東京国際女子マラソン20年誌より)
第8回大会(1986年)ロザ・モタの優勝 (東京国際女子マラソン20年誌より)
    
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