6月4日。日本の司法が、この日を境に大きく揺さぶられています。
1990年、栃木県足利市で、4歳の女の子が殺害された「足利事件」。
この事件で逮捕され、無期懲役の判決で服役していた
菅家利和さんの「無罪」が確定、17年半という年月を経て釈放されたのです。
自供の矛盾点やDNA鑑定の正当性など、問題点の多かったこの事件を
「サンデープロジェクト」でも、ジャーナリストの大谷昭宏さんの取材で
何度も取り上げ、追いかけてきました。
今回、釈放4日目の菅家さんを、
「サンプロ」のスタジオにお招きすることになりました。 |
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いつも本番が始まる直前、出演者が勢ぞろいしたとき、
時間があればゲストの方に声をお掛けすることが多いのですが、
今回は、……言葉が出ませんでした。
連日の報道で目にしていた菅家さんの姿。
でもその日、実際に目の前にいらっしゃった菅家さんは、
想像していたよりもずっとずっと小柄で華奢でした。
そして、くしゃっとした笑顔がとても清らかで、優しい印象の方でした。
少なくとも、受刑者としてよくニュースなどで流されていた
逮捕時の映像や、新聞に掲載されていた写真の印象とは、
かなり違った菅家さんの姿が、そこにありました。 |
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討論でも、搾り出すようにして、言葉を懸命に紡ぐ菅家さん。
ご本人の表情と言葉に、いっそう胸が張り裂けそうになりました。
人の印象だけでもそれだけ違ってくるのですから、
当時の捜査がどうであったとか、DNA鑑定のどこに問題があったかとか、
私がとやかく指摘・批判できる問題ではありません。
報道されていること、インターネットや書籍からの情報は、
事件の一端でしかなく、一面でしかないのだと思います。
しかし、再鑑定・再審の請求が、裁判所によって放置され続けたということ。
その間に、時効が成立してしまい、
真犯人を逮捕することすら出来なくなってしまったこと。
そして結果として、17年半も、菅家さんと、周りの人々の、
なにものにも代えがたい尊い時間と可能性が、奪われてしまったということ。
その全てが、事実なのです。
虚しさを覚え、強い憤りを禁じえません。
制度の問題もあるかもしれません。
しかし、「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の鉄則は
どこへ行ってしまったのかと、
この事件からは感じずにはいられません。
お金という形での賠償ではとても済まされないものを
確実に奪ってしまう「制度」に、いったい何の意味があるのでしょうか。
取調べの可視化、DNA鑑定資料の保存義務化、時効の見直し。
日本の司法を巡る議論と改革は、山積です。
菅家さんの17年半のために、
また多くの人々の泣き寝入りが無駄にならないように、
多くが一から見直されるべきだと強く感じました。 |
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菅家さんが1日でも早く、心安らかな日々を取り戻されることを、
それだけを、心からお祈りしてやみません。 |