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Vol.51 「羽田さんのこと」(2007/07/09)

ピアニストで作・編曲家の、羽田健太郎さんが亡くなられました。
『題名のない音楽会21』に長らく出演されていた羽田さんを偲んで行われた追悼コンサート。
当日は、縁の深い音楽家の皆さんや、司会を担当した歴代のアナウンサーが集まりました。
2002年の春から、2年間。
今思うと、旋律に身を委ねた夢の様な時間でした。
でも、当時はただただ進行に手一杯。
情けなくて、悔しくて、申し訳なくて。
収録後、舞台袖でいつも立ち尽くしていました。

一度だけ、羽田さんが電話を下さったことがあります。
「祐子ちゃんはさ、もっと心を開いた方がいいと思うんだ」
クラシックも同じ。こちらから手を差し伸べたら、必ず向こうも手を握ってくれる。
涙ぐむ私に、羽田さんは大きな声で笑って下さいました。

5年ぶりに訪れた会場。軋んだ舞台は音色を吸い、一歩ごとにきゅうと鳴きます。
羽田さんの楽屋は、今日も変わらずに普段のままにしてありました。
汗を沢山かかれるから、おしぼりは多めに。
ミネラルウォーターと、醤油のお煎餅。
会場には、何時間も前から、行列が出来ていました。

“2000年4月から7年にわたり、
楽しいお話と素晴らしい演奏で幅広い音楽の魅力を伝えて下さった羽田さん”

台本には、こう記してありました。
自分が言うべき箇所に、マーカーで線を引く。
同じ言葉を、繰り返し唱える。行きのバスで、楽屋で。

18時45分、開演。
舞台に立つと、以前と同じ様に足が震え、ハンドマイクは汗で滲みました。
眩しすぎるライトを浴びて、遠くの客席へと馳せたら。
込み上げたのは、台本通りの言葉ではありませんでした。

飛び込んで、良かった。
飛び込むべきだった。

伸ばした手を。
羽田さんが、握り返してくれた気がしました。


  

(「日刊ゲンダイ 週末版」7月9日発刊)
   
 
 
    
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