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 「朝まで生テレビ!」  (2011/11/19)




2000年、大学4年生当時。
月末の最終金曜日。
アルバイトをしていたイタリア料理店。
決まってこの日のレジ閉めは、いつもよりも時間がかかった。

「先に上がっていいよ」

電卓とにらみ合う店長から声がかかるのは、日付が変わった後。
まかないのパスタをプラスチック容器に詰めてもらい、深夜に帰宅する。

「こんばんは。『朝まで生テレビ』です!」

掴んだリモコンの先では、決まって誰かが怒りに声を震わせていた。
日米同盟、雇用問題、日本再生。
のびたパスタをくるくる巻きながら、次第に熱を帯びていくスタジオを眺める。
「混んでいる時の厨房も、こんな感じかな」などと、めぐらせながら。



2011年、入社11年目現在。
月末の最終金曜日。
この秋から担当している、『朝まで生テレビ』
決まってこの日の朝は、いつもよりも早く目が覚める。

「何でも聞いていいよ」

田原総一朗さんを囲んでの打合せが始まるのは、日付の変わる少し前。
机の上には、深夜用のお弁当と栄養ドリンク剤。
ごくりと飲んで、スタジオへ向かう。

「こんばんは。『朝まで生テレビ』です!」

握ったマイクから、自分の声が震えているのが分かる。
原発事故、普天間問題、首相公選制。
スタジオの隅には約2畳の小部屋が設けられていて、
そこから我々は議論の行方を見守る。
怒号が飛び交う度、背筋が伸びる。置かれたコーヒーのカップも、びーんと鳴る。

「村上さん、どう?」

終盤になると、田原さんは必ず問う。
学生時代、画面に向かってつぶやいていたあれこれが過る。
今、この場所に、現実が迫る。

番組開始から、まもなく25年。
誰かにとっての格言も、うわごとも、寝言も、夜を潜って、
誰しもの「おはよう」と共に、朝靄に溶けていく。





(11月19日配信)   

   
 
 
    
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