直子「ねえ…『ノルウェイの森』を弾いてくれない?」
ワタナベ「どうして?」
直子「この曲を聴くと、深い森の中で迷っているような気分になるの。どうしてだか分からないけど。一人ぼっちで、寒くて、暗くて、誰も助けに来てくれなくて…。でも、本当に一番好きな曲なのよ」
親友のキズキを自殺で失ったワタナベは、新しい生活を始めるために東京の大学へ行き、読み漁っていた本の余白のように空っぽな日々を送っていた。
そんな中、キズキの恋人だった直子に再会し、互いに失ったものを確かめ合うように付き合いを深めていく。直子の二十歳の誕生日に二人は夜を共にするが、直子の喪失感は次第に膨らみ、京都の療養所に入院することになる。
そんな折、大学で出会ったのが緑だった。
緑「たとえば今私があなたに向かって、苺のショートケーキが食べたいって言うとするでしょ。そしたらあなたは何もかも放り出して、…それを私に差し出すの。そしたら私は『ふん、もうこんなものなんていらなくなっちゃったわよ』って言って、それを窓の外に放り投げるの。私が求めているのはそういうものなのよ」
ワタナベ「そんなの愛とは何の関係もないような気がするけどね」
緑「あるの!私が相手の人にこう言ってほしいのよ。『わかったよ、緑。僕はロバみたいに馬鹿で無神経だった。お詫びに何か別のものを買いに行ってあげよう。チョコレートムース、それともチーズケーキ?』」
ワタナベ「するとどうなるの?」
緑「愛してあげるの」
19歳の、精一杯のわがまま。
目の奥にともった光は、ケーキの上のろうそくのように危うかった。
求めているものは救いにも見えて、ケーキフォークで、ちくりと胸を刺される。
物語の舞台は、1969年前後。
学生運動が盛んな一方で、政治運動に関心のないノンポリと呼ばれる学生も存在した。
ワタナベは運動に参加しない。本を読み、酒を飲み、たまに旅をする。
全共闘時代に生きた学生たちは、今や還暦を過ぎている。
番組で共演している田原総一朗さんは、今の若者に話題が上るといつも言う。
「大学生は、自分たちがインテリであることをもっと自覚するべきだ」
先日、大学での講演に招かれた際、校内に立て看板がないことにも驚いたという。
「なぜ、誰もデモを行わないのか」
その場にいた誰もが、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。
ノンポリにもインテリにもピンとこない、私たちの世代。
90年代後半―かつての学生時代を振り返る。
ワタナベと同じく、本を読み、たまに旅をする。
知識と経験の不均衡に溺れ、若さを持て余し、時に儚さと弱さを履き違える。
そんなあれこれは、60年代にもこの先にも、きっと散らばっている。
直子「二十歳の誕生日なんて、何だか馬鹿みたい。二十歳になる準備なんて何も出来てないのに、ね?無理に後ろから押し出されちゃったみたい」
ワタナベ「僕の方はまだ七ヶ月あるから、ゆっくり準備するよ」
直子「いいわね、まだ十九なんて…。思うんだけど人って、十八と十九の間を行ったり来たりすべきなのよ。十八が終わったら十九になって、十九が終わったら十八になるの。そしたら…、そしたら、色んなことがもっと楽になるのに」
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