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Vol.44 5月29日 『百万円と苦虫女』

『百万円と苦虫女』

何ごとも。
否定から入るのは楽だが、いざ否定するとなると腰が引けてしまうものだ。
謙遜という奥ゆかしい美意識は、この場では据え置いて。
ありきたりで申し訳ないが、例えばこんな場面。

女「私のことなんて、嫌いでしょう?」
男「うん」
女「○☆□△…」


本当は、嫌わないで欲しいのに。
失望と焦りの念をくしゃくしゃに丸める彼女の、気の毒さ。

人との関わりにおいて、確かに距離は大切だ。
踏み込みすぎると嫌われる。
相手を慮っての場合もあるが、
むしろ自分が「うざったい」と思われることの方が恐い。

私はここにいる。
声を大にアピールするなんてあり得ない。
相手と距離を置くことで、自分を守る。


(C) 2008『百万円と苦虫女』製作委員会

物語の佐藤鈴子(蒼井優)も、そんな女の子だ。
短大を卒業後、就職浪人にてアルバイト生活。
ひょんな事件に巻き込まれ傷ついた彼女は、家族の元を離れ、
貯金が百万円になるごとに誰も知らない土地へ移り住むことにする。
持ち物は、自分で縫ったカーテンとわずかな衣服だけ。
海の家ではかき氷を作り、山の中の桃畑では桃をもぐ。
そしてまた、次の場所へ。
 
  

「自分探しなんて、むしろしたくない」と鈴子は言う。
それって、重い。髪振り乱して自分語りなんて、格好悪い。

飄々と生きる。
たぶん彼女が目指しているのは、そんな生き方。
 

「でも、妖精のように可愛い蒼井優ちゃんだったら、みんなが放っておかないよ…」

ムキになって突っ込んでいる時点で、既に、私は物語に夢中だった。
そう、そう、そうなの。必死な感じって、何だか見苦しいよね。
周りの人だってさ、熱く語られても迷惑だろうし。
完全に浮き足立ったハイテンションで、ローテンションな鈴子を追い続ける。

海の家、風光明媚な山間の村。
鈴子が次に向かったのは、東京から特急で一時間ほどの地方都市だった。
ホームセンターのガーデニングコーナーのアルバイトを見つけた彼女は、
先輩店員で大学生の中島亮平(森山未來)に出会う。
 

以降は、鈴子としては、「うっかり」の展開である。

「理性と感性は相反しない」と、とある作家さんは言っていた。
夫婦喧嘩の極意を語ってくれた私の上司は、
「最後には、感情が勝つ」ときっぱり言い切った。
理性は感性に―。
溶けてしまった。
好きという気持ちは、しゅわりと甘く。熱いコーヒーに沈む角砂糖のように。

喫茶店で、鈴子は亮平に堰を切ったように自分を語る。
刑事告訴されたことも、百万円貯めては転々としていることも、心の中のことも。
とりつかれたように吐露するさまは、少し滑稽だけれども、愛しい。
その後、手を繋ぐ瞬間とか、初めて部屋に招き入れる時とか。
必死そのもので、空気などまるで読めていなくて、でも、彼女の横顔は崇高だ。

そんな二人にも色々あって、と、ある時。
気持ちが切羽詰った鈴子は、不覚にもこんなことを聞いてしまう。

鈴子「私のどこが好き?」
亮平「…」
鈴子「…」

答えられない亮平と、真っ赤になる鈴子。
「ああ、やっちゃった」と、観客共々思ってしまう瞬間だった。


そして、ラストシーン。
悩んで迷って粘って足掻いて、で、すとん。
素っ気ないかもしれないけれど、突き放した感じが、底抜けにまぶしい。
 

「たかだか21歳や22歳でそんなに人生なにもかもうまくいってたまるかよって思ってますから(笑)」
 
パンフレットのインタビューで、監督のタナダユキさんはこう言っている。
さ、ここからは、一人でな!
それって、オトコマエな女神みたいな優しさだ。


自分をさらけ出すことは、さらさら正しい。
人のぬくもりを求めることも。
うまくいくかどうかは、分からないけどね。

 
♪作品データ♪
『百万円と苦虫女』
脚本・監督: タナダユキ
出演: 蒼井優、森山未來、ピエール瀧、佐々木すみ江 他
配給: 日活/2008/日本
※7月より、シネセゾン渋谷、シネ・リーブル池袋ほか全国ロードショー

『百万円と苦虫女』公式サイト
http://nigamushi.com/

   
 
 
    
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