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Vol.13 10月7日 『阿修羅のごとく』

 
姉妹というものは、ひとつの莢の中に育つ豆のようなものだと思う。大きく実り、時期が来てはじけると、暮らしも考え方もバラバラになってしまう。

昭和54年冬。ある家族の物語。
未亡人の長女は料亭の主人と不倫仲。二児の母である次女は、夫の浮気にうすうす気付いている。成績優秀だが恋愛下手の三女は、派手な妹に嫉妬している。ボクサーと同棲中の四女は、真面目な姉たちにコンプレックス。

冠婚葬祭でもないと、滅多に揃うことのない四姉妹たち。
偶然のことから、老いた父に密かに付き合っている女性のいることが判ってしまう。
両親のいざこざを見守りながら、彼女たちにもそれぞれの日常がある。

正月を過ぎ、少し遅れての鏡開き。長女の家に四人が集まった。
目の前には、ひび割れた大きな鏡餅が置かれている。

「このひび、何かに似てない?」
「…お母さんのかかとだ!」

鏡餅はやがて、揚げたてのおかきと化す。
それらを頬張りながら、彼女たちの会話は絶えない。
はじけた豆たちは、いとも簡単に莢に戻る。

…思わず上映中、両足のかかとをすり合わせてしまった。
私にも妹がいる。

「お姉ちゃん、かかとだけはきれいに手入れしてね。いくらきれいにしていても、かかとががさがさだとおかしいよ。お洒落って、そういうことだよ」

ひび割れたかかとは生活感の落し物。ただ、それを消すことが、時として、女として、必要なのだ、と。

妹と離れて暮らして、もうすぐ10年になる。

帰省したら、どちらかの布団の中で会話するのが常だ。
ピアノを習っても塾に通っても、長続きしなかった妹。
昔、私の存在が疎ましかったということを、この場所で聞いた。

「お姉ちゃんは、確かに頑張り屋だと思う。今は、一人暮らしで大変だとも思う。でもね、物事のスタート地点まで、いつも誰かが連れて行ってくれていることに気付いてる?その場所から走り出す前に、スパイクを履かせて、靴ひもまで結んでくれる人たちがお姉ちゃんにはいる。一人で、その地点にたどり着くまでがどれほど大変か、どれだけ心細いか、分からないでしょう?そういう人に、寂しさを悟った顔をして欲しくない。でもね、それを味わわない生き方だってきっとあるし、本当はお姉ちゃんが羨ましいんだ。
でもね、お姉ちゃんが社会人になったら、そういうわけにはいかないような気がする。みんなが笑顔で、味方で、そんな世の中なんてあり得ないって。お姉ちゃんに悪気がないからこそ、その幸せに気付いていないからこそ、もしそうでない現実を知ったら、私、いつかつぶれてしまうと思うの。だから、ものすごく心配なの」

私は昔、「ピアノが嫌い」と正直に言えた妹の潔さが羨ましかった。
今になって、彼女の言葉の重さを知る。

映画の中で、三女が言う。
「姉妹ってへんなものね。妬み、そねみも、すごく強いの。そのくせ、相手が不幸になると、やっぱりたまんない―」

私が大人になってから。
泣きながら電話をかけた時、妹も泣きながら話を聞いてくれた。

「スパイクは、自分で履くもの」
妹はそう言った。
そんな彼女が教えてくれる。
「お姉ちゃん、かかとの手入れを忘れないで」

これから先。
それぞれに家庭が出来ても、そうでなくても。
私たちは互いに集まって、緑茶を飲み、おかきで口の周りを塩辛くさせながら談笑するだろう。

「…で、最近、どう?」

そういう日々がいい。そんな姉妹が、いい。

■作品データ/『阿修羅のごとく』
原作:向田邦子
監督:森田芳光
脚本:筒井ともみ
撮影:北信康
音楽:大島ミチル
出演:大竹しのぶ、黒木瞳、深津絵里、深田恭子、小林薫、
中村獅童、RIKIYA、坂東三津五郎、桃井かおり、八千草薫、
仲代達矢

配給:東宝/2003年/日本/135分

※11/8(土)全国東宝洋画系にてロードショー
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先日夏休みを頂き、竹富島に行って来ました。
シークヮーサージュースにはしゃぐ私をファインダー越しに冷静に捉えているのは、妹です。

   
 
 
    
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