身長
170cm
出身地
福岡県福岡市
出身校
日本女子大学附属高等学校→
日本女子大学
入社年月日
2001年4月1日
星座
蠍座

2014/1/10    さとりと哲学(+近況報告)

年が明けました。
仕事始めは、『朝まで生テレビ!元旦スペシャル』

  
番組開始以来、初めての和装!

朝生前後の年末年始は、お休みを頂きました。
京都を訪れたり、


琵琶湖疏水・インクライン廃線跡

美術館に出向いたり。


東京都現代美術館「うさぎスマッシュ展」

概ね、穏やかに。
実家で寛いだ後は、大掃除を終えた自宅が心地良く、
好きな音楽をひたすら聴いていました。

充電完了!
今年もどうぞよろしくお願い致します。

そして、去年の話題になりますが…。
年末に綴ったコラムです。

 

さとり世代。
2013年「新語・流行語大賞」の候補にも挙がった言葉で、
1987年から1996年生まれの、現在17歳から26歳までを指すという。
先日、『ニュースの深層』で、この世代の価値観に触れる機会があった。
「“さとり世代”の知られざる本音とは?」と称し、現役大学生に座談会形式で話を聞く。

Aさん「一人だけでお菓子は食べない」
Bさん「あげないと、空気ヤバいと思って。一応聞いて、いるって言った人には、あげる」
Cさん「買う時も、味とか考えながら。ミント系のガムは嫌いな人いるから、他の味にしたり」


ゲストにお越し頂いたマーケティングライターの牛窪恵さん曰く、
さとり世代は、

・全員が小中学校でゆとり教育を受けて育った
・競争を嫌い、周囲との同調性を重視し、「ゆるつながり願望」がある
・「悪目立ち」を嫌う

一つのものを複数で「シェア食べ」することで、話が弾み関係も深まり、安心感を覚える。
「シェア食べ」は「コミュ食べ」とも呼ばれるらしい。
食とは、誰かと心を通わせ、何よりもコミュニケーションを円滑にするツールだそうだ。

さとり世代でない私も、この道理は理解出来る。
確かに、高校時代はしょっちゅう何かを誰かと食べていた。
ただ、放課後の食堂で買い求めたのは、昼食メニューの炒飯が姿を変えた特大おにぎりで、
あくまで空腹を満たすことが第一。
友人の定番も、およそシェアしにくいアイスクリーム。
各自がそれぞれのペースで、食べたいものを黙々と消化していた。


食堂にて

「さとり世代は、みんなと共有したいってこと?」
番組の後、自身もさとり世代であるこの企画のディレクターに聞いてみた。
「ていうか、周りから認められたいって感じですかねぇ」

大きめの黒ぶち眼鏡に、チェックのシャツにカーディガン。
徹夜が続いても常に小奇麗な彼は、身なりのみならず、周りにもとても気を遣う。
牛窪さんとの事前打合せの際は、
「お昼、食べそびれちゃって…」との一言を聞き逃さず、即座にお菓子を差し入れる。
曰く、「甘い系としょっぱい系はマスト」であり、
「台本をご覧頂くので、片手で食べられるもの」であり、
お手拭き代わりのウェットティッシュも必携。
驚愕したのは、食後のお化粧直し用に、スタンドミラーまで用意されたこと。
絶句する私に、即座に「空気読み過ぎですね!(てへっ)」と、自虐フォローも忘れない。

相手が何を求めているのかを察し、忖度する。
気遣いであり、思いやりであり。
だがその根底には、周りから認められ、一体感を共有して安心したい願望が見え隠れする。
それは、ある世代特有の事例だろうか。

高校時代、倫理の授業で実存主義の創始者・キルケゴールを学んだ。
彼の哲学書『死に至る病』には、個人が情熱や主体性を喪失し、
公共の場において、全ての区別、個性、意見、思考、感情を均質化する働き(=水平化)
について記されている。
授業では、「自己の水平化」という視点から、人間関係が議論された。

・孤独を恐れるあまり、仲間意識を強調して結束を図り、維持することで精神を保護する。
・自己の水平化は、自由に選択した結果であり、私の意志であり、効率的な手段である。
・批判ごときで壊れるような関係は、本当の人間関係ではない。
・こんなにもはっきりと水平化を感じると、却って個を見つめ直す行動に出る。


“本当の人間関係について”

当時16歳。
様々な意見がまとめられたプリントを読み返しながら、
ルーズソックスを履き、お揃いのバーバリーのマフラーを巻いていたことを思い出す。
「シェア食べ」はしなくても、やはり何かを分かち合おうとしていた。

果たして、今はどうだろう。
ぼんやり考えながら黄ばんだプリントをめくると、ある生徒の鮮烈な一文が目に入る。

・(前略)政府等が巨大権力を持ちながら、
責任を取るべき時に取らない匿名行為を繰り返すのも、水平化を生み出している。
責任を取る人がいなければ、国の輪郭も見えず、
人々が輪郭のない中で固まり合ってしまう。
それは、精神の流出を防ぐための自衛手段に近い気がする。


横並びは、画一化や均一化に通じる。
公共の場における「水平化」された公衆に、キルケゴールは現代の危機を見ていた。
ゆとりのない師走に、さとることはたくさんある。



(12月30日配信)   

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